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 日も暮れた礼拝堂は、なしてここまで怖いものなのか。

 もう少しぐらい、こう、温和な雰囲気を舞い散らしてくれてもいいのに。幽霊と一緒に遊びましょ、な雰囲気とか。

 全てを受け入れてくれるようなあの温厚さはこの礼拝堂から霧散してしまっている。

 カラスがこの闇でその羽を黒く染め上げるほどの純粋たる暗さは、人の心へ恐怖を自然に植えつける。

 あの黒髪の女性とこの時に出会えば、わりとすんなりと受け入れられたかもしれない。

 礼拝堂には照明がないから、ミイはその手に半径三歩分ほどだけを照らす行燈を持って歩いている。ジュはミイから付かず離れずの位置を保って後ろを歩く。

「あくまでも自然の光だけを取りいれる、という構想のもとに建設されましたので、千年近く経った今でも、この礼拝堂には照明機器が取り付けられていないのです」

 それがミイの説明であった。

 ミイは制服でもなく私服でもなく、司祭服を着ていた。一日のうちに何度も着替えさせて本当に申し訳ない。部屋を出るたびにミイの服が変わっているような気すらする。

 入口から二十歩ほどで、檀上に脚が突っ掛かる。

「――――」「――――」

 ミイは無言で膝を地につけ、手で臍を隠す。

 ジュもそれに倣った。

 セゴナの国教であるくせに、クロック教にはこれと決まった崇拝の作法が存在しない。

 一般的なのが【ミナヤ=クロックの発する光を浴びた者は皆一様に地に膝を付け手を組んだ】という聖典の一節を真似することだ。

 しかしそれだって解釈の仕様が色々とあるほど。もう面倒くさいから、個々人の考える敬愛の仕方でいいだろう。いつからかそう人々の間で決まった……と歴史の時間に勉強した。

 適当この上ないが、同時にセゴナらしくもある。

 二人とも気が済むまでミナヤ=クロックに祈りを捧げてから、いよいよ儀式を始める。

 司祭の役を買って出たミイは、今この瞬間はミナヤの代弁者となり檀上へ登る。檀上の中心に位置するミナヤ=クロックの像の、さらに奥。

 壇の頂上。

 そこへ音も出さずに移動し、両手を組む。

 こうして今、ミイはミナヤ=クロックに。ジュは名もなき平民となる。

 聖典=渡時月下。その一節。ジュは唱え上げる。

「【我、跪く者。主、立ち上がる者。主の御心をして、我に立ち上がる力を】」

 まだ世界が混沌とした情勢にあった折、ミナヤ=クロックが平定した地で民が発した言葉。

「【我、人間。君、人間。我らは同じ存在であり平等。貴賤はなし。立ち上がり給え】」

 それを受けたミナヤ=クロックが、民に諭すように説いた言葉。

 貴方は神だ。そう言った民を、ミナヤ=クロックは自分たちは同じ人間だ、と表明した。そして平伏す民を立ち上がらせ、同じ目線で民と接した。

「ミナヤ様のお許しが出ました。檀上へ」

 檀上は立場の隠喩。登ることで、ミナヤ=クロックと同じ立場になることができる。

 こうすることで、単なる平民は、神と肩を並べることができるようになるのである。

 ジュは、脛ほどの高さでしかない段差へ、恭しく右足を乗せる。

 その右足で踏みしめ、左足も同じようの乗せた。

 これでジュは、今この瞬間は、神と同じ身分となるのである。

 無論、物理的にはいくらでも檀上に登ることは可能だ。

 しかし、精神というものは肉体が起こす行動にのみ付随する。肉体が「平等」という事実を感じることができた時、初めて精神も「平等」を理解することができるのである。

 この儀式は、人類は平等であるという、ミナヤ=クロックが人々へ諭してくれた大切なことを後世忘れないようにするために編み出した、セゴナの伝統と歴史の塊なのだ。

「……ふう。上がるだけでもこんなことしないといけないなんて、めんどいなあ」

「儀式なんて、そんなもんじゃないでしょうかね」

「私だったら、そんな堅苦しい礼拝は撤去するね」

 一通り終えた二人は、そんなことを言いながら笑いあう。

「それにしても、よく知ってたね。セゴナ人でも言える人は少ないのに」

「週に一度、礼拝堂へ通っていた時期があるんですよ」

 セゴナに来たばかりの頃、初恋の少年と離れ離れになり、心の安定を欠いていた当時。何度も何度も説法を聴いているうちに覚えたのだ。

「まあそんなことより。わざわざ私を連れてきたってことは、これが見たかったんでしょ」

 ミイの視線の先は、ミナヤ=クロックの像の背後へ降り注がれている。

「どうやって知ったの? ここでミナヤ様を代弁することが出来る……つまり司教でもなければ知らないことなのに」

「某所で聴かされたんです」

 そうだったのか。道理で『単なる一般人であるジュ=ヤミ』では知りえないはずである。

 ジュはミイに手を引かれ、一礼をしてからミナヤ=クロックの背後を見た。

 そこにあるのは、ミナヤ=クロックを守護するかのように鎮座している……黒一色で染め上げられた、女性の像。

「こちらは、ニムナ=クロック様。私たち、ニムにとっての神様」

 ――ミナヤに仕えるというニムだが、それには模倣となった人物が存在している。

 ニムナ=クロック。

 セゴナに三人いる神のうちの一人。

 ミナヤと争い、敗北し、ミナヤに奉公をすることになった女性。

 この人の名前の一部を取って、ニムという言葉が生まれたと人口に膾炙している。ニムナのその行動を見た人々がいつしか、城に従事する使用人のことを、彼女の名をもじってニムと呼ぶようになった。

 セゴナ国民にとっての神はミナヤ=クロックだが、ニムにとっての神はニムナ=クロックなのである。

 この人と、同じ名前を持つ女性。

『この部屋の中で貴方達が最も地位が高いと思われる人に仕えること』

 ジュは、最初にニム長が言ったことが、炭酸の泡のように浮き上がってきた。

 ニム長は「この五人の中で」などとは一言も発していない。「この部屋の中で」なのだ。これ以降はもう、言葉遊びの領域。あくまでも、あの時、あそこの空間にいた、誰か。

「……つまり」

 ずっと選眼にも引っかからなかった、金髪の少女と、黒髪の女性の正体は。

 それこそ、ジュ=ヤミどころか、ミイ=クイですら単なる一般人になってしまうほどの。

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