4.3

 仕事をしない大木が何故早朝に出勤しているのかというと、彼の母親からうるさく言われるためである。聞いた話だが、以前職場まで乗り込んできて「金を返せ!」と胸ぐらを掴んだという一騒動があったそうだ。後から知る分には面白いが、実際目の当たりしたくない光景である。

 そんな母親と顔を合わさぬように大木は早くに来て遅くに帰る毎日を続けていた。朝は会社で新聞などを読み、夜はどこぞで飲み歩く。そのくせ退勤は定刻通りときたものだから皆からは爪弾きにされていて、彼には人権が認められていないという過激な意見を主張する者までいるのだった。村八分も上等なところで、なんなら火がつこうが親族が棺桶に入ろうが知らぬ存ぜぬと見て見ぬふりをされるのではないか、いやそうに違いないと、私は彼の不幸と周囲の無関心を想像するのだった。

 大木はこうした境遇に至ってあっけらかんとしていて、「皆さま青筋を立てていらっしゃる」と神経を逆撫でする発言を繰り返しては、「人生とは孤独である事だ」みたいな聞き齧りの格言などを用いて締めるのである。こんな時の大木の喋り方は素人が舞台に上がって役者たらんとわざとらしく台詞を読んでいるのに等しい。耳にすると、その白々しさに泡肌が立つ事もしばしばあった。

 だがその素人の演技こそ彼を構成する成分の中でも一際重要なものとなっている。日毎冷たい視線や本人に聞こえるよう調節された陰口などに晒され、自宅では母親にとやかく口喧しく罵られる生き方に満足できず、心を癒すために一躍にして日常から離脱し己を欺かなければならないのだ。

 これは私お得意の推察であるため、もし貴方がこの先を読み別の見解を示すのであればそれもまたよいだろう。人の考えを正す事などできはしないし、なにより貴方のご考察である。それを「違うね」と無下にするなど、できるはずもない。

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