2時限目 ノトラ村のマリアベル
「マリア、ご飯よ!」
自室で本を読んでいた私は、リリアの呼び声に顔を上げた。
私は三歳になっていた。私にマリアベルという名が付いて三年、この世界の日常会話にもだいぶ慣れてきている。鏡が家に無いので自分の姿を見ることはあまり無いのだが、赤みがかった白金色の髪と少し尖った耳が周囲の村民と比較して少し浮いている様な気がする。ノワールが私を長命な種族に転生させると言っていたので、やはり周囲の人間とは全く別の種族に違いない。
リビングに入ると、カインは既に食卓に着いて家族が揃うのを待っているようだった。
「おはようございます、お父様」
「ああ、おはようマリア」
私も彼の向かいの席に座り、リリアが食事の準備を終えるのを共に待つ。これがこの家の朝の日常風景であった。
「さあ、食べましょうか。ルコリエ」
「ルコリエ」
三人揃ったところで朝食が始まる。ルコリエというのは自然の恵みに感謝を、という意味の古代語だと教わった。一人一つ首から下げたアミュレットを口の前まで持ってきて、ルコリエと唱えるのがルールだ。
ちぎったパンを口に入れかけたカインが、ふと何かを思い出したように話し出した。
「マリア、今日も魔女のところに行くのか?」
「はい、そのつもりです」
魔女と呼ばれているのは、村を囲む森に少し入った所にある一軒家でひとり隠居している、ゼル婆と名乗る老婆である。ノワールの言う通りこの世界には魔術が存在しているのだが、外界から隔絶されたこの村──ノトラ村には魔術を使える人がいないどころか、魔術の存在すら知らない人達がほとんどであった。
「今日も魔術の指導をして貰える約束になっていまして」
「そうか……」
なにか含みのあるような言い方でカインは相槌を打った。
別にカインに限った話ではなく、ゼル婆は村人たちから得体の知れない存在として気味悪がられていた。魔術どころか文字すらも必要としない彼らの生活に、森の外から大量の本を持ち込んだ魔術士である彼女を恐れるのは仕方の無い事だと思う。だがゼル婆の人柄を既に知っている私が、彼女に対して村へ馴染んで欲しいと気を揉んでしまうのもまた仕方の無い事だろう。私は少し不機嫌になりながら伝えた。
「良い人ですよ。知らない物を恐れる気持ちは分かりますが、それは相手も同じ事でしょう。助けてくれる人がただ一人もいない魔女様よりも、周囲に気心の知れた存在のいるお父様達から歩み寄ることが必要だと思います」
三歳児から説教されるなどとは夢にも思わなかったのだろう、カインは目を丸くしてからばつが悪そうに肩をすくめた。
このノトラ村は果ての見えない深い樹海により外界と断絶された五十人規模の村落である。私が村の外の情報を手に入れようと思えば、森の外からやってきたゼル婆の知識を借りる必要があるため、数週間前から彼女の家へと通っている。
「おはようございます。ゼル婆様」
「おはよう、マリーちゃん」
ドアノッカーに手が届かないので、私はいつも手でノックする。そうするとゼル婆はドアを開けて私を歓迎してくれるのだが、その時の嬉しそうな微笑みは皆が言うような悪い魔女等ではなく、孫娘に甘い好々爺そのものである。そのとき私はゼル婆を悪く言われたことを思い出して、 またもや腹が立ってきた。
「ふふ、少し感情が揺れているようね。魔術の準備をしておくから、その間読書でもしてきたら?」
私が何にぷりぷりしているのか何となく察したようで、私の大好きな読書で心を落ち着かせようとしたみたいだ。ゼル婆に気を遣わせたことを少し申し訳なく思いながらも、私は彼女の誘いに素直に従うことにした。
私はゼル婆が迎えてくれた客間の奥に広がるこぢんまりとした書庫へと向かい、先日まで読んでいた本を棚から引き出した。
この世界に来て三年、日常生活とここで読む本のおかげで段々と状況が理解できるようになってきた。
まず、この世界は地球に非常に似ている。空には太陽と月が浮かび、一日はおよそ二十四時間、そして一年が三百六十五日。ここまでなら偶然で済んだかもしれないが、この場所では四季が存在することも確認できた。そもそも季節とは、地球の自転軸が二十三・四度傾いていることで起きる現象であるため、ここが地球である可能性が極めて高い。
──何故ここまで情報が一致していて「地球である」と断言出来ないのかと言うと、夜の星空に見た事のある星座が存在しなかったからである。地学等は門外漢ではあるが、それでも星座はある程度知っている。この三年間何度も確認したが、この世界の星空は地球の北半球側、南半球側どちらから見た星空とも大きく違っていた。それどころか、しばらくすると星が消えたり、新しく出来てしまっている天文学者泣かせな仕様なのだ。
私の周りの暦や気象条件等からはここが地球であると推理することが出来るのに、星空からはここが地球でないと導き出される奇妙な現状に私は考えるのを放棄した。最終的にはここがどこかなんてどうでも良く、この際私の住んでいた地球と環境が似ていてラッキーと思うようにしている。
私は引き出した本を開くと、それが神学の本であった事を思い出した。この世界の神話、特に創世神話は私にとって興味深い内容であったため、私は反復しようとページを遡った。
世界には光の世界と闇の世界に二分されていた時代があった。それぞれの世界の統治者であった光の女神と闇の女神、そして彼女等の信徒であった光の民と闇の民は互いの存在を知らずに過ごしていた。
ある日、光の民が増え過ぎて光の世界は窮屈になった。光の女神が普段のように光の支配領域を押し広げると、闇の世界を侵略した存在であるとして闇の女神からの攻撃が始まってしまう。
そうして光の女神と闇の女神の領域を賭けた戦いが何年も、何百年も続いたある日、優しい女神達が自分たちのために争っていることに心を痛めた光の民と闇の民は、二柱の女神が和解するように必死で説得した。元々聡明であった女神達は彼等の説得に耳を傾け、話し合いで解決しようという流れになった。
女神達の話し合いの結果、一日のうちの半分を光の民のための時間に、もう半分を闇の民のための時間に分けることで和解した。これが後の昼夜である。そして両者和解の証として、闇の女神からは光の時間に闇を与える雲を、光の女神からは闇の時間に光を与える月と星を互いに贈りあった。争う理由が無くなった光の女神と闇の女神は長きに渡る戦いの末に奇妙な情が芽生えており、非常に親しくなった結果、後に数柱の女神を儲ける事になるのだが、これはまた別の話。
──そう、この世界の神話では女神同士で子供を作っているのである。私が知らないだけかもしれないが、これは地球の数ある神話でも見られない特徴の一つだと言える。とはいえ、頭痛が酷いので頭を割ったら甲冑をフル装備した女神が出てきたとか、川で身体を洗ったら何柱もの神が産まれたとかいうトンデモ神話エピソードに比べたら、神同士の間で生まれている分幾ばくかマシには感じてしまう。
「マリアちゃん、準備出来ましたよ」
そうこうしているうち、ゼル婆が私の名を呼んだ。彼女の声に従って外に出ると、地面に刺さった一メートル程の高さの丸太に、布が幾重にも巻き付けられている。私がこれを見るのは初めてではなく、これまでも初歩の攻撃魔術を練習する際に的として使っていた。
「それじゃあこれまでのおさらいで、全属性の初級投擲魔術を一つずつ見せてもらおうかしら」
ゼル婆は丸太の的に向かって、手に持ったワンドを挑発的に振るった。私はその言葉に頷きつつ、魔術の詠唱を開始する。属性選択は火だ。
「──光に御座すは火の女神。御身の振り撒くその片鱗、我が手に集いて形を成し、仇なす者を貫かん──『
魔術名を口にしながら私が手を的に向けて伸ばすと、詠唱中に溜めた魔力が熱を帯びて矢の形を形成し、真っ直ぐ放たれた。ボッ、と小さく音を立てて的に当たると、巻かれた布が僅かに焦げ付き、あたりは再び静寂に包まれる。
「──やはり火が強いのね……」
ゼル婆は難しそうな顔をしながら私に聞こえるか聞こえないかという声の大きさで独り言ちた。私が見ていたのに気が付いたのか、ゼル婆はハッと顔を上げた。
「なんでもないわ。さあ、次は風をお願いできるかしら?」
私は彼女の言葉に促されるまま、魔術詠唱を開始した。今度は属性選択で風を選択し、同じように矢の形を形成してゆく。
「
決まった──と胸を張って言いたいところだったが、魔術名を叫んだ瞬間、ぽひゅ、とマヌケな音がして矢は霧散した。もちろん的には傷一つない。
「はい、落ち込むのは後にして、残りの二属性も終わらせてね」
私が上手くいかなくてむくれていると、ゼル婆は次の魔術を催促した。
先程と同じように詠唱を行い、水属性の「
「今ので四属性の初級魔術を連続で使ったけど、気分が悪いとか無いかしら?」
私は首を横に振って否定した。
通常、初級魔術でも四回も連発してしまえば結構な魔力消費になるようで、下級貴族程度だと吐き気を催してしまったりするらしい。私はゼル婆から魔力を増やすトレーニングの方法を教わってから魔力容量が増えに増え、今では先程の魔術行使も大した負担になっていない。
「やっぱり年齢の割にかなり魔力があるわねぇ……いい事だわ。それじゃあ一通りの属性が扱えるようになったところで、属性力についてのお話をしましょうか」
ゼル婆に手招きされて再び家に入る。こういう時はだいたい座学の時間と決まっていた。
「魔術を教えるにあたって一番最初に説明したけれど、魔力や物体には属性力という値があるの」
ゼル婆曰く、属性には火、水、風、土の基本四属性と、光、闇、氷、雷の特殊四属性の計八属性が存在している。魔術を使う際、その魔術と対応する魔力の属性力が高いほど消費魔力が減少する。つまり、同程度の魔力消費であっても、術者の属性力如何によって威力が上下されるということだ。
「貴女の属性毎の魔術の傾向によるなら、火が得意で、次点に土と水、風が最も苦手ということになるわねぇ。さ、これに少し血を垂らしてみて」
言いながらゼル婆が差し出したのは、銀色をした小さな円盤状の物体だった。パッと見は何の変哲もない何かのパーツのようだったが、光の反射で刻印のようなものが刻まれているのが見えて魔術具の一種だと察した。
私は魔術具と一緒に差し出されたナイフを受け取り、親指を軽く切って血を一滴だけ垂らした。
「つっ……!」
私自身出血に慣れていないのと、この体になってから怪我をあまりしたことも無いのもあって、指を少し切っただけで血の気が引き、涙目になっていくのがわかる。
「光に御座すは風の女神。御身の愛する想い人、彼の者治した矢傷さながら、我が隣人を癒し給え。『
ゼル婆がおもむろに私の手を取ったかと思うと、彼女の魔術で周りが淡い緑色に輝き、次の瞬間には私の切り傷は跡形もなく消えてしまっていた。
「ごめんなさいね。そこまで痛がると思っていなかったわ……」
普段から大人びて見えると度々口にしていた彼女だったが、私が年齢相応の反応を見せたことが新鮮なのか、申し訳なさ半分面白半分で謝罪した。
確かに私は精神年齢が前世を含めて二十後半程だ。だが種類問わず感情が高ぶると制御が効かなくなってしまうのは、私の精神が肉体に引っ張られているからだと思う。普段から冷静に状況判断をするよう心掛けている私であるが故、父の偏見に腹を立て続けたり、多少の出血で半泣きになってしまったりするのが大人の精神を持つ私には恥ずかしく感じてしまう。
「さあ、これを見て」
ゼル婆は私の血を乗せた円盤を机の上にある羊皮紙に置いた。すると、私の血が淡く輝き出し、円盤を伝って羊皮紙にいくつかの線を描き出す。その線はそれぞれ赤、緑、青、橙と色とりどりの色彩を持ち、色ごとにその線の長さはまちまちだ。赤が最も長く、逆に緑はとても短い。橙が赤に次いで長く、青はそれよりも僅かに短いという程度だろうか。
「やはり赤、火の属性力が最も強く、土と水が少し得意、風が絶望的、という結果になったわね。一応こっちも見てみる?」
ゼル婆はそう言うと、四色の光の線を描いた羊皮紙とは別の羊皮紙を指差した。断る理由もないので、私はとりあえず頷いた。
今の羊皮紙が先程説明があった基本四属性だったので、今出された羊皮紙は特殊四属性に対応した物だろう。光と闇は大小の差はあれど誰しもが必ず持つが、どちらか一方しか持ちえない対照属性と呼ばれる。対して氷と雷は高い属性力を持つ者や素材が極めて少ないため、希少属性と呼ばれているとは彼女の弁。
ゼル婆は先程と同じように、もう一方の羊皮紙に私の血を乗せた円盤を置く。もう一度指を切る必要があるのかと内心ビクビクしていた私は、血を再利用できると知ってゼル婆に気付かれないよう安堵した。
今度は白、黄、紫の三色が線となって浮かび上がった。線一つ分のスペースが空いているように見えるのは、対照属性の片方の属性値がゼロだからだろう。
「これは一体どういうこと……?」
私がふむふむと頷いていると、隣でゼル婆が驚きの声を上げた。
「何かおかしいですか?」
「何度か説明したとおり、氷と雷は希少属性なの。僅かでも適性があるだけで珍しいのに、二つともこの高さは本当に凄いことだわ」
──あ、そうか。線の長さ自体はさっきの土や水属性と大して変わらなかったので特に気にもしていなかったが、この二つは希少属性。高い属性力を持つのが珍しい属性なのだから、二つとも高いのは確かに異常事態だろう。
「自然にこうなることはないはずだけれど、何か心当たりはあるかしら?」
もちろん、無いはずがない。
人の属性力の高低には、種族、血統(遺伝)、環境、性格、練度の五つの要素が密接に関わってくるとされている。希少属性の二つが希少なのは、基本四属性に比べて環境による属性力の強化が難しいからだと私は推測している。私は前世の頃に電化製品に囲まれ、アイスや冷凍食品を食べて暮らしていたのだ。時々落ちる雷や、冬にしか降らない雪でしか属性力を上げられないこの世界の住人とは訳が違う。ノワールが魔術の素質を高めに設定してくれたそうなのでそれが原因かもとも思ったが、それだけなら風の属性力の低さが説明できない。
「練習を重ねれば属性力は高めていくことが出来るわ。基本四属性ももちろんだけれど、この二つを極めていけば必ずあなたの武器になる」
誰も知らない魔術なら誰も対応方法を知らないはずなので、ゼル婆の言うとおり私にとって大きな武器になるだろう。彼女の示してくれた新たな可能性に、私は期待に胸を弾ませた。
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