165.竜の末裔と神を目指す者1

 プアボム公国連合軍が貿易都市に向かったサピエル法国軍を追いかけるように出撃した丁度その頃――。

 ムーア王国と貿易都市を結ぶ街道上で、サピエル法国とブロキュオン帝国の軍勢が激しい衝突を繰り返していた。

 

「……」

 

 ブロキュオン帝国皇帝“エヴァイア・ブロキュオン”は、激しい衝突を繰り返すそんな戦場を自陣から望遠鏡で静かに観察していた。


「皇帝陛下ッ!」


 そこに一人の兵士が息を切らせて走ってくる。

 エヴァイアは望遠鏡から目を離して、走ってくる兵士の方へ体を向ける。


「戦況は?」


 兵士の顔を見たエヴァイアはその兵士が何をしに来たのか、すぐに察しがついた。

 といのも、戦闘が始まってから毎回この兵士が戦況の報告に来ていた。

 今ではエヴァイアもこの兵士の顔をすっかり見慣れ、何も言われなくとも兵士が持ってくる戦況報告を反射的に聞くようにまでなっていた。


「ハッ! 戦況はここ数日と同じく拮抗しており、依然として我が軍が敵の進撃を防いでおります」

「わかった。引き続き現状を維持するように前線に伝えてくれ」

「畏まりました!」


 一礼して走り去っていく兵士を見送り、エヴァイアは再び望遠鏡を使って戦況を観察する作業に戻る。


 サピエル法国との戦闘は、すでに三日目へと突入していた。

 激しい衝突を繰り返す戦線は押されたり押し返したりを繰り返しているが、結果的に見れば衝突時から動いてはいない。

 これは先ほどエヴァイアが兵士に伝えたように、ブロキュオン帝国軍が戦線の現状維持を徹底しているからに他ならない。

 

「ここまでは想定通りだ。敵の猛攻に皆よく耐えてくれている。しかし……」


 望遠鏡から目を離して、エヴァイアは後ろを振り返る。

 そこでは陣地の中をせわしなく走り回る、沢山の人の姿があった。

 担架に乗せた兵士を運ぶ者、負傷兵が収容されたテントに頻繁に出入りする者、その様子を見て慌てて次の出撃に向けて準備する者。

 そこには、前線で戦う兵士達のような緊迫した雰囲気が漂っていた。

 もちろんそうなっている原因を、エヴァイアは正確に理解している。


「まさか負傷兵が、ここまで多くなるとはな……。それだけ敵の戦力が想定を上回っていたか……」


 それは敵の戦力が予想していたよりも強力だったことだ。

 エヴァイアはこの戦争が始まる前に、元サピエル法国教皇親衛隊のリチェから、サピエル法国軍の情報を余すことなく聞き出していた。

 今回の戦いの作戦や戦力の配置などは当然その情報を基に組まれていたのだが、いざ戦いが始まってみると敵の戦力はリチェから得た情報よりも遥かに強かったのだ。

 今は何とか立て直して押し戻すことには成功したが、そのために多くの兵員を酷使してしまい想定以上の負傷者を出す結果となってしまっていた。

 

「だが、リチェからの情報が間違えていたとは思えない。しかし現に敵の戦力は情報とは違う。う~ん……君はどう思う?」


 不可解な矛盾の答えを求めるように、エヴァイアは隣にいる人物に意見を求めることにした。

 ブロキュオン帝国の皇帝から頼られるなんて、ブロキュオン帝国の人間なら畏れ多くも名誉な事に感涙して大粒の涙を流しただろう。

 だが今エヴァイアの隣にいた人物には感涙している様子はなく、むしろそれとは対照的な不機嫌な顔をエヴァイアに向けていた。


「どうって聞かれても、私が知るわけないじゃない……」

 

 その人物、セレスティアは投げやり気味に答える。

 明らかに機嫌が悪い雰囲気を漂わせているが、セレスティアがこんなに不機嫌になっているのも無理はない。

 実はブロキュオン帝国軍が貿易都市から出撃した際に、エヴァイアはセレスティアを同伴者として連れ出していたのだ。

 勿論セレスティアは同伴を断った。だがエヴァイアはあれやこれやと理由を持ち出してセレスティアの説得に成功した。

 ただしそれはセレスティアがエヴァイアの説得に折れただけのことで、内心では行きたくない場所に連れてこられた子供のように拗ねまくっていた。


「いい加減機嫌を直してくれよ。セレスティアの立場や気持ちは理解しているけど、今回の戦いはセレスティアが一緒にいる方が良いと僕の直感が告げているんだ。自慢じゃないけど、僕の直感は外れたことがないんだよ」

「それはここへ来る前に何度も聞いたわよ。……はぁ~、それで、私に何を聞きたいのかしら?」

「話を戻してくれて助かるよ」


 エヴァイアはニコリと微笑むが、セレスティアにはそれがエヴァイアのてのひらの上で遊ばれているように感じてしまい、更に表情を暗くして諦めの溜息を吐く。

 エヴァイアはそんなセレスティアの態度に、あえて触れずに話を進めることにした。


「さっきも言ったけど、リチェからの情報と実際の戦力の差異についてだ。どうしてこんな矛盾が起きていると思う?」

「……現状を普通に考察するなら、リチェからの情報が間違えていたと考えるのが自然ね。だけど、そんなことはあり得ないわ」

「どうしてだい?」

「エヴァイアも分かってるでしょう? リチェに掛かっている洗脳はとても強力なものよ。そしてその洗脳は簡単に解くことはできない。だからリチェが嘘をつくことはあり得ない」

「うん、その通りだ。そう聞いているからね」


 リチェに掛かっている洗脳はユノが掛けたもので、今はエヴァイアに忠誠を誓うように調整されている。

 だからリチェがエヴァイアの質問に噓をつくことはあり得ない。

 そのことはユノがしっかりと説明しているので、当然エヴァイアも知っている。

 

「だけど実際は目の前の通りさ。敵の強さは情報以上だ」

「だったら考えられる可能性は一つしかないわ」

「それは?」

「リチェが洗脳された後に敵が強くなったということよ」

「……やっぱりそれしかないか」


 エヴァイアの口ぶりは、まるでセレスティアと同じ結論に辿り着いていたかのようだった。

 実を言ってしまうと、エヴァイアはセレスティアに聞く前から既にその結論には達していた。

 だがその結論はあまり現実的と言えるものではない。何故なら強くなっていたのは数人程度ではなく、兵士全体が強くなっているからだ。

 数人程度ならリチェが洗脳された後からでも強くなる事はあるかもしれない。しかし数十万単位の兵士全てが短時間で強くなるなんて現実的に考えてあり得ない。

 だからこそエヴァイアは自身が導き出した唯一の結論に、懐疑的にならざるを得なかったのだ。


「となると問題は、、だね……」

 

 セレスティアが同じ結論を口にしたおかげで、ようやくエヴァイアは自分の導き出した結論が間違いではないと信じることができた。

 しかしその結論を確定づけたことで生まれた、新たな疑問に「う~ん」と唸って頭を悩ませることになってしまった。

 

 だが、そんな悩みに思考を奪われていたエヴァイアを、セレスティアの一言が引き戻す。

 

「どうやったかはこの際どうでもいいんじゃないかしら?」

「そうかな?」

「そうよ。だって今問題にするべきなのは、強くなった敵よりもの存在でしょ?」


 セレスティアはそう言って戦場の奥の方、サピエル法国軍の本陣の場所を指差す。

 そこには、とてつもなく巨大な魔力が溢れて渦巻いていた。

 魔力量は感じ取れるだけでもエヴァイア以上。まさに異常とも言えるほどの膨大な魔力だった。

 

 魔力は普通であれば目で視認することは出来ない。セレスティアやエヴァイアみたいに魔力に敏感な者であれば視認できないこともないが、そんなことを出来るのは世界でもほんの一握りだけだ。

 だが、今サピエル法国軍の本陣から溢れ渦巻いている異常なほどの膨大な魔力は、エネルギーとなって周辺の空気をまるで竜巻のように動かしていた。

 そうして発生した不自然な空気の動きは陽炎のような揺らぎを作り出し、魔力を視認できなかった者でも擬似的に魔力を視認できるようになっている。


「空気を揺らすほどの膨大な魔力。間違いなくあれが、ムーア王国王都の城壁を吹き飛ばした魔術師でしょうね。……で、皇帝様はどうやって対処するつもりかしら?」

「大丈夫、策はある」

「それじゃあ任せてもいいわね。私としては面倒事にならずに済むならそれに越したことはないわ」

 

 セレスティアはそのままエヴァイアに全てを任せるように踵を返したが、そうさせまいとエヴァイアが肩を掴んで引き留める。

 

「まあ待ってくれよ。策はあると言っても一応だ。成功するかは正直分からない……」

「あら? ブロキュオン帝国の皇帝ともあろう人が、随分と弱腰なのね?」


 今まで散々いいように扱われた仕返しとばかりに、セレスティアはエヴァイアに嫌味をぶつける。

 これにはエヴァイアも痛いところを突かれたように眉をひそめるしかできなかった。

 

「そう嫌味を言わないでくれ。……策は考えたけど、僕自身が成功に確証を持てていないんだ。勿論やるからには全力で挑むつもりだ。だけどもしもの時は、セレスティアに頼らせてほしい」

「つまり、私はその時の保険ということ?」

「そういうことだ。頼むよ、この通りだ!」


 エヴァイアは手を合わせると勢いよく頭を下げた。

 ブロキュオン帝国の皇帝が頭を下げる。ブロキュオン帝国の人々からすれば驚きで目を疑ってしまう行動に、周囲の空気が一瞬で凍り付いた。

 そうなると当然、周囲の視線はエヴァイアが頭を下げている先、つまりセレスティアへと集中する。


「や、やめてエヴァイア、分かったから! もしもの時は私が何とかするから! 目立つ行動はやめて!」

「ありがとうセレスティア。感謝するよ」


 エヴァイアが頭を上げたことで何とか場の空気は元に戻ったが、代わりにセレスティアの肝が大層冷え込む結果となってしまった。

 

「はぁー……そんなことしなくても、同伴の説得をされた時からそんな気はしていたし、その覚悟はしてたわよ。だからこれ以上、私が目立つようなことはしないで頂戴……」

「ああ、気を付けるよ」


 あまりにも明るい声で返事をするエヴァイアに、セレスティアは「本当に分かっているのか」と言いたげに目を細めてエヴァイアを静かに睨む。

 しかし当のエヴァイアは、セレスティアの視線を全く意に介した様子もなく受け流している。

 抗議の目を簡単に受け流す処世術は、皇帝をやっているだけあってエヴァイアにはお手の物であった。

 それを見たセレスティアはこれ以上何を言っても無駄だと諦めの溜息を吐き、「魔術師が動いたら教えて……」と一言だけ残して、とぼとぼと自分の天幕に引き上げるのだった。

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