第4話 高梨さんがいてくれて、本当に心強いよ。

 平日の間、翔はもんもんとして過ごした。考えても解決はしないのだが、高橋冬彦の見てはいけなかった顔が頭から離れなくて苦しかった。


 翔がどんなに苦しんでいてもぽぽはいつもどおりだ。日中はクラスメートとたわいもないおしゃべりをして過ごし、放課後はチア部で汗を流している。


 彼女は知らないのだろうか。気づいていないのだろうか。ほぼ接点のない伊織でさえ気づいていたというのに、クラスで一番高橋とよく話すぽぽが気づいていないわけがない。何とも思わないのだろうか。


 肝心の高橋ともいつもどおりだ。もともとが教室という同じ空間で一緒にいるだけの他人だったこともあり、良くも悪くも変化はない。


 体を動かしている間はしばし忘れることができる。翔はよりいっそう部活に励んだ。


 本日土曜日も朝から夕方まで部活で先ほど帰ってきたところだ。シャワーも浴びてすっきりした。


 ところが、自室でゲームをしていたら、姉が話しかけてきた。生理用ナプキンを買ってきてくれ、とのことである。千円札を渡され、手間賃としておつりをふところに入れていい、と言われたので翔はしぶしぶ承諾した。


 自転車でドラッグストアに向かう。片道五分の大したことのない道のりだ。


 まだそんなに遅い時間ではないと思っていたが、外はすでに真っ暗だった。閑静な住宅街であるとはいえ、若い女性である姉を一人で行かせなくてよかったかもしれない。暦の上では夏はすでに終わっている。


 店の前の駐輪スペースに自転車をとめ、中に入った。普段からそんなににぎわっている店ではなく、今日もちらほらと夫婦らしき中年の男女がいるだけだった。


 翔が姉の生理用ナプキンを買わされるのはこれが初めてではない。母親の教育方針で、将来結婚した時に嫁のナプキンひとつ買えない男になったら困るから、とのことである。女性特有の生理現象にタッチするのに多少の気まずさはあったが、女性にとっては当たり前のことだと言われると受け入れないといけない気がしていた。


 ハーフパンツのポケットからスマホを取り出す。いつだか姉から送られてきた画像を開く。写真と同じブランドのナプキンを探す。前回も同じ場所を探したので、今回は難なく見つけることができた。買い物カゴに放り込む。


 自動ドアの開閉音がした。ふと顔を上げたら、見覚えのある二人連れが店の中に入ってきたところだった。


 一人はぽぽだ。中学校の区分でいえば同じ校区に住んでいるのでこの店で遭遇するのはそんなにおかしいことではない。


 今日の彼女は丈の短いトップスに際どいショートパンツをはいていて、ばっちり化粧をして髪を巻いていた。


 もう一人は高橋冬彦だ。


 彼はサマーニットにダメージジーンズを合わせたユニセックスな服装だった。長い前髪は上げて頭の上でヘアピンで留めていた。コンタクトレンズを使っているのか眼鏡をかけていない。白く滑らかな頬はきっとファンデーションを塗っているのだろう。眉毛もしっかり揃えられ、唇の形もくっきりしている。


 二人は何やら楽しそうに話し込んでいた。ぽぽが楽しそうにしているところはそんなに珍しくないけれど、高橋冬彦の笑い声は初めて聞いた。


 翔は二人に気づかれないよう、しかしけして見失わないようにしっかりと、つかず離れずの距離を保って二人の後をつけた。どうしてそんなことをしようと思ったのだろう。高橋冬彦の正体に迫れる気がしたからだろうか。


 二人はぽぽの案内で化粧品コーナーに向かっていった。


 プチプラコスメの棚の前で立ち止まる。ぽぽが試供品の封が切られた何かを手に取る。


 何を思ったか、彼女はそれのキャップを開けると高橋冬彦の手にそれを軽く押しつけるようにして塗った。


「冬くんは色が白いからもうひとつライトでピンク寄りのやつのほうがいいかな」


 そう言ってキャップを閉め、元の棚に戻す。そしてその隣の同じブランドの違う色のものを手に取る。同じように高橋冬彦の手に塗って微笑む。


「こっちのほうがいいよ」


 どうやらファンデーションには液状のものがあるようだ。それから、試供品はこういうふうに手に塗って使うものだったらしい。翔は二つ勉強になった。


 高橋冬彦用の化粧品を選んでいるのか。


 学校では聞いたことのない高橋の明るい声が聞こえてきた。


「ありがとう、高梨さん。めっちゃ心強いよ」


 嬉しそうだった。


「やっぱり、男一人だとこういうところいづらいからさ。高梨さんがいてくれて、本当に助かった」


 それを聞いた時、翔の中でパズルのピースがはまるようにいろんなことがつながっていった。


「わたしでよければいくらでもカモフラージュになるよ」

「ごめんね、利用するみたいになっちゃって」

「ううん、これぐらい大したことじゃないし、わたしも楽しいから。これからも付き合ってほしい場所とかあったら言ってね」


 二人はまた別のコスメを試した後、三つほどのアイテムを持ってレジのほうに向かっていった。


 その様子を、翔は呆然と眺めていた。


 二人が店の外に出ていくまで、その場に突っ立ってぼんやりしていた。


 なるほど、ぽぽはカモフラージュのために利用されているのだ。




 帰宅してすぐ、LGBT、特にゲイとトランスジェンダーについて検索しまくった。


 セクシャルマイノリティ、性的少数派。差別され、迫害されるもの。当事者のつらい声。カミングアウトした有名人。ダイバーシティに取り組む企業。


 いろんな情報が出てきたが、翔が欲しい情報にはたどり着けなかった。


 しかしそもそも欲しい情報とは何だろう。何の情報を得れば自分は安心するのか。何の答えを探しているのか。そこが見えないまま検索し続けていても不安になるだけだ。


 抱え切れなかったので最終的に伊織と陽斗に助けを求めた。


 日曜日の夜、三人でLINE通話をした。だが伊織も陽斗もこういう人に出くわすのは初めてだ。適切だと思われる対応は知らない。


 混乱しながらもなんとか情報を整理した結果、三人はこういう結論を出した。


 ぽぽはきっと高橋冬彦がそういう人であることを知っているに違いない。彼がそういう人で生きづらさを感じていることを知って、優しいぽぽは彼に手を差し伸べた。ぽぽという普通のカノジョがいれば周りの人間が疑いの目を向けることはない。かりそめの安定を得られる。


 だがその安定はあくまでかりそめのものだ。彼の正体が明らかになれば彼がぽぽを利用したことで非難される。彼がいる限りぽぽも他の男と恋愛はできないわ嘘をつき続けなければならないわで苦労するはずだ。


『カミングアウトしちゃったほうが楽になりそうな気がするけどな』


 伊織が言った。


『本当の自分を隠して生きてるってことじゃないの。何もかも洗いざらい話してしまえばすっきりするんじゃないかな』


 翔は頷いた。


 嘘をつくのはつらいものだ。良心がある普通の人間は葛藤する。そういう苦しみを高橋冬彦も味わっているとしたらどうだろう。


 三人は明日の放課後高橋冬彦本人と話をしてみるということで決着した。明日は月曜日で一週間のうちの一日だけ部活がない日でもあり都合がいい。話したいことの要点をまとめて、その日の通話は終えた。




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