妖怪もふ屋 ~至高のもふもふで貴方の疲れを癒やします~
徳川レモン
1話 ラグドール猫又:ラクスちゃん
こんな噂を耳にしたことはありませんか。
最高の癒やしを提供する妖怪のお店が存在する、と。
これはそんな不思議な店に訪れる人々のお話。
***
「ちくしょー、ばーろばーろ!」
スト〇ングゼロを片手に夜道を歩く女性会社員。
彼女は広末香。27歳(独身)である。
先日、三年半付き合った彼氏に別れを告げられ彼女の心は荒みきっていた。
独身どころか今や恋人すらいない女。いや、恋人ならこの右手にいるだろう。愛飲するゼロ様が。ゼロ様が全てを洗い流してくれる。そう考える彼女は典型的なお酒を飲んじゃダメな人だった。
香はおぼつかない足取りで深夜の商店街をふらふらする。
ここは彼女の暮らすマンションへの近道であった。活気のあったバブル期以前の面影はほとんどなく、今ではシャッターが並ぶだけの寂れた通りである。
香がこれほどまでに酔うのは昨日今日に始まったことではない。だが、今夜はそうなってもしかたがなかった。先に述べた恋人との別れだ。
長年の友人を誘い、居酒屋で溜まっていた元恋人の不満を数時間語り続けた。ずっと我慢していた。結婚の為と我が儘に応え、明らかな背伸びであっても期待に添えられるよう努力した。
その甲斐あって秒読み段階まできていた――はずが、想定もしないどんでん返し。
香は告げられただけで詳細を知らない。しかし、どうせ別の女が現れたのだろうと確信していた。みっともなくすがりついても良かったが、そこは自尊心というか、女の意地とかプライドで未練の欠片も見せずあっさり別れてやった。
もちろん未練たらたらだ。色々打算もあったが、結局彼のことが大好きだから結婚したかったのだ。香はゼロ様を強く握り「うえーん」と涙と共に鼻水を垂れ流す。
ふと、香は足を止めた。
薄暗い商店街に煌々と照明を灯す一軒の店を見つけたからだ。
彼女は居酒屋だと勘違いし、日本酒を求めて駆け寄る。香は現在、熱燗が飲みたい気分なのだ。
「妖怪もふ屋……?」
掲げられた看板は予想を裏切るものだった。
木製の板に筆で『妖怪もふ屋』と書かれている。店構えも風格があり、一般人を寄せ付けないある種のオーラがあった。だが、香は酔っ払いだ。アルコールによって全ての感覚が鈍っていた。ゼロ様片手に何を思ったのかふらりと店へと入る。
「ごめんくださーい、ぜろさまちょーらい」
「酒臭っ!? ウチは酔っ払いはお断りにゃ。いますぐ帰るにゃ」
「あ~? 猫がしゃべってる?」
香はとろーんとした顔でまじまじと観察する。
でっぷりと太った三毛猫が二足歩行で彼女の目の前にいた。
「ぜろさまちょーらい。もしくは熱燗。金はあるのよ、ほら、寄越しなさい」
「ウチはコンビニでもないし居酒屋でもないにゃ。看板を見てないのかにゃ?」
「妖怪もふ屋、って居酒屋コンビニじゃないの?」
「居酒屋コンビニってなんなのにゃ。あーもう、ちょっとこっちに座るにゃ」
猫は香を誘導し、適当な場所に座らせる。
ぼーっとする彼女へ水の入ったコップを差し出した。
「ありがとう……うぇ、お酒じゃない」
「まだ飲むつもりだったのにゃ!?」
ほんの少し酔いが覚めた彼女は、ゼロ様を横に置いて店内を観察した。
内装は年季の入った老舗風だ。実際にそうなのかもしれない。壁も床も傷が多く数年そこらでできた建物にはとても見えない。
「なんのお店なの?」
「よくぞ聞いてくれた。ウチはあらゆるストレスから人々を解放する冷たい現代社会のオアシス妖怪もふ屋にゃ」
「ぶふっ、妖怪だって。あははは、あはははははは!」
「なぜ笑うにゃ!? 笑うところあったかにゃ!?」
猫は自身を『猫又のマツモト』と名乗った。
マツモトは香につらつらと店の紹介を並べた。
「人には沢山の悩みやストレスがあるにゃ。生きる上でそれは避けられないことにゃ。しかし、明日を生きるには活力が必要にゃ。そこでもふ屋では、癒やしと活力を与えて人々を手助けしているにゃ」
「ここなら……元気が出るの?」
「断言するにゃ。もふ屋の癒やしは超ド級にゃ」
香は財布を取り出し、1万円を三枚マツモトの顔に叩きつけた。
昨日は給料日だったので、本日の香は金に糸目を付けない女であった。
「癒やしを寄越せ! あたしはひどく傷ついてるの!」
「料金設定はちゃんと書いてあるにゃ」
「信じた男に裏切られ、いまじゃゼロ様だけがあたしの安らぎ。あたしが何をしたって言うの。貴方一人の為に三年半もの貴重な時間を割いてあげたのよ。なのにこの仕打ち、御奉行様を出せ。訴えてやる」
「話を聞いてないにゃ」
香は落ち着いたところで壁にある値段設定を確認した。
30分4500円
60分8500円
120分17000円
※10分追加するごとに1500円が加算されます。
香は相場が分からないので首を傾げた。
「まずはお試しで30分コースをお勧めするにゃ」
「じゃあそれで」
お釣りを渡したマツモトは固定電話へと駆け寄り、受話器を耳に当ててぼそぼそ話をする。
香はその様子を見ながら『内線かな?』とぼんやり予想した。
「もうじき来るにゃ」
「そういえばもふってなんなの?」
「もふはもふにゃ。では、始めるにゃ」
マツモトは扇子で机を叩く。
「今宵、妖怪もふ屋に舞い込みしは、恋人に振られた傷心の女性。仕事にプライベートにと疲れ果てた心を癒やすはこの一匹なり」
静かな足取りで白毛のラグドールが現れる。
尻尾は二股に分かれていることからマツモトと同じ猫又である。
毛が長いふわふわの猫は香の近くでお座りする。
「みゃん」
ラグドールはほんの一瞬、マツモトに目配せをした。
それに気が付かない香はキラキラ目を輝かせながら正座をしてしまう。
「紹介するにゃ。彼女はラグドール猫又の『ラクスちゃん』にゃ」
「あの、撫でて良いかな?」
「もちろんにゃ。30分間心ゆくまで癒やされるといいにゃ」
香はまずはラクスの頭を撫でる。
ラクスはまるでそれを待っていたかのように、香の手の平へと頭を擦り付け、そこからさらに彼女の指を甘噛みし、引っ込めようとする手を前足で軽く叩き『もっと』と頭を擦り付けた。
香の膝の上に乗ったラクスは、ごろんとお腹を見せてじっーと眺める。
「お腹を撫でて欲しいのね」
「にゃうん」
香は夢中になっていた。撫でるほどに氷のように固まっていた心労が溶け出す。疲れはちりとりで集めてゴミ箱へ捨てたようにすっきりしていた。
「ふんすふんす」
ラグドールのお腹の毛は一際ふわふわであった。
いわゆる猫吸いである。一度やると止められなくなると言われるほど、高い快感を得ることができる常習性の高い行いだ。香は我を忘れるほど吸いまくっていた。
「はい、時間にゃ」
「もう!? だってまだ5分くらいしか」
「ちゃんと30分経過してるにゃ」
時間を迎えたラクスは店の奥へと戻って行く。
残された香は名残惜しそうに彼女の後ろ姿をずっと見ていた。
「心は軽くなったにゃ?」
「そういえば……なんだかすごく晴れやかな気分だわ」
彼女の心の中は眩く輝いていた。
マツモトは微笑みを浮かべてから彼女へ一枚の紙を渡す。
「当店のスタンプカードにゃ。十回来ると無料で30分コースが受けられるにゃ」
「ありがとう。絶対また来るわ」
「またこの時刻にお越しくださいにゃ」
香はがらがらと戸を閉め切り、軽い足取りで帰路についた。
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