54.戦い④―― 眼 ――
フララ! というわたしの叫び声で、銀狼様は“光”になって蜘蛛の拘束から抜け出し、わたしの元に一直線に飛んできた。
そして再び銀狼の姿に戻ってわたしの隣にストンと降り立つ。
「フララ様!」
◆◆◆銀狼様と始めてお会いした日の夜
天蓋を閉じて寝台に就き、今日のとんでもなく濃い出来事とキアオラ翁の事を考えていると、わたしの隣で丸くなっていた銀狼様がお座りの姿勢に直って呼び掛けてきた。
「オリヴィア。アタイの片割れであり、これから蜘蛛野郎を倒しに向かう“同志”として、アンタにだけ言っとくことがある」
ぶっきら棒だけれど真剣な表情の銀狼様に、わたしは身体を起こして寝台に横座りし直す。
「どうしたのです? 銀狼様」
「アタイには名がある」
「お名前……ですか?」
カークランド家には初代様の夫人の名前が遺されていない。領地の墓陵には墓碑も無く、『そこに初代カークランド公爵ガルフと夫人が眠る』と伝え遺されているのみだった。
現当主たるお父様でさえ「銀狼様」とお呼びしていることから、ガルフ公の夫人が神獣様であったことは伝わっていてもそのお名前までは伝わっていないみたい。
「ああ。神にさえ付けられたことのない名が……ガル坊が付けてくれて、ふたりの間でだけ通じる名がある」
「二人の間だけの……」
銀狼様は、ガルフ様と戦場へ赴く際にお二人で示し合わせて、ある魔術を掛けていたそうです。
ガルフ様が戦場で絶体絶命の立場に陥った時に、銀狼様のその名前を叫ぶことで発動する魔術だとのこと。
それが発動すると、たとえお二人が遠く離れた戦域にいようとも、銀狼様がガルフ様の元に瞬時に移動するそう。
「ガル坊は強かったから、その魔術を発動する事は無かったがな……。オリヴィア、アンタにも掛けてやる。ただし、たったの一度しか使えねえから、本当に後がねえって時にアタイの名を呼べ」
「……はい」
使う場面なんてこない方がいいけど……万が一の備え、ね。
「それで……なんというお名前ですか?」
わたしがお伺いすると、銀狼様は急にモジモジしだして、もにょもにょと聞き取れないような話し方をする。
「……だ」
「えっ? 聞こえませんでした」
このやり取りを数度繰り返すと、銀狼様も「え~いっ!」と、覚悟を決めてはっきり聞こえるように声に出す。
「フララだ、フララ!」
「フララ……? なんてお可愛らしいお名前。何か意味が込められているのですか?」
「それはー、そのぉ……ガル坊がぁ……」
銀狼様が言いたくないのか恥ずかしいのか、頭を上下に動かしたりキョロキョロまわりに目移りさせたり、挙動が怪しくなる。
それでもわたしがじっと待っていると、意を決して――
「酒を飲んだ時にフラフラしてるからだってさっ!」
「…………えっ……」
◆◆◆
蜘蛛は顔に受けた傷をボコボコと再生させながら、急に消えて既にこちらにいる銀狼様のことをその場で脚をカサカサと動かして探っている。
「ふぅ~。まさかアタイを助ける為にその名を使うとは思わなかったぜ」
フララ様は全身を振るい、身体に付いた粘着糸を飛ばし去る。
「勝手をしてごめんなさい。腕の浄化が終わって、見てみたらフララさ――銀狼様が追い込まれていらしたので、ビックリしてお呼びしてしまいました」
「いやいや、助かったぜ。野郎の脚でぶっ刺されてたら、もしかしたら先っちょくれえは刺さったかもしれねえからな」
もしかしたら? 先っちょだけ……? ひょっとして余計なお節介だったのかも。
「そんなことねえよ。ホントに助かったって!」
フララ様は、わたしを置いて巣に降りてから、蜘蛛の再生を阻むべく魔術を織り交ぜながら攻撃したそう。
でも、蜘蛛は再生速度が速く、且つ人間の手足の形をした足を切り離し吸収して、“生え換わって”本来の姿になったことで動きも格段に早くなり、場所も蜘蛛の巣ということで徐々に追い込まれていったとのこと。
「いやぁ~、変な糸――横糸――を踏んじまって、ねちょねちょして動きにくいわ気持ち悪りいわで、大変だったぜ」
――ッ!
蜘蛛が向きを変えてこちらに気付いた!
「気付かれました!」
蜘蛛は、対岸の崖上のわたし達に視線を固定したままこちらに向かってくる。
速い! 縦糸だけを伝い、八本の脚を淀みなく動かして“巣”の周囲に張り巡らせてある糸を飛び移りながら、あっという間に迫ってくる!
「来ます! どうしましょう?!」
「なあに、来てもらった方が都合が良い。なんなら着地場所を作ってやろうぜ」
フララ様が崖淵から森側へ後退り、糸を跳ねてくる蜘蛛の着地点をわざわざ用意する。
「巣や糸の多いトコよりゃ、地面の上の方がよっぽどやりやすい。今度はアンタもいるし、“天秤”はこっちに傾くぜ」
そうか、蜘蛛を対等かこちらに有利な地上に誘い出すのね。
フララ様がさりげなくわたしより前に出て、待ち受ける態勢になる。わたしも槍を構える。
ザザザザッ!
あっという間に蜘蛛がここに辿り着いた。
谷を背に八本の長い脚を開いてやや前屈み、ゆっくり揺らめきながらわたしとフララ様を見据えている。
正面の一対の眼の中には、やはり生気の抜けた女性の顔。
鋏角をカチカチと噛み合わせる音だけが響く……
どちらから動く?
ザリッ!
地面を掴む蜘蛛の脚に力が籠る。
フララ様も頭を少し下げて、後ろ脚の力を溜めて飛び掛かる姿勢に。
ブワッ! ふぅー!
呪術と魔術の掛け合い、相殺を合図に、両者が同時に前へ踏み出す。
ドン! 頭と頭、頭突きの同士討ち!
体格がひと回り、脚の幅も入れれば三倍も四倍も大きい蜘蛛の圧力にも負けず、拮抗している。
拮抗という事は、わたしには好機!
ジリッと、足に力を込めて……行く。突っ込む! 狙いは蜘蛛の左最前――第一脚の節、付け根!
わたしが一歩踏み出したところで、その狙いの脚がビュンッとアタシの方に突き出された!
届かないのに?
でも次の瞬間――
ピシピシとわたしの顔に小石や砂が飛んできて、思わず目を瞑ってしまい、完全に勢いが止めらてしまった。
読まれたんだ……
「怯むなオリヴィア! 嫌がってやがるぞ! ぬぉーおお!」
フララ様はフララ様で、蜘蛛の気が一瞬わたしに逸れた隙を突いて、一気に頭で押し込み、踏ん張る蜘蛛の身体が徐々に浮いていく。
そして、浮いてきた蜘蛛の身体目がけてフララ様の前脚での爪撃が繰り出される。
ガシィッ!
蜘蛛も第一脚で抑える。
膠着する? したら好機? いいえ、また読まれているかも……行く? 止める? どうしよう……
瞬時に頭の中を、纏まらない考えが駆け巡る。
フララ様が身体を張って下さってるのに、行かない選択は無いっ!
“どこ”に行くかよ!
脚に行けば対応されるから……
フララ様、お借りします!
「うむっ!」
わたしは蜘蛛と取っ組み合う形で上体を起こしているフララ様の背後に回り、その背中を駆け上がっていく。
二歩三歩と、ぐいぐいと上り、フララ様の頸元で足を踏ん張り、蜘蛛を見下ろして槍先を下に向ける。
蜘蛛の眼の中にいる女性の腐り落ちて窪んだ目がわたしを向く。もう一つの眼にいる女性――女の子もわたしを向く。
ごめんなさい。……でも、二人とも楽にしてあげますからねっ!
「えいっ!」
頭上高くに腕を引き、柄を握る両手に力を込めて、眼に向かって槍を突き刺す!
シュッという風切り音を立てて、槍先が眼に突き立つ。その瞬間、ボッと衝撃波で眼が窪む!
「「ギャアアアアアア―ッ!!」」
「休むな、もう一発だ! 行けぇい、オリヴィア!」
脚をバタつかせて暴れる蜘蛛を、フララ様は両前脚や口、後ろ脚まで使って押さえつけて、わたしに叫ぶ。
「はい!」
フララ様の発破に応え、すぐさまもう一方の眼にも槍を突き立てるっ!
「ヴァアアアアアアアアアア――――!」
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