俺と夫婦漫才を希望する意味不明な幼馴染の第一希望は、俺と夫婦になることだった

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第1話

 学校終わりの帰り道。俺は完璧だった。

 下校時間をずらして、学校の裏門から出た。学ランの上着を脱いで白シャツ姿になり、『田中賢太郎は黒い学ランに身を包んでいる』という、浅はかな先入観を持った人間の目を誤魔化す些細な努力も忘れなかった。

 しかし、その女は待ち伏せしていたのだ。

 俺を見つけるやいなや、彼女は飛びかかる勢いでスタートダッシュを決める。

 俺だって男だ。運動音痴でもない。走力だって学年で上から数えた方が早いのだ。

 そう簡単に追いつかれたりはしない……!


 そして追つかれた。

 現役運動部にはかなわなかったよ……

 彼女が後ろから抱きついてきたため、危うく転びそうになってしまう。


「なんで走ったん?ウチから逃げられるわけないやん」


 関西弁を喋る彼女は、幼馴染の夏樹美柑だ。少し日に焼けた肌と、短めの髪を後ろでまとめていて、スポーツ少女な見た目だ。


「こない息も荒げて」


 しがみつくような締め付けがキツく、微妙に息が整わない。


「い、いいから離せ。シャツが皺になる」

「あ、ごめん」


 美柑は素直に離れると、俺の背中を二回ほど撫でた広げた。


「はぁ、なんで俺だって気づいたの?学ランを脱いで、髪の分け目も変えておいたのに」

「そんなんで見分けつかなくなるほどウチアホとちゃうよ?!」

「どうだかな。それで、何か用?」

「そろそろ、ウチらの将来のことを一緒に考えようや」

「なんで俺がそんなことしなくちゃいけないんだ」

「だって、賢太郎はウチのパートナーやんか」


 彼女はモジモジと少し照れ臭そうに言った。

 事情を知らない人間が見れば、恋の甘酸っぱい場面に見えるかもしれない。

 しかし、これはそういうのじゃない。


「一緒に漫才のネタ考えようや」

「いや、俺勉強あるから」


 そう、こいつの夢は芸人。漫才師。そして、あろうことか、受験前に俺をお笑いの道に引きずり込もうとする敵だ。もちろん、パートナー(相方)とやらになった覚えもない。

 別に、お笑いをやっている人達を馬鹿にするつもりはないいし、俺自身もお笑いは好きだ。


「勉強なんて高校卒業した後でもええやん?」

「やっぱりアホじゃん。それじゃ手遅れだろ」

「ウチと一緒にお笑いの天辺取ろうや」


 しかし、こんなトンチキな誘い文句に乗っかるほど、俺は自分の人生を悲観していない。ちゃんと勉強して、ちゃんとした大学に行くんだ。


「しつこい奴だな。俺には俺のやりたいことがあるんだよ」


 俺の将来の夢は公務員だ。いい大学を目指すのは、将来の選択肢の幅を広げておきたいから。


「賢太郎のやりたいことってなに?ケーキ屋さん?」

「お前人の話聞いてた?」

「勉強って、ケーキ作る勉強かもしれへんやん」

「お前と過ごす日々でそんな伏線見せなかったろ。俺がショートケーキについて熱く語ったり、生クリームシャカシャカ混ぜながら登校してきたことが一度でもあったか?」

「見たことあるかも。記憶の片隅に」


 あるわけないだろ。記憶を改竄するな。


「ああそう。じゃ、俺パティシエ目指すから。さよなら」

「あー、勘違いやったわ。本当は、ショートコントについて熱く語りながら、生クリームシャカシャカ混ぜてる賢太郎を見たんやった」

「その賢太郎は一体何を目指してるんだ。生クリームも改竄しないと意味不明になっちゃうだろ」

「ところで、賢太郎はなんで公務員目指してるん?」


 なんだこいつ。俺が昔語ったことを覚えていたのか。


「もちろん、安定してるからだよ」


 なので、現実主義の俺と、夢追い人の美柑とでは相容れない。


「でも、公務員目指すだけなら大学も選ばんでええやん」

「だけど、それなりの大学には行っておかないとだな……」

「勉強ばっかじゃ疲れてまうやん。今日はウチと遊ぼ」


 ……まぁ、美柑の言うことも一理ある。たまには息抜きも悪くないか。


「とりあえずそこの公園寄ろう」

「小学生かよ」

「ちょっとベンチ借りるだけやって」


 そう言いつつも、美柑は童心に帰ったようにベンチへと走っていき、腰を下ろして自分の側を手でポンポンとした。

 そんなことされたら、なんか恥ずかしくて座り辛いな。隣のベンチに行くか。


「あ、何でそっち座るん。こっち空いてるよ」

「こっちも空いてる」

「もう」


 美柑は少し口を尖らせて俺の隣に座り直した。


「それで、どうするの?公園でやるようなこともないし、俺はゲーセン行きたいんだけど」

「おままごとしようや」

「は?」

「やからおままごと」

「……そこで遊んでる幼児達に交ぜてもらえば」

「賢太郎とやりたい」


 色々言いたいことはある。しかし、どれもわざわざ口に出して言うほどのことではなく、むしろ、沈黙でもって彼女が正気に戻るのを願いたいばかりだった。

 高校生でおままごとっておかしいでしょ。受験疲れか?こいつが勉強してるとは思えないけど。


「悩みがあるなら相談に乗るぞ。辛かったな」

「そんなんちゃうって」

「最近、言動がおかしいとは思ってたんだ」

「おかしくないで」

「幼馴染がこんなになるまで気づけなくてごめん。俺はお前の友達失格だよ。一緒にはいない方がいいかもしれない」

「あぁっ、行かんといてよぉ!」

「離せ」


 立ち去ろうとする俺の腕を、彼女はがっしり掴んだ。


「座って、な?ちょっとしたおふざけでやるだけやから」


 俺が深い嘆息をついて再び腰を下ろすと、彼女は満足げな笑みになって、


「まず、ウチが奥さん」 


 夫婦おままごとか。


「賢太郎は、新婚旅行用にウチが貯めて置いたお金をパチンコで溶かして、挙句お酒で酔っ払って帰ってきた旦那さんね」

「なんだそのゴミクズ野郎は」

「旦那さんやで」

「普通に公務員とかでいいだろ」

「賢太郎が恥ずかしがるんやないかと思って、なるべく遠い設定にしたのに。公務員やなんてまんま賢太郎やん」

「あ、いや……」


 そうだ。ごっこ遊びなのに、自分自身を当てはめる必要がないことに今更ながら気づいた。


「んふふ、賢太郎てば」

「変な笑い方すんな、くそっ。からかいたいだけなら俺はもう行くから」

「あ、待って。おかえりなさいあなた!」

「……ただいま」

「ご飯にされる?お風呂にされる?それとも私にされる?」


 またずいぶんと定番なところを持ってきたな。語尾がおかしいけど、尊敬語のつもりだろうか。


「ご飯にしてくれ」

「ほな、そこに横になってな」

「なんでだよ」

「ええから」


 実際に横たわるわけじゃないが、ベンチに腰を沈めて横になるフリをしてみる。

 食事の前にマッサージとか、そういったシュチュエーションだろうか。


「今日もお仕事お疲れ様」

「ああ」

「そしてさようならっ」


 突如、美柑の手刀による刺突攻撃が俺の胸部を襲った。


「やめろ、なにをする」

「これから調理を始めるんや。旦那さんのなぁ」

「選択一つで即死とか出来の悪いノベルゲームか?『風呂』や『私にされる』を選んだらどうなるんだよ」

「血の池風呂なるか、普通に私に殺されるかやで」

「クソゲーすぎる。中古で100円払うのも惜しい。買って不燃ゴミに出す手間を考えたら、怪しい募金団体に寄付するほうがよっぽどましだ」

「選択肢やり直す?」

「ネタバレくらったのに誰がやり直すか。なんでこんな超展開なんだよ」

「超展開に感じるのは、賢太郎が設定変えてもうたから。本来は悪い旦那さんやったのに」


 あぁ……そこ繋がってたの。

 どっちにしろ、こんなしょうもないことにはこれ以上付き合っていられない。


「はぁ、もういい。気は済んだろ」

「ここで一旦区切るん?じゃあ、今のやり取りええ感じやったから、もう一回通しでやってみよ」

「……なにを?」

「今の漫才の練習や」


 なるほど。おままごとはさすがにおかしいと思ってたんだ。

 こいつ、ネタの練習に俺を巻き込んでやがったな。


「帰る」

「あぁ、行かんといてってば。ウチには賢太郎しかおらんねん!」

「お断りだよ。どうしてもおままごとの続きがしたいなら、そこの子供達とやれ」

「そんなん無理やって」

「……本当にそうか?」

「え?」

「芸人を目指そうともあろう人間が、そんな常識にとらわれた考え方でいいのか?」

「でも……」

「お前の夢はその程度だったんだな」

「ウ、ウチできるもん!」


 そうして、年端もいかない子供に絡んでいった高校生が、近くにいた保護者っぽい人に詰め寄られて慌てふためく様を見て、俺は満足しながら帰路につくのだった。


 しかし、逃げ切りには失敗した。美柑は家が近いし、もちろん俺の家の場所も知っている。


「賢太郎ただいま」

「ここ俺の家だけどね」

「酷いやん自分!ウチ、危うく捕まりそうになったわ」

「芸人として話のネタができてよかったんじゃないか。それより、せめて着替えてからこいよ」


 美柑は制服姿で学校鞄も持ったままだった。多分家に帰らず、直接来たんだろう。


「賢太郎また勉強しとるん?ウチも宿題広げていい?」

「いいけど」


 美柑は俺の前に腰を下ろすと、ちゃぶ台に鞄を置いて片手で鞄から宿題を取り出しながから、もう片方の手で俺の鞄を漁り始めた。


「おい、人の鞄開けるな」

「あった、進路希望調査」

「おい」

「ほんま、第一希望に大学進学って書いとる」

「ああ。消しゴムを手に持つなアホ」

「ええやん!」

「いいわけないだろ。消そうとするな」


 クソ、こうなったら……

 俺は、宿題と共に引っ張り出されていた、美柑の進路希望調査をめざとく見つけていた。


「お前のもかせ」

「あ、ダメ!」


 美柑が希望調査の紙を手で覆ったが、ほとんどは見えている。


「第二希望がお笑い芸人、なのか……?」


 意外な事実だ。てっきりお笑い芸人一筋かと思っていたのに。ついでに、第三希望にはケーキ屋さんと書いてある。


「う、うん」

「第一は?」


 手で隠れて見えない。


「……見たら、ウチの夢認めてくれるって言うなら、見せてもええよ」

「俺も巻き込む夢なら無理だ。絶対認めない」

「…………そっか。せやったら、それはそれで見せてもええかも。鬱陶しい女でごめん」

「どれ。『賢太郎のお嫁さん』ってお前……」

「うぅ……」

「絶対再提出させられるぞ」

「つ、突っ込むところそこ?」

「第一希望がこれで、なんでやたら俺にお笑いやらせようとしてたんだよ」

「だって、夫婦の次に一番近い存在って、夫婦漫才師かなって。後、ウチ普通にお笑い好きやし」


 アホなだけあって、結構しょうもない理由だった。要は俺と一緒にいたいだけか。


「とりあえず、第一希望は就職にしとけよ。今すぐ養うのは無理だから」

「え、あの……?」

「あんな回りくどい誘いじゃなくて、これだったらすぐに受け入れたのに」

「え、ええ?!賢太郎、えええええ?!!」

「なんだよ」

「ええ。えぇ……?」


 え、しか言わなくなったなこいつ。


「おかしいやん自分!一度も私にデレたことない癖に!それなのにこんな簡単受け入れて!ありがとう!!」

「こちらこそありがとう」

「どういうことなんや!」

「だって、お前お笑い芸人目指してたから、俺とは相容れないなと思ってて」

「……なんや、夢ってこんな簡単に叶うもんなんやな。せやったら第二希望も通るかもしれへん。賢太郎、ウチと一緒にお笑い芸人やろうや」

「お前人の話聞いてた?」



 それから数年後、俺は大学を卒業して就職したのを機に、幼馴染の美柑と結婚した。

 すぐに美柑を養うつもりで、給料のいいところに就職したから初任給でも手取りはそこそこだ。なので、美柑には仕事を辞めても問題ないとは伝えてあるが、彼女は自分がやりたいことだからと、高校を卒業した時に就職したケーキ屋さんで今でも働いている。

 仕事から帰ると、美柑が出迎えてくれた。


「おかえりなさい!お風呂にされる?ご飯にされる?それとも私にされる?」

「懐かしいなそのネタ。しかし、俺はちゃんと稼いでくる良い旦那さんだよ」

「こんな遅くに帰ってきて、悪い旦那さんや」


 そう言うと、美柑は俺に口付けをした。


「普通に定時上がりなんだが。まだ18時とかだぞ」

「たまには12時くらいで上がったらええやん。そして、ウチを出迎えてぇな」

「お昼に帰れるとかホワイト企業を通り越して、もはや透明の無職だ。社食食べに来てる部外者でしかない」

「そんなっ、囲碁とうちわどっちが大事なん!?」

「なんなのそのラインナップ。うちわで」

「今日少し暑かったもんね。扇いだる」

「ありがとう。涼しい」

「後で囲碁もしようね」

「なんでだよ」

「ウチ賢太郎と遊びたい」

「いいけど、手に持ってるの将棋じゃねぇか」


 毎日こんな会話で。それは楽しいやり取りで。まるで夫婦漫才のようで。

 結局、美柑は全ての夢を叶えてしまったのかもしれなかった。

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