4.7
大木に附いて夜の街を歩いていると川崎の事を思い出して腑が少し熱を帯びた。あの破廉恥な酒場に連行された日を忘れようがない。今でも時折ふと脳裏を過っては舌打ちを鳴らすくらいに据えかねた横暴を、まだ経過が浅いこの時に堪えられるもなく、夜に光絶えない繁華街への悪濁とした感情が渦巻き、眩い赤提灯、看板灯を睨むのだった。
「僕はね。この辺じゃどこでも名が知られていているから、入る店は吟味しなくちゃいけないんだ。なんたって、誰彼構わず"大木さん大木さん"とやいのやいの言ってくるんだ。落ち着きがないったら……せっかく僕と君が話をしようっていうんだ。周りがうるさくっちゃあだめだろう。弁えた場所でなきゃね」
私は大木に返しの言も送らず黙っていた。気に入らないというのもあったが、彼の放言は彼自身が述べて完結するものであり、そこに追加の文言は必要なかったからである。これは一種の前衛芸術に近い。彼の内面が形となり、言葉という手段で表現された自尊心には難解な美術品と遜色がない特異性が見出され、また、多くの人間が相対して混乱する点も似ていた。彼が作り出す一つのアート群は触れる者の大半に感情の起伏を生み出す。そしてそれは恐らく批判的な、攻撃的な、排他的なもので、嫌悪と唾棄を催すに余りあるでき栄えとの見解で一致するだろうが、それであっても尋常ならざる異物、偉物であるのは疑いようがない。善し悪しはともかくとして、切れ味のある感性を有している事実は素直に認めよう。敬ったり尊んだりするわけではないが、常人が持ち得ない資質を理解したいと思う気持ちは幾らかの人に通じるのではないだろうか。当時の私もそんな心境で、なにか得る物があるかもしれないと虚無な期待を無理やり掲げていた。憂鬱な夜に、前を行く男を見据え、私は必死になって彼に付き合う意味を見出さんと、芥の中に金華を探していたのだ。
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