貧者の偶像

白川津 中々

1.1

 別段、何を考えて生きているわけでもなかった。


 生まれ出て、育てられ、学校に行き、働く。そんなありふれたごく当たり前の生活を送る毎日。日々大小多少の苦悩はあれど、取り立てて不満なく腹が満たせるものだから、こんなものだろうと退屈を受け入れていた。しかし世の中の一部の人はその退屈が耐え難く、特別を強く願うようで、何かと工夫しては退屈さを払拭しようと躍起になっていたりするのだった。


 例えば子供自分、学校に杉谷という男がいた。

 彼は普段から見窄らしく小汚い服を着ていてよく旧友たちに揶揄われていた。襟元が伸び切ってくたくたのシャツや穴の空いた綿のズボンを恥ずかしげもなく身につけては山吹色の鼻水を滴らせ、「おぉう。おはよぉう」と愚鈍な挨拶をするのが常であった。杉谷の周りにはいつも人で賑わっていて笑いが絶えなかった。皆、寄ってたかって彼を嘲笑し、暴力を伴わない人権剥奪行為に勤しんでいたのだ。「不潔」「乞食」といった非友好的な単語がこだまする度に蛙を轢き潰した時のような笑い声が響き、ある者は口角を上げ、ある者は眉間に皺を寄せていたが、これは聞く者の価値観に基づく個人的性質に依存する反応であるため、善し悪しや貴賤について語るのは止めておく。いずれにせよ評価基準は人それぞれである。


 杉谷についてはこれ以外にも反応の別れる事象があった。そしてそれこそが、先に述べた、退屈さを払拭しようとする、彼特有の行為なのである。


 杉谷は(これも先述したように)普段その肥満体の通り鈍とした語りでものを喋るのであるが、ある事柄に対しては、蠅の羽が振動する時のように素早く、また耳障りに饒舌となるのだった。



「僕の家は由緒正しい家系なんだ。この辺り一帯を治めていた豪族の血筋なんだぜ」



 杉谷は昼飯の時などにそんなホラを吹かせては失笑を買ったり辟易させていたりしていた。勿論信じる者などいるはずもなかったが、彼は頑なに真実であると言って憚らず、歴史書のどこを開いても見つかるはずのない架空の先祖に由来されているとする逸話を披露するのであった。

 その時の杉谷の顔は恍惚としており、得も言えない不気味さがあって、誰も深くは追及できなかった。また、したとしても彼は必死に反論し、空想の史実を根拠に自らの正当性を主張したに違いない。彼は、彼が作り出した嘘の歴史の語り部であり、求道者であった。自らの使命を放棄する事などどうしてできようか。彼の生は、彼の作り出したルーツの中で燦然と輝いて、彼の指標となっていた。それを否定するなど、できるはずがない。

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