転生幼女エルフ先生

秋雲コリウス

第一部 転生教師の奮闘

1時限目 先生、転生!?

 ふと目を覚ますと、私は真っ暗な場所にいた。木々がざわめく音と鳥獣の声が絶え間なく聞こえ、冷たい風が頬を撫でる。風に揺られた木の葉の隙間からちらちらと星が顔を出すも、私の周りを照らすまでは至らない。私の周囲に淡く発光する小さな花がまばらにあるだけで、その他に光源らしきものは無さそうだ。

 周りから聞こえる音とフィトンチッドの香り。見えなくても分かる。ここはきっと夜の森だ。

 どこにいるのかは分かったものの、何故ここにいるのかが分からない。私はここに至るまでの記憶を呼び起こした。


 私は教師だった。

 中学三年生の担任だった私は、自分で言うのも何だが、生徒から慕われていた方だと思う。かと言って甘やかしていたわけでもなく、自分自身の体感では厳しさと親しみやすさがいい塩梅の理想的な教師であったと自負している。

 その日、私達の学年は修学旅行で京都に来ていた。バスから降り、駐車場から離れていつものように整列させる。皆基本的に京都に来るのは初めてなようで、程度の違いこそあれど、どの生徒も浮き立っているのがわかる。

「ほらそこ、前を見て歩いてくださいね!」

「はーい」

 私は自分のクラスを率いて団体行動をしながら、注意散漫になって列から外れかける生徒を戒める。とはいえ、彼等はこれが終われば受験勉強に追われる身。浮かれる気分も理解できるので、あまりしつこくは注意しないでいたのだ。

 今思えば、それが大きな間違いだった。

 ふと後ろ向いた瞬間、自家用車がこちらに高速で向かってくるのが見えた。明らかに駐車場で出して良いスピードではない。私達の集団から少し逸れているため皆に声をかけて経路上から避ければ、誰も怪我をせずに終わるはずだった。

「危ない!」

 ところが、先程注意した女子生徒が列から逸れていたことで車の経路上に立っている上、スマホを弄っていたせいで周りの生徒たちが動き始めたことに気付くのが遅れた。自分がどんな状況に置かれているのか分からず、立ち尽くすしかない彼女に私は駆け出した。

 気が付くと、私は救急車に載せられていた。生徒を押し出し、代わりに私が車に跳ねられてしまったようだ。内臓をやられてしまったようで、呼吸をするのもままならないが不思議と痛みは感じない。

 お腹より下の感覚は無いが、私の右手は温もりに包まれている。言うことを聞かない首をなんとか動かして右手を見ると、私が庇った女子生徒が私の手を握りながら咽び泣いていた。

 ──しまったなぁ、そんな顔をさせるつもりはなかったのに。

 強く生きて、そう伝えたいのに、それすらも出来ない自分の衰弱っぷりに深く絶望する。次第に救急車のサイレンと、教え子の泣き声が遠のいていくのを感じる。

 ──そうか、私は死ぬのか。

 生徒を庇って死ぬなんて、教師としては理想的な最期なのでは無いのだろうか。そんなことを考えたら私は現状に満足してしまい、生に対する執着が薄れていくのを感じた。静かに、そして着実に這い寄る死への予感。その感覚に身を委ね、私の生は終わりを告げた。

 はずだった。

 急に意識がはっきりとし始め、重かった瞼も身体も自由に動くことに気が付いた。ところが、先程まで聞こえていた救急車のサイレンも、アスファルトを走るタイヤの音も、教え子の声も聞こえない。不思議に思い視界が掠れていた目を擦ると、想像を絶する状況に目を疑った。

 走っていたはずの車の窓から、停止した景色が覗いていた。私の手を握る生徒も涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、ぴたりと動きを止め、彼女の手からは温もりも失われてしまっている。

 これは一体どういうことだろうか。

『お目覚めかしら?』

 困惑して状況を全く理解出来ていない私に呼びかける声があった。時が止まり、静寂に包まれた世界で聞こえる唯一の声。どこから聞こえるのかと身体を起こして周りを見ると、いつの間にか黒猫が我が物顔で居座っていた。

「猫……?」

『遅いのよ、反応が』

 間違いなくその黒猫の口が動き、人間の女性の声でそう言った。私が慌てふためくのを見て、彼女はケラケラと笑う。

『人の──いや、猫の顔見て驚くなんて、失礼しちゃうわ』

「喋ってる……」

 反応が遅いと言われてなおも一周遅れの反応をする私に、黒猫は処置なしという風に溜息を付く。彼女の呆れたような顔は、猫のそれとは思えないほどに表情豊かだ。

『細かい事気にしてると女性でも禿げるわよ。まあ、禿げる肉体がもうないのだけれど』

 何を言っているのかと、私は座った状態の自分の身体を見下ろす。自分の思い通りに動く両手を見て、ふと、教え子に握られていた右手が自由になっていることに気が付いた。恐る恐る動きを止めた生徒に目をやると、彼女の手には今現在動かしている私の手とは違う手が握られていた。その手の持ち主を目で辿り、私は現在の自分の状況をはっきりと理解する。

『貴女、もう死んでるのよ』

 生徒が握っていた手は、私の手だった。

 今意識がある私とは別に、世界と共に動きを止めた私の身体──私だったものが、座っている今の私と下半身をぴったり重ねるようにして横たわっている。正に、幽体離脱と言われて頭に思い浮かぶイラストと全く同じような状態だ。心做しか、今の手の先は透き通っているように見える。

『通常、この世界で死ねば魂は輪廻へ還る。今の貴女は私の手で世界から切り離され、還る輪廻を失った事で一時的に自我を保てている魂に過ぎないわ』

 魂とか輪廻とか、色々と聞きたいことはあるけれど、彼女の口ぶりからしてこの状態の私もそう長くはもたないようだ。

『貴女なかなか面白いから、このまま輪廻に戻すのは勿体ないなぁと思ったのよ。だから違う世界で転生させてあげる。何か希望はある?』

 彼女曰く、この世界は自分の管轄外なためこの世界で転生することは出来ないが、自分の世界に魂を運んできて転生させることは可能らしい。この世界で勝手に転生させるとこの世界の管理者から文句を言われるが、人一人分の魂を別世界に動かす程度なら事後報告で構わない事になっているそうだ。精神体である魂だけならともかく、物質体である生体の操作は世界への影響力が大きいため、違う世界への物質体干渉はご法度とされているのだと彼女は言った。

 なぜ彼女が私をそこまで気に入っているのかは分からないが、せっかくの好意に甘えてみることにした。生まれ変わって違う生を授かるのならば、やはり生前できなかったことをやったり、なれなかったものになりたい。何をしようかと私の人生を追懐していると、ふと、置いてきてしまった生徒達の顔が浮かんだ。

 私が庇った事で、心に消えない傷を刻んでしまったであろうこの女子生徒だけじゃない。今日修学旅行に来ていた生徒達皆、怪我や病気をせずに過ごせるだろうか。志望校に合格することが出来るだろうか。何事もなく卒業出来るだろうか。

 きっと心残りがあるのなら、生徒達を卒業させて送り出すことができなかったことなのだと思う。自覚したその瞬間から、自分の手で生徒達を送り出したいという気持ちが大きくなってゆく。

「──もう一度、教師になりたいです」

 膨れ上がった前世の未練は、熟慮する暇すら与えずに私の口を動かした。

『くく、あっはっは!』

 それを聞いた黒猫は、一瞬目を丸くした後これまでないほどに大きな声で笑いだした。何が面白いのか分からなず不愉快に思った私は、これみよがしに眉をひそめて見せる。

『ああ、ごめんなさいね。やっぱり期待を裏切らないなと思って……。生活を豊かにするはずのものに死んでまで振り回されているから』

 何が言いたいのか聞こうと口を開くが、私が出そうとした声を遮って彼女は続けた。

『どうせ生徒の卒業を待たずに死んだのが悔しいとか悲しいとかそんな所でしょう?なら長生きできる種族に転生させてあげる。あと、貴女に命の危険があった時に私が助けてあげるわ』

 私の命が危険に晒されている状態で猫に何が出来るのかと言いかけたが、世界を停止させることが出来たのだからいくらでもやりようがあることに気付き、私は口を噤んだ。

「それで大丈夫です」

『あら、これだけでいいの?欲が無いのね』

 ふむ、と少し考え込んだ黒猫は、少し心配そうな表情で続ける。

『私の世界には魔術があるの。努力すれば誰にでも使えるけど、どれを使えるかは本人の適正に大きく依存しているわ。魔術についても生徒に教えられるように、平均よりも魔術の素質を高めに設定しておいてあげる。ピンチになったら私が助けるとはいえ、自分の身くらいは自分自身で守れるようになりなさい』

 魔術がある。彼女が何の気なしに言ったその言葉に、私は耳を疑った。

 彼女の言葉から察するに、その世界で魔術は多くの人が使えるに違いない。だとしたら魔術が得意であることは、誰かに教える機会が増えるということだ。これは魔術も使えるようにしてもらわない手はない。

『そのうち私からの遣いを送るわ。それまで精々死なない事ね』

「何から何まで、ありがとうございます……えっと……」

 私が感謝の念を述べようとすると、私は黒猫の名前を知らないことに気付く。彼女はそれを見て困ったように笑った。

『私、名前が無いのよ。良かったら貴女が名前をくれないかしら?』

 ここまで異常なまでの人間らしさを見せてきた彼女だったが、名付けを頼まれるとは変なところで猫みたいだなと思いクスリと笑う。

「ノワールなんてどうですか?」

 フランス語で黒という意味です、と説明すると彼女は大層気に入ったようで上機嫌になった。せっかく良い気分に浸っている所に水を差すのもはばかられるので、私の実家で飼っている黒猫の名前であることは伏せておく。

『ありがとう。これからはそう名乗らせて貰うわね』

 ノワールはそう礼をすると、不意に真面目な顔になった。

『そろそろ時間ね。貴女の新たなる人生に幸多からんことを祈るわ』

 その言葉を最後に、私の意識は段々と遠のき、遂には途切れた。

 平静を装ってはいたものの、異なる世界でどんな生活が待っているのか、どんな生徒と出会えるのか、期待に胸を踊らせずにはいられなかった。


 斯くして、私はこの場所にいるのだと自覚した。

「あ、あうあうぅあ」

 誰かいませんか、と発音したつもりだったが、私の口から出たのは言葉と言うにはあまりにも拙い声だった。今度は腕を動かして、顔の前で手を開いたり閉じたりしてみる。声も身体も、人間の赤ちゃんそのものだ。私は自分が人の姿をしていることに一先ず安堵した。

 あの黒猫──ノワールが叶えてくれたのは、長生きできる種族に転生させるというものだった。私の願いも教師になりたいというものだけであったし、最悪寿命で死なないようにされただけのメダカの学校の教師にされていてもおかしくはなかった。私の理想として、もう一度教師としてやっていくには少なくとも人の姿であることが最低条件なのだが、生徒を置いて死んだという心残りに気を取られすぎてそんな基本的なことを失念していた。偶然か、はたまたノワールが気を使ってくれたのかは分からないが、なんにせよ人の姿で教師になれることに違いは無い。

 ひとつの問題が解決したことで、さしあたっての問題に目を向ける。

 夜の森に赤子ひとり。いくら寿命が長かろうが、獣に襲われるなり、夜風で体温を失うなりで命を落とせば意味は無い。いくらおくるみに入れられた状態であるとはいえ、このままここにいては低体温症で死んでしまうだろう。人生開幕で詰んでしまったという事実に私は途方に暮れた、その時だった。

「──、──」

 おくるみに入れられた私の頭上──立ち位置として後方からチラチラと明かりが目に入る。そしてその方から青年らしき声が聞こえるでは無いか。

「うー!あうあー!」

 これは渡りに船と、その青年に気付いて貰えるように大声で叫んだ。彼を呼んだとして助かる保証はない。むしろどこかに売り払われてしまう危険すらある。だが、このままここにいてはいずれ死ぬのだから、せめて雨風が凌げて獣に襲われなさそうな環境に連れて行ってもらおう。話はそこからだ。

「──!?」

 私の声に反応して、今度は少女の声が飛んできた。一人かと思いきや、どうやら少女を連れていたようだ。二人の声と足音が私の方へと近付いてくる。

 段々と周囲が照らされてゆき、ついには若い男女の顔が目に映った。二人とも驚いた顔をしたが、少女の方が間髪入れずに私を抱き抱え、二人して足早にその場を後にする。

 保護してもらえる上、二人とも善良そうな人であることに内心喜ばずにはいられない。飛び交う言葉は私の知る言語ではないらしく、歩みを進めながらも会話をする彼等が何を話しているのか欠片も理解できなかったが、その声色が慈しみに満ちたものであることは疑いようもなかった。


 二人に運ばれながら寝落ちしてしまった私は、射し込んだ朝日で目を覚ました。どうやら昨夜私を保護した二人の家に連れて来られたらしい。ここは居間のようで、少し広めの間取りの中央には食卓らしきテーブルが鎮座している。私は深めの籠に毛布と共に入れられ、窓際の長椅子に置かれていた。

 とりあえず状況を整理したいので、誰かいないのかと私があうあう言っていると、私の寝かされている長椅子の向かいにある扉から少女が顔を出した。何か呟くように私の方へと近付いてきて、そのまま毛布ごと抱っこされる。

「──♪」

 聞き慣れないメロディの子守唄を口ずさむ彼女は、昨夜私を抱えてくれたその人に違いない。松明の明かりに照らされた状態では分からなかった彼女の見た目が今ならよく分かる。少し明るめの茶髪が一つ結びで纏められ、くりんと大きいエメラルドグリーンの瞳がとても可愛らしい。年齢としては十五辺りだろうか、私の元教え子と同じくらいの年齢の子に抱かれているのがなんだか不思議な気分だ。

 そうこうしているうち、彼女が出てきた扉とは別の入口から神妙そうな顔の青年が姿を現す。こちらも昨夜の青年と同一人物と思われた。エメラルドグリーンの瞳はさておき、私の常識からしても珍しいものではなかった女性の茶髪だったが、青年の髪は私が見た事もないような青っぽい髪をしていた。少し白んだ夜空のような、深い海を思わせるような青い髪と、彼女の物よりも暗い深緑の瞳が印象的だ。二人を見ていると、本当に異世界に来てしまったのだと強く実感させられた。

 青年は私の顔を一瞥すると、深刻そうな顔で女性に何かを告げた。

「リリア。──、──」

 相も変わらず何を言っているのか分からないが、最初の言葉だけはしっかりと聞こえた。私を抱えるこの少女の名前だろうか。というかこの二人は一体どのような関係なのだろう。兄弟と呼ぶにはあまり似ていないし、夫婦と呼ぶには二人とも若いような気もする──と一瞬思ったが、それは現代日本の常識であって、元の世界でも国によっては十代前半で結婚することもおかしくは無かった。彼等はきっと夫婦なのだろう。

 私が考え事をしているうちに二人の会話が済んだようで、青年と私を抱えた少女は屋外へと向かった。私をあやしていた彼女の優しそうな顔はなりを潜め、少し不安そうな、怯えるような顔をしているのがわかった。

 外に出ると、家の全景がよく見える。土台や壁の下半分が石造りになっており、それより上の壁と屋根は木造という簡素な平屋だった。屋根からは煙突が屹立しているので、私がいた部屋とは別の部屋に暖炉のようなものがあるのだろうか。周囲を見渡すと、似たような家が十数メートル置きほどに点在していた。私が連れて行かれるのはそんな平屋よりも一際大きな二階建ての屋敷のようだ。

 その大きな屋敷の扉を開けると待っていたのは、厳つい顔の老人だった。住まいといい本人の佇まいといい、この村の村長のような立場にいる人物であることは想像に難くなかった。恐らく、昨夜村周辺の森で拾った私の処遇をどうするのか話し合う場を設けてくれたのだろう。

「カイン。リリア。」

 しばらくの気まずそうな沈黙を破ったのは、老人のその言葉だった。その声に青年と少女は身を強ばらせる。先程少女は青年にもリリアと呼ばれていた。つまり少女がリリア、青年はカインという名前なのだろう。

 重苦しい空気感の中会話を続ける三人だったが、ふいにカインとリリアが決心を固めたような表情で啖呵を切ったのが分かった。その言葉を聞き、老人は厳つい顔を綻ばせた。きっと上手く纏まってくれたのだろう、カインとリリアも瞳に涙を浮かべながら大喜びしている。

「──マリアベル」

 リリアが前触れもなくそう言うと、カインと老人もマリアベル、と続けて呟き、頷いた。

 マリアベル。それが私のこの世界での新たな名前。与えられた名前の確かな響きに、私は心の中で何度も反芻した。

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