166.竜の末裔と神を目指す者2

 ブロキュオン帝国とサピエル法国の戦闘が始まって4日目。

 太陽が空の頂点に辿り着いた頃、ついに戦況が大きく動くことになった。

 サピエル法国軍本陣の膨大な魔力が動き出したのを、エヴァイアが敏感に感知したのだ。


「――!? モージィ、“彼女”を急いで呼んで来てくれ!」

「畏まりました!」


 エヴァイアの命令を聞いて、モージィと呼ばれた女性はすぐにセレスティアがいる天幕に走り出した。

 モージィはブロキュオン帝国軍近衛兵長の一人で、皇室直属の護衛部隊の副隊長も務めている狼の獣人だ。

 月夜を思わせるような黒銀の毛色。常に冷静な性格。多様な魔術と正確無比の剣技を扱う達人。

 エヴァイアはそんな彼女の才能を高く評価して、今の地位を与えた。

 つまり、モージィはエヴァイアが最も信頼を置いている腹心の一人ということだ。

 信頼できる腹心、そしてセレスティアと同じく女性ということで、エヴァイアはモージィにセレスティアがここにいる間の世話を任せていた。


 モージィはエヴァイアの命令通りに、すぐにセレスティアを連れて戻って来た。


「エヴァイア、例の魔術師は?」

「見てみろ」


 エヴァイアは覗いていた望遠鏡をセレスティアに手渡す。

 セレスティアは受け取った望遠鏡を覗くと、そこにはサピエル法国の陣地から前線に向かって移動している巨大な魔力の塊があった。

 いや、正確には全身から膨大な魔力を放出している人間だ。

 だが魔力が視えるセレスティアの目には、膨大な魔力に隠れて人の形が見えなかっただけである。


「なんて高密度の魔力なの……」

「やっぱり、君にも正体は見えないか」

「ええ……」

「モージィ、君にはあれがどう見える?」

 

 モージィはセレスティアから望遠鏡を受け取って魔術師を視る。


「……陽炎のような揺らぎの所為で全体の輪郭がハッキリしませんが、白いローブのような物を身に纏っています。ただこの距離では、残念ながらまだ顔は確認できません」

「ふむ……」

 

 モージィの報告を聞いて、エヴァイアは暫し思案する。

 ムーア王国王都の堅牢な城壁を、いとも容易く破壊できるほどの強大な力を持つ魔術師。

 これまで遭遇したことのない、想像すらしたことのない未知なる敵。

 エヴァイアはこの未知なる脅威の正体を知ろうとしていた。


 サピエル法国には、強い魔術師が四人いる。

 サピエル法国教皇“サピエル7世”。

 教皇親衛隊の“ラーシュ”と“サジェス”。

 そして、宰相の“パンドラ”だ。


 この内、権力序列の一番上は、当然教皇のサピエル7世だ。

 だから例の魔術師の正体は、サピエル7世の可能性が高いとエヴァイアは予想していた。

 しかしそのエヴァイアの予想も、結局は不確定情報を基に導き出した推測でしかない。

 いずれにしてもモージィからの情報だけでは、これ以上の判断はできなさそうだった。


「――モージィ、すぐに前線の“ヒルデブランド”に合図を! 最大警戒だ!」

「ハッ!」

 

 

 ◆     ◆



「ヒルデブランド様!」

「分かってる。本陣からの合図だ」


 本陣からの合図は、銅鑼どらの音が3回に、打ち上げられたファイアボールが3発。最大警戒を知らせる合図だ。

 それはつまり、敵の主力が動きだしたということだ。

 

 俺は戦場のさらに奥に視線を向ける。

 多くの敵味方の兵士達の影でそいつの姿はまだ見えない。だが、気配だけはバンバン感じる。

 何か、とんでもない気配を放つ奴が近付いて来てるのが分かる!


「なんて圧迫感だ……。陛下が本気で怒っている時……いや、それ以上かもな」


 今まで感じたことない、この世の物とは思えないプレッシャーが全身にのし掛かってるみたいだ。

 全身が悪寒に包まれて耳と尻尾の毛が逆立ち、冷や汗が大量に流れ落ちる。

 

(……これは、なんだ? 震えてるのか?)

 

 手を見れば、小刻みに震えていた。

 俺はもう片方の手を使って無理やり震えを抑えつける。


「……何を怯えているヒルデブランド。おまえは誰の剣だ。誰の盾だ。誰の為にここにいる! 全ては、皇帝陛下の御心みこころのままに!!」


 そうだ。こんなことで怯えてる暇なんてない。

 俺は陛下の命令でここにいる。陛下の為にここにいる!

 そう思うだけで、俺の心は平静を取り戻した。


「聞け! これより作戦を第二段階へ移行する! 全軍、奮起せよッ!!」


 俺の掛け声に合わせて、作戦が第二段階へと移行した。

 これまで防衛に徹していた兵士達が、一転して攻勢に転じる。

 突然の動きの変化に驚いたサピエル法国兵は、あっという間に隊列に乱れができる。


「今だ! 第一、第二隊突撃しろ! 目標、サピエル法国の魔術師! 必ず殲滅しろッ!!」


 二つの騎馬隊が俺の号令で、敵の隊列の乱れで出来た隙間をかき分けるように突撃を開始した。

 その動きに気付いた敵は慌てて止めようとするが、一度乱れた隊列は簡単には立て直すことは出来ない。

 騎馬隊は正確無比な手綱裁きで、僅かな乱れの隙間をすり抜けて例の魔術師に接近する。


「いくら強い魔術師といえど、所詮は魔術師。接近戦や機動力はこっちが上だ! 魔術を発動する前に接近して、仕留めてやる!」


 魔術を発動するには、魔法陣を展開しないといけない。

 熟練の魔術師といえど、魔法陣の展開時間をゼロにするのは不可能だ。その僅かな時間は、魔術師の大きな隙になる。この突撃はその隙を狙ってのものだ。

 更に突撃させた騎馬隊は密集させず、大きく広がりながら時間差をつけて突撃させている。

 これは魔術師が使ったとされる、噂の広範囲魔術への対策だ。

 もし万が一突撃する前に魔術が発動されたとしても、攻撃範囲以上に広がっていたなら、一撃での全滅は免れられる。


 俺は戦闘の混乱に乗じて、突撃させた部隊の様子が見える場所に移動する。

 あいつ等の結果次第で、戦況の行方が決まるのは間違いない。

 前線指揮官として、どのような結果になってもすぐ対処できるように、俺は全てを見届ける義務がある。

 

 突撃部隊の接近に気付いた魔術師はすぐに立ち止まり、魔法陣を素早く展開する。


「早い!?」


 魔術師は時間にして、一秒も掛からずに魔法陣を展開してみせた。

 突撃部隊と魔術師との距離はまだあり、先に魔術師の魔術が発動するのは明らかだ。

 

 ……しかし、それも想定内だ。

 広く展開して突撃してくる部隊を、一撃で全滅させるのは不可能に近い。

 数は減らされてしまうだろうが、残った者達が確実に魔術師へ一撃入れてくれるだろう。


「いけぇぇええええ!!」


 突撃した部隊を鼓舞するように俺は叫んだ。

 そして――。


 スドドドドドドドッ!!


 次の瞬間、地面から飛び出してきた無数の巨大な鋭い釘の様な突起物に貫かれて、突撃部隊が全滅した。


「…………は?」


 俺は目の前の光景を理解できず、間抜けな声を漏らす。

 

(何が起きた……? なんだあれは……? あの魔術は何だ!? どうして一瞬で全滅してるんだ!?)

 

 見た目は『アーススパイク』という魔術のようにみえる。地面から土の棘を突き出して攻撃する魔術だ。

 しかし俺の知ってる『アーススパイク』は、最大でも5本同時に出すのが限度のはずだ。百数本を同時なんて聞いたことがない!

 だったらあれは、俺の知らない別の魔術なのか?

 

 疑問が俺の頭の中をグルグルと駆け巡る。

 だが俺にその疑問の答えを導き出す時間はなかった。

 魔術師が次の魔術の準備を始めたのだ。

 魔術師を中心に巨大な魔法陣が出現する。

 そして魔術師が掲げた手の上に、膨大な魔力が集まっていく。


「あ、あれは、まさかッ!?」


 あの特徴、間違いない。例の報告にあった、ムーア王国王都の城壁を破壊した魔術だ!

 その時、俺は魔術師と目線が合った。

 そして奴が何をしようとしているのか、俺は瞬時に理解した。


「おいおい、本気かあいつ!? ここにはお前の味方もいるんだぞ!?」


 確証はない。でもあの迷いのない目を見れば確信を得るのに十分だ。

 あの魔術師は、あの魔術で味方ごと俺達を消し飛ばす気だ!


「総員撤退ッ! 急いでこの場から離れろおお!!」


 そこからの行動は早かった。

 俺の一声で兵士達は一斉に戦闘行為を放棄して、一目散に撤退を開始した。

 俺もそれに続くように全速力で撤退する。

 

 俺達ブロキュオン帝国軍の統率力は、大陸一と言われる程高い。その理由は、兵士達が指揮官の指示に瞬時に従うことにある。

 ブロキュオン帝国軍で指揮官に任命されるには、指揮官として相応しい能力を持っていることが必須だ。

 例え武力に優れていても、指揮能力が無ければ永遠に指揮官になれない。指揮官は、選ばれしエリートなのだ。

 兵士達もそれが分かっているからこそ、指揮官の指示に疑問を持たずに従ってくれる。

 そのお陰で、多くの兵士の命が救われることになった。


 撤退を開始してものの数十秒後、先程まで前線だった場所が凄まじい爆音と共に粉々に吹き飛んだ。

 強烈な爆発の余波で兵士の多くが吹き飛ばされ宙に舞ったが、直撃は間逃れたので幸いにも命を落とすこと無く怪我だけで済んだ。


 余波が収まって振り向けば、そこには焼け果てたクレーターだけが広がっていた。

 爆発の範囲内にいた人間は敵味方関係なく、文字通り蒸発して灰すら残っていなかった。


「――ッ!? 化け物がッ!」


 ……確信した。あれは真面まともに戦って勝てる相手じゃない。俺達とは、強さの次元が違いすぎる!


「ほう、なかなか逃げ足が速いな。じゃが、次はどうかな?」


 そう言って魔術師は次の魔術の準備を始めた。

 さっきと同じ魔術のようだが、さっきと集めている魔力量が桁違いだ。

 あんなのが当たったら、一体どれくらいの範囲が吹き飛ばされるのか想像もつかない……。

 

(とにかく今は一人でも多く、この場から撤退させないと!)


 しかし周りを見ると、半数ほどの兵士がさっきの魔術の威力を見て腰を抜かし動けなくなっていた。

 無理もない。あんな化け物の力を目にしたら、誰だってそうなるだろう。

 だが今はそんな気持ちに同情している暇はない。

 

「何してるお前等! 死にたくなかったら死に物狂いで動け! 足が動かないと言うなら手を使って走れッ! 俺はお前達をそんな腰抜けに育てた覚えはないぞッ!!」


 俺の叫びを聞いて我に返ったようで、腰を抜かしていた兵士達が立ち上がって一斉に駆け出した。

 そうだ、それでいい。

 どんなに無様でも、今は生き残ることを優先するんだ。


 撤退していく兵士達の背中を見送りながら、俺は両腰の二本の剣を鞘から引き抜いた。

 そして逃げる兵士達と反対側……魔術師の方へと足を進める。


「……ほぅ、あの惨状を見て尚、このワシに一人で挑む気か? それは勇気ではなく無謀と言うのじゃぞ。それとも、ただの獣にはそんなことも理解できないだけか?」


 一人で向かってくる俺に興味を示したのか、魔術師が話しかけてきた。

 

「俺はブロキュオン帝国軍近衛兵長の一人、“ヒルデブランド”! 少しの間相手をして貰うぞ、サピエル法国の魔術師よ!」

「近衛兵長……確かブロキュオン帝国軍の最高幹部だったか? ……なるほど、セリオに負けず劣らずの戦士の目をしておる。だが、それだけじゃな。ワシの相手にすらならぬわ」

「試してみるか? この距離は既に俺の間合いだぜ」


 これは嘘でも誇張でもない。俺と魔術師の間には20メートルほどの距離はあるが、俺の身体能力なら一瞬で懐に飛び込んで斬撃をお見舞いすることは容易い。

 ただそれでも、この魔術師に勝てる自信が全く持てない。

 にも拘らず俺がこうして立ち向かっているのは、部下の兵士を一人でも多く逃がす時間を稼ぎ、指揮官として作戦失敗の責任を果たすためだ。

 あのまま無様に逃げ帰りでもしたら、それこそ陛下の顔に泥を塗ることになる。

 それだけは俺のプライドが許さない!


「……なるほど、獣にしてはいい覚悟じゃ。では、お前のその覚悟がただの無謀であったことを思い知らせてやろう」


 そう言って魔術師は展開した魔法陣を消し、準備していた魔術の発動を止めた。

 そして俺に向かって片手を突きだすと、指をクイクイと動かし挑発してくる。


「来るがいい。お前の誘いに乗ってやろう」

「そうこなくちゃ、なッ!」


 俺は全力で地面を蹴り、一直線の最短距離で魔術師に接近する。

 一瞬で間合いに飛び込んだ俺は、剣を握る両手に力を込めた。


 ――ゾワッ。


 その瞬間、俺の本能が全力で警鐘を鳴らした。

 

「――ッ!?」


 俺は咄嗟に攻撃する手を止めて、横方向に急転回して体を捻る。

 すると次の瞬間、俺の顔スレスレの所を何かが高速で掠めていった。

 急な姿勢変化で体勢を崩した俺は、地面を勢い良く転がる。幸い受け身を取れたので怪我はない。


「これは驚いた……ワシの魔力弾を初見で避けるとは、セリオ以上の反射神経じゃ。いや、それともただの獣の直感か? ……まあ、試せば解ることじゃな」


 魔術師はそう言って、大量の魔力弾を一瞬で周囲に展開してみせる。


(……冗談じゃねぇぞ!? さっきの一発は本能と直感でなんとか避けれたんだ。なのにこれだけの数をさっきと同じ速度で撃たれたら……もう本能と直感だけじゃ躱しきれねぇ!?)


 最悪の状況だと、俺は瞬時に理解した。

 だが魔術師は、俺にその状況を打開する方法を考える時間すら与えてくれなかった。


「くそおおおおお!!!!」


 俺はその時、人生の中で一番と言えるくらい死に物狂いで身体を動かした。

 命懸けで本能と直感をフル活動させて、大量に飛んでくる魔力弾を避けまくる。

 しかしそれでも、やっぱり全てを避けるのは不可能だった。

 避けきれなかった数発の魔力弾が、凄まじい衝撃で俺の身体を吹き飛ばした。


「カハッ――!?」


 俺は受け身を取ることすらままならず、地面に強く落下した。

 攻撃を受けた箇所の骨は折れ、内蔵にもかなりのダメージを負っているようで、咳き込むように大量の血を吐く。

 視界も霞んできて、指一本すら動かすことが出来ない。


「ふむ、やはり獣の直感の方だったようじゃな」


 倒れる俺を眺めながらそう呟く魔術師の声が近くから聞こえてくる。

 いつの間にか俺の近くまで移動していたようだ。

 俺はなんとか首を動かし、魔術師を睨む。


「ほう、まだそんな眼を出来るか……気に入ったぞ。どうだ、人間に転生してみないか?」


 突然魔術師が訳の分からないことを言い出した。


「な……にを……?」

「お前はとても優秀じゃ。獣にしておくのは惜しい。だからワシの力でお前の魂を救済し、次の生を人間として生まれ変わらせてやろうと言っているのじゃ」


 こいつは一体何を言っている……?

 救済? 人間として生まれ変わらせる?

 意味が分からなすぎて思考するのが馬鹿らしくなりそうだった。


「人間とは神が作った完璧な存在じゃ。その姿は至高でなくてはならず、他の物が混ざって良いものではない。だからこそワシには、人間になれなかった者の魂を救済し、人間に生まれ変わらせる崇高な使命がある。それが唯一神、サピエル様の望みなのじゃ! ……さあ、お前も人間として生まれ変わるのじゃ」


 魔術師は優しい言葉で俺にそう言って手を差し出してくる。

 その表情は慈愛に溢れていて、一切の淀みがなかった。

 こいつは、本当に神を信じている。だからこそ自分の行動が正義であると何の疑いも持っていない。

 実に清々しい男だった。


 ……気持ち悪くて反吐が出るぜ!


「はっ! くそくらえだ……異常者がッ! 誰が、てめぇなんかに、救われたいと、思うかよ!」

「……そうか。やはり所詮は獣じゃったか」


 倒れる俺を魔術師は静かに見下ろしながら魔法陣を展開する。


「お前の全てを浄化してやろう」


 魔術師は俺に狙いをつけ、魔術を発動させる。

 魔法陣から大きな炎が飛び出し、倒れる俺に容赦なく襲い掛かる。

 

 ……だが、その魔術が俺に届くことはなかった。

 魔術が当たる直前、俺の周囲に光る壁が現れ、攻撃を防いだのだ。


「――僕の大切な家臣に手を上げるのは、そこまでにしてもらおうか?」

「……へっ、待ちくたびれましたよ。陛下」

 

 全身の痛みを無視して振り向けば、我が偉大なる皇帝陛下が俺の方に向かって歩いて来るのが見えた。

 

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