46.オリヴィーの身を僕に守らせて下さい!

 

 ◆◆◆


「ここは……?」


 暗闇にネグリジェの姿で立っている。

 周囲を見渡しても何も見えない。自分の身体は見えるのに、周りは何も見えない……


「エド? お父様? お兄様? アン?」


 呼び掛けても返事は無い。声は響きもせず闇に吸い込まれていった。足下も平衡感覚を失いそうになるほどの闇。その中を漂っているようで、とても不安な気持ちになる……


 そんな闇も、よく目を凝らせば時々なにかが感じられる。

 左から右、右から左へ。上から下、下から上へ。赤いような黒いような、明るいような暗いような光の筋が流れ星のようにスッと走った。

 左から右、上から下へ。時には交差する刹那のまたたき。


 凝視していると、目が慣れて少しずつ形を捉えられていく。

 それは闇を四角に区切るかのように浮かび上がる。

 真四角では無く、少しだけ上辺が狭まった台形のよう……


 その図形が一瞬、波打った。それによって瞬きが水面を伝う波紋のように広がって、その図形が連なっていて遥か上まで続いていることが分かった。

 見上げると、それはぐるりと螺旋を描く線と、放射状に伸びた線が交差した規則的な模様だった。


「蜘蛛の巣……? ――っ!?」


 その中心で何かがうごめいたのを感じた。

 闇の中で複数の赤黒い光が怪しくひらめく。

 その瞬間に“それ”がわたし目がけて真っすぐに向かってくる。

 カサカサと八本の脚を動かし、角のようなハサミのような牙をカチカチと開いたり閉じたりしながら向かってくる。

(蜘蛛!? 速い!)

 逃げようと考える間もなく、牙が目の前に迫ってきた。


(もうダメッ! 銀狼様!)


 目をぎゅっと瞑って、死を覚悟したその瞬間――

 強く閉じていても分かる強く白い光が顔に差した。

 衝撃や痛みを身を固めて待ったけど、襲ってこない……


(……た、助かった……の?)


 ◆◆◆


 顔にはまだ強い光が感じられる……


「――じょう様? おはようございます」

「……んぅぅ……?」


 重い瞼を何とか持ち上げて声の方向を見ると、アンが天蓋の窓側のカーテンを支柱に纏めているところだった。

 窓からは普段よりも低い位置の朝日が、ちょうど寝台で眠るわたしに差している。

 夢、だった……?


 そうだ。今日は普段よりだいぶ早く起こしてくれるように頼んでいたんだった……

 ブッチはもう起きていてアンに纏わり付いているけれど、銀狼様は仰向けで寝台の端から頭を落としそうにしながらお腹を晒して眠っている。


「おはようございます、お嬢様。うなされておいででしたけれど、お加減が優れませんか?」

「いいえ、大丈夫。ちょっと嫌な夢を見ていたみたい」


 ブッチの朝の日課や早めの朝食を済ませたわたしは、お父様や王太子宮へ先触れを出した後に銀狼様を伴って馬車でエドの元へ向かう。

 王城へ通じる石畳の街路を進むと、早朝にもかかわらず馬車の往来も多かった。特に王城から発せられた伝令官や各貴族家からの使者の騎馬が目立つ。

 貴族家から王城へ向かう使者は急使であることを示す旗を掲げた者が多く、我が家の御者に丁重に断りを入れた上で追い抜いて行く。


 余程各地で異変が起きているみたいね……被害が少ないといいな。


「なあ、オリヴィアよう? 気持ちよく寝ていたアタイを起こしてまで行かなきゃなんねえ場所なのか?」

「当然です! 事の報告と、蜘蛛の怪物の追跡・討伐の裁可を頂かなくてはいけませんから」

「んなの呼び付けりゃあいいだけだろ?」

「へぇ~? ではガルフ様も、自分が仕える王様を呼び付けておいでだったんですか? 当代陛下もガルフ様がお仕えした初代国王陛下の御後胤ごこういんですのに……」

「――なっ! ガル坊の名を出すなよぉ……仕方ねえなぁ、分かったよ!」


 わたしの乗る馬車が王太子宮殿に向かう際に王城の正面を見遣ると、保安検査待ちの列が外まで伸びていた。

 王太子宮殿でエドと合流した後、国王陛下の御所である王宮へ向かうと、“例の”会議室には歴代国王の肖像画に囲まれたお父様とお兄様がいた。二人は屋敷に帰る間もないほど対応に追われていたようで、衣服は整ってはいるものの顔には疲労が色濃く出ている。

 夜を徹してお仕事をなさっていたのね……



 わたしが昨日カークランド公爵王都邸で起こった事を時系列に沿って、陛下にご説明申し上げる。説明にあたって、お伽噺も引き合いに出して銀狼様を紹介申し上げた。

 その間銀狼様は、テーブルの上で丸くなり、眠そうに大あくびを繰り返しながら壁面の肖像画を見回したりしている。

 陛下は初代ガルフ公と銀狼様のことを王家で伝承されていたそうで、それほど驚かれていなかったけれど、まだ何も知らされていなかったお兄様だけは激しく動揺していた。

 自分の髪――もちろんお父様やわたしのも――と、銀狼様の毛を見比べたり、「初耳ですが?」状態というところね。


「それで、オリヴィア嬢が銀狼殿と“堕ちた神獣”の討伐に向かうと……?」

「はい」

「我が国の騎士団ではいかんのか?」


 陛下のこの質問には、銀狼様が「無理だな」と即答なさる。


「神獣を侮り過ぎだ。あの蜘蛛野郎が取りついたキアオラだとかいうただの人間が、お前達が存在すら忘却していた魔術――しかも高等な魔術を使えるようになったんだぞ? それすら食い破って、本体が露わになったヤツにどうやって対抗するってんだ?」


 わたしも知りませんけど? 討伐しに行くけど知りませんけど?

 ―――アンタは黙ってな!


 銀狼様に詰め寄られて、陛下はたじたじになった。

 王国の騎士団を一つ率いるお父様も、不安になったようで――


「逆に、そのように強大な化け物に銀狼様と年端もいかぬオリヴィアとで対抗できるのですか?」

「アンタら人間とアタイ達を一緒にすんじゃねえ」


 わたしは人間でいたい……いたかったんですけど……


「アタイは起きたばかりで本調子じゃねえかも知れねえが、それはあの蜘蛛野郎も同じだろうし、アタイも魔術くれえなら使えるし、“光”と“呪”じゃあ魔術の相性的にはが断然有利だからな」


 銀狼様にそこまで言われては、娘・妹が心配なお父様・お兄様も陛下も何も言えなくなった。

 お父様達だって手伝いたいけれど、この怪物以外にも動物の凶暴化――亜魔物化――や環境変異が王国各地で起こり、それに対応しなければいけないらしく、歯痒い思いをしているそう。


「銀狼様が仰ることは、良く理解できます。しかし、僕も行かせて下さい!」


 エドが銀狼様に一歩迫った。その瞳には強い意志が込められ、銀狼様をじっと見詰める。

 銀狼様も彼を見据え、その意思の強さを推し測っているよう。


「動物や魔物とは訳が違うぞ?」

「僕も鍛えていますが、銀狼様の仰る通り僕では敵わないとしても……オリヴィーの盾にはなれます! 彼女の身をっ……僕に守らせて下さい!」


 エド……


「その意気や良し! ……だが、やれんのか?」

「はい! オリヴィーの為に、やってみせます!」


「陛下、いいえ父上。どうかこのエドワードに、男として愛する女性を守るお許しを下さい!」


 今度はエドと陛下が、互いを睨むかのように本気で凝視し合う。


「…………許す」

「父上っ!」

「……父としては許す。――だがっ! プレアデン王国国王として、王太子エドワードに命ずる。必ず……必ず生きて戻れ!」

「はい!」


 会議室にエドの声が響き、陛下はエドを強く抱きしめた。

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