ラヴとレイン

最早無白

6/14(火) 天気:●

 ジリリリリ――

 

「うぅ、うあぁ……」


 うるさい音が耳に入ってくる――あ~これ目覚ましか。なら止めなきゃだ、携帯どこ……?


「よっと。ってまだ六時じゃん」


 あれ、なんでこんな早い時間にアラームをかけてんだろ? 昨日寝ぼけてアラームでもイジったのかなぁ?

 まあいいや、まだ時間あるなら寝よ寝よ。スヌーズして電源オフ……。


「『日直だから寝るな』……? あぁぁぁぁ! 忘れてた!」


 そうだった、今日って日直じゃん! こうなることを見越して壁紙を変えた昨日の私に、感謝――

 ハンガーから制服を掠め取り、袖を通しスカートを穿く。リボンの位置も完璧だ。


「おはよ~……」


「あら珍しい。なんかあんの?」


「日直ある」


「なるほどね~。あ、ご飯熱いかも」


  なんか、母さんと久しぶりに話した気がする。いつも私が起きる時間にはもう仕事に行ってるし、夜は私が部活で遅くなるからなぁ。

 いつもはラップをかけられていた朝ご飯達が、今日は元気に湯気を立たせている。お茶碗越しに伝わってくる温もりと、嗅ぎ慣れていない甘い匂い――美味しそうだ。


 よし、いただきま~……あっつ。


「うっわ、人多……」


 心の声が小さく漏れる。

 いつもより三十分も早く家を出たってのに……満員電車の前では、どうやら誤差ですらなかったみたいだ。

 梅雨ということもあって、電車内には人だけでなくビニール傘も群れを成している。邪魔くさ。


 押し出されるように何人か扉から降りる。その隙間を縫って、体を人の波にねじ込んでいく。降りた人数分空いた枠は、またすぐに埋まってしまった。


「ん、しょ……」


 なんとかつり革を掴む。湿気でじっとりとしていて気持ち悪いけど、学校の最寄りまでは六駅の辛抱だ。

 そう考えるとしばらく暇だな。音楽を聴くにも、この人口密度ではカバンから携帯は取り出せそうにない。

 そうだ、早起きした分寝溜めしとこ。もし寝過ごしたら……まあ、その時はその時だ。目をつぶるだけなら多分大丈夫なはず!


 ――杞憂だった。無機質なアナウンスが流れると電車はその動きを止め、中にいる人達は激しく入れ替わる。湿気た服と服とが擦れ合い、嫌悪感に襲われる。

 早起きした分余計にのしかかっていた眠気は、降車した人達ごと全部押し出されていった。


 これがあと五駅分も……きっついなぁ。

 中学に上がって初めての日直。電車通学にも慣れてきたつもりだったけど、私は梅雨というものを甘く見すぎていたみたいだ。制服や靴下だけでなく、心までぐしょぐしょに濡れた感覚。はぁ、これが『ブルーな気持ち』ってやつか……。


 その後も、私は電車が止まる度にもみくちゃにされた。だけどそれは一駅二駅と、確実に最寄り駅へと近づいている証明でもある。耐えろ、耐えろ私~!


山窪やまくぼ~、山窪~」


 とうとう最寄りまであと一駅だ。

 山窪は定期圏内で停まる駅の中では一番の都会。ここが踏ん張り時だ、つり革を握る手に、より一層力が入る。

 扉が開くと同時に外の生ぬるい空気が流れ込む。それに反応するかのように、人の流れもまた活性化していく。コツ、コツ、と傘の先端が足にぶつかって痛い。足首の辺りには軽い擦り傷ができていた。


「次は佑叔ゆうしゅく、佑叔です」


 こんな時でも当然アナウンスは無機質だ、ああ憎たらしい。

 ――いいもん、あと一駅で私の勝ちだもんね。

 

 背中や腕に圧を受けながら、人流を必死に耐える。山窪のラッシュは毎朝食らってきたけど……今日は時間が早い分、いつもの比じゃない。


「きつ……」


 声が漏れる。駅の乗り降りなんてたった数秒で済むはずなのに、永遠に続くんじゃないかという錯覚に陥ってしまう。嫌いな数学を受けている気分だ。


 耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ、耐えろ私~!


 ――ぬるい風が頬をなでる。最大のラッシュは終わったのだ。そして、降りる人ほどではないが、乗る人もぞろぞろとやって来る。私の隣にも一人乗って来た。

 擦り傷にも風が当たって沁みる。いったぁ、最悪……。


「あの……」


「えっ、なんすか!?」


 隣の人から突然声をかけられ、つい大声で返答してしまう。うわ、恥ずかし……。


「足……大丈夫ですか?」


 足? ああ、傷のことか。別に大したことないし、保健室に行けばいい……あ、日直だったわ。でもまあ、これくらいの傷なら全然平気だ。


「あ、大丈夫です。さっきのラッシュで傘が当たっただけなんで……」


 テキトーに話を流しながらも、とりあえず声の主の方を向く。一応心配してくれたんだし、人と話す時は相手の目を見て――


「大丈夫ならよかったです。血が出てたから心配になって……」


 か、かっっっっこいい……。

 ああヤバい、この人私のタイプな顔してるわ。う~わどうしよう、頭の中わけ分かんなくなっちゃった……。


 鼻高いし、黒の眼鏡もすごく似合ってる。しかも背も百八十センチくらいあるし。ヤバぁ……。


「あ、あはは~、ありがとうございます~……」


 色んな意味でありがとうございます。いや~、悪いことがあれば良いこともあるんだな~! 今日一日頑張れるわ~!


「あっ、そうだ。確かバッグに絆創膏が……あった。良かったら後でこれ使ってください。バイ菌が入っちゃうとアレなので」


「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」


 ああ、優しさと尊さで溶けちゃう~!

 気持ちは嬉しいし実際めちゃめちゃありがたいけど、これ使うのもったいないよ~! 胸ポケットに入れてお守りにしたい……。


「し~。もう少し抑えましょうか」


「あ、はい……」


 あ~あ、叱られちゃった。だけどこれもご褒美だよね。ダメだ私、この人に完全に釘付けになってる……。でもしょうがないよ、それくらい魅力的なんだもん。

 私は悪くない、この人も悪くない。あれもこれも全部、擦り傷を作った梅雨のせいにしよう。


「佑叔~、佑叔~」


 ――はっ! もう最寄りに着いちゃったんだけど!

 え~、この人とはもうお別れなのか……。『時間が止まればいいのに』という、ありふれたフレーズがこんなにしっくりくるとは。


 電車が停止し、制服の集団が一斉に扉へと群がる。私もそれを構成する部分の一つとなる。


「学校、頑張ってね」


「……はい!」


 ゆるやかな人の流れに身を任せ、私は三十分前の世界へ足を踏み入れる。


「次は長間ながま、長間です」


 後ろではアナウンスが次の駅名を読み上げている。本当、お前は最後まで無機質な声だよなぁ。もう何とも思わなくなったよ、帰りもその調子でよろしくね。


「最後まで、あの人のこと見ていよう……」


 せっかく少しの間電車が停まってくれているんだ、存分に堪能するしかないでしょ。見てるのがバレないように距離をとって、と。ここなら大丈夫かな……?


 はぁぁぁぁ、やっぱタイプだわ~……。とにかく顔面が天才すぎる、何食ったらそんな完璧フェイスになれるわけ? とりあえず親御さんに感謝しかないわ……生まれてきてくれてありがと――あれ?


 こ、こここ、こっちに向かって手を振ってないか!? しっかりバレてんじゃん! しかもお手手ふりふりのファンサまでつけてくれたぁ……しゅきぃ……。


 って、ヤバいヤバい! 絆創膏貼るフリをしてやり過ごそう……。とりあえずベンチ行くか。

 う~ん、もう少し停まってるかなぁ……よし、行った!


 ――はぁ、今日はなんだかテンションが迷子だな。梅雨で湿気たと思えば、あんなイケメンがやってくるなんて。学校着く前に、もう精神的に疲れたんだけど~。


 眠気はもうとっくに覚めてるのに、まだ夢を見てるみたい……。


「おはよ~」


「あら、今日も早起き。連チャンで日直?」


「そうじゃないけど~……なんか目が覚めちゃってさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラヴとレイン 最早無白 @MohayaMushiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説