それでもこの想いは嘘じゃない

弥生奈々子

それでもこの想いは嘘じゃない

 十月三十一日午後三時――Ⅿ県某所にて。

 遠くから重機が動く音が微かに聞こえる。

 寂れた商店街にひっそりと建つ二階建ての小さなラーメン屋『流麵』。その横にはかつてなにか施設があったことを思わせる基礎部分だけになった建物の跡が草に埋もれており、ブロック塀が並ぶだけだ。そこには、文字がかすんではっきりとは読めないが、原発反対と書かれたボロボロになったポスターが乱雑に貼り付けられている。

 店前の道路にはなにかのパレード前であろうか、動物の着ぐるみを着た集団が頭を抱えて談笑している。

「時間あと六時間だってさ、そろそろ急ごう」

「のどかな街なのにねえ」

「でももう悔いはないかな」

「そうだ最後に現場見に行こうよ!」

「お、いいね。行こう行こう」

 その後を追うように魔法使いを模した仮装をした少女が自転車を押して歩いている。スマホを耳に当てどこかに電話をしているようだ。

「ほら、もう着いたよ。えっと、りゅうめん? あ、これでルーメンね。ルーメン。じゃあ外出てきてよ。はーい。」

「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」

 お友達である未来ちゃんの一言に愛佳は心臓が止まる思いでした。これが漫画の世界であれば、頭の上で真っ赤なサイレンがけたたましく鳴り響いていることでしょう。でも愛佳の数少ない友達である未来ちゃんは、決して的外れなことを言って愛佳を驚かせたわけでも慄かせたわけでもありません。今日は十月三十一日、ハロウィン当日。目の前の少女は可愛い魔法使いの衣装を身に纏っています。これで「トリックオアトリート」と言わない方が驚きです。では何故ここまで愛佳がパニックになっているか。答えは至極単純で、愛佳がお菓子を持っていない。これに尽きるでしょう。

「もし、もしもの話なんだけれど、お菓子がなかったら私はどんなイタズラされちゃうのかな?」

「床板を外しちゃうぞ!」

 思いの外凶悪なイタズラに愛佳はますますパニックです。ワニワニパニックです。そんなことを言うと頭を殴られかねないので、口には出しませんが。

「板ズラしちゃうぞ!」

 さてはこれが言いたかっただけですね。というか、未来ちゃん一人なのでしょうか。後二人は来ると聞いていたのですが。

「あの二人は道に迷ったから、遅れてくるってさ」

 きょとんとしていたのが、わかったのでしょうか。未来ちゃんはスマホを見せてくれます。因みに愛佳はスマホを持っていません。何分機械は不得手です。幽霊なんかよりよっぽど奇々怪々です。機械だけに。

 忘れてください。

 え? というか二人で来てるんですか?

 若い男女が二人きり。なんだかそれは破廉恥な気がします。よくないですよ絶対。

「おー、気になる?」

「べべべべべ別に? 友達が迷ってたら気にするのなんて当たり前のことでしょ」

「大丈夫、そんなんじゃないっぽいから。ところで好きな子が他の女の子といるのってどんな気持ち?」

 未来ちゃんはまるでマスコミの人みたいに、メモを取りつつ茶化してきます。いい子なんですけれど少し不思議な子です。

「ちょっとやめてよ……ルーメンで調べてって言っておいて。中で待ってよ」

 るーめんでぐぐれと復唱しながら未来ちゃんはスマホに打ち込んでいきます。流石華の女子中学生と言うべきか。手慣れたものです。



 午後の光がいくらか薄れ、辺りに夕暮れの気配が混じり始め、それに比例するように街にはぽつりぽつりと明かりがともり出す。そんな夕刻、二人の男女がラーメン屋に向かって歩いていた。

「とうちゃーく!」

 キラキラした装飾を着飾る彼女はクルクルと回る。

 豪奢な衣装の女と比べると、男の格好は対照的であった。幅の広い布を腰に巻き付けるただそれだけの簡素なものである。それに靴も履かず裸足である。

「一生着かないと思ったわ」

 男は浮かれる女を尻目に嘆息する。その様子を見るに道中の苦労は想像に難くない。

「なんでよ」

「だって途中次元越えそうになってたじゃん。モンスターとかいたし」

「いやルーメンでググったらそうなるだろ!」

「ならないよ。古代人でもわかったよ」

 目の前でぎゃあぎゃあ騒ぐ男に対して女はそっと手をかざす。刹那のことであった男は何かをぶつけられたように吹き飛ばされる。彼女は男に手を触れることすら、していないのにである。端から見ればカップルのいちゃつきにも見えるが、男は目を白黒させている。

「未来人なめんなよ」

 彼女はそう吐き捨て二人が待つ家へと入っていく。

「お邪魔しまーす」

「お昼ご飯何にしようか」

「イタリアンとかどうっすか?」

「ラーメンって十回言ってみてくれ」

「ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン、ラーメン」

「お昼ご飯何にしようか」

「イタリアンとかどうっすか?」

「頑なだなお前!」



 仮装した男女が言い争いする同刻――裏側、ラーメン屋の入り口前で二人の男が言葉を交わしていた。二人とも同じつなぎを着ているがそれ以外は対照的な、二人である。一人は髪の毛をベージュ系ブラウンに染めている青年であった。つなぎも気崩しており、全体的にチャラい印象を受ける。

 もう一方は眉間に皺が寄っているふくよかな壮年であった。白髪も相乗して、老けて見える。つなぎをきちんと着てウェリントン型の眼鏡と誠実そうな印象を受ける。

「俺はラーメンを食べたいんだよ、察しろ」

「そう言えばいいのに。面倒くさいっすね。言ってくれれば一発っすよ」

「俺はラーメンが食べたい」

「じゃあイタリアン行きますか先輩」

 青年はさっきの会話など気にせず快活に話す。壮年は少し顔を歪めるが、肩を竦めるだけだ。彼等の中ではこれが日常なのだろう。先輩後輩を超えた仲の良さが見受けられる。

「てかこの服暑くないっすか? ラーメンって気にならないんすよね」

「わかってないなお前は。熱いの食べるなら暑いくらいが丁度いいんだよ」

 壮年はちっちっちと指を振り自慢げに語る。漫画ではよく見る演出であるが、現実で見たら少しウザい。

「喉元千切れば熱さを忘れるって言いますしね。先輩のおごりですしお供しますよ」

「喉元過ぎればな。喉元千切ったら冷たくなるんだよ」

 そんな詮ないやり取りをしながら、二人がラーメン屋に入ろうとすると、青年のつなぎから不協和音がながれる。

「この反応は……先輩、この辺りに古代人がいますよ。過去の人間の転移は違法です!」

 青年は先ほどの態度からは考えられない、真面目な顔つきになる。しかしそれに反して壮年の顔つきは暗い。まるでゴキブリを見つけたかのようである。

「後輩よ、今日は非番だ。後はわかるよな?」

 壮年からの言葉に青年はきょとんフェイスを浮かべている。得心しかねているようだ。

「スルーしよう」

「そんな先輩!」

「さあ飯だ飯!」

 未だ納得せず何かを言いかける青年だったが、その言葉はもう一回り大きな壮年の声にかき消されてしまう。そしてそのまま肩を回されラーメン屋の中へと引きずり込まれるのであった。



 皆さんこんばんは。大村愛佳です。どうして愛佳が家の前で座り込んでいるのか、それは涙なしでは語れぬ、物語がありました。端的に言えばはぐれただけなんですけれど。今でもそのはぐれ方が意味わかりません。

 私たちは楽しくハロウィンパーティを楽しんでただけなんです。誰にも迷惑をかけていません。かけていないと思います。すみません、お約束はできません。道徳的に生きることで、犯罪者が損失してしまうかもしれないし、清く正しく生きることで、そうやって生きられなかった人から白眼視されるかもしれないし、大好きな人を幸せにすることで、他の人を蔑ろにしてしまうかもしれませんから。でも少なくとも私たちは常識の範囲内で、人並みにハロウィンを楽しんでいました。軽トラをひっくり返すなんて以ての外です。

なのにどうして私たちは男の人に絡まれちゃったんでしょうか。つなぎを着た男の人でした。私達というか、古代人――仁くんに怒っていたような気がします。古代人がどうたらこうたらって……

 古代人の仮装が気に障ったんでしょうか。そんなわけないか。愛佳は仁くんと仲良くなりたかっただけなのにな。

 なんでこんなことになっちゃったんだろ……

「あーもー! 光らせすぎなんだよ! 目立っちゃうからライト消して!」

 少し泣きそうになったとき、空がピカピカと光ります。電子的なエンジン音も聞こえてきました。地面はナウなヤングのたまり場、クラブを思わせる様でした。行ったことありませんけど。多分こんな感じですよね。

 てかこれなんですか?

 ハロウィンのイベントでしょうか。ちょっと凝りすぎな気がします。明らかにユーフォ―ですよねあれ。未確認飛行物体を飛ばすのは明らかにやりすぎです。寂れた地方都市ですよ。商店街はシャッター街ですし、集まるところなんてショッピングモールくらいですし。

「ばれても未来に影響ないからって無茶苦茶やりすぎなんだよ。ねえ」

 ピカピカした棒を持った警備員さんが私に話しかけてきました。ねえって言われてもまだ何も飲み込めてないんですけど……

「あ、えっと、これ何かのイベントですか? ユーフォーですよねあれ」

「ユーフォーってまた前時代的な……あ、君現地人か。大変だね頑張って色々」

「え、いや、現地って」

「何回言ったらわかるんだよあいつら。だからここは飛ぶなって言ってるだろ!」

 愛佳の言葉を遮り、警備員さんは走って行きました。わけわかんないことばっかで、不安でいっぱいになり、どうすることもできず辺りを見渡すと、仁くんを見つけました。よかった。やっと再開できました。横にはキラキラした服を着た女の子もいます。星ちゃん……でしたよね。もしかして二人付き合ってたりするのかな。未来ちゃんはそんなんじゃないって言ってたけれど……

「やっと撒いたね」

「あいつらしつこすぎるんだよなあ。いいじゃんか滅ぶ街の観光くらい。未来に影響ないんだから」

「貴方は古代人なんだからこの時代のことを知ったらダメなのよ本当は」

 は? いやいやいやいやいやいや。嘘ですよね。なんかゲームとかアニメの設定ですよね。滅ぶ? この街が? そんなわけない。そう思おうとしても今日の出来事が、否定してきます。でも仁くんがここの人じゃないなら私の気持ちは。

「ね、ねえ。滅ぶってなに。さっきユーフォ―がいて、警備員さんが大変だねって……」

 私はなんとか不安を消そうと話しかけます。つっかえつっかえで、しどろもどろで、とても聞けたものじゃありません。そんな私を見て星ちゃんは明らかに面倒くさそうに頭をかいてます。

「愛佳さん、あのね」

「えっと、愛佳……愛佳、仁くんが好きで!」

 一世一代の告白でした。愛佳は仁くんが好きで、恋人になりたくて、付き合いたくて、手繋いだりして、沢山やりたいことがあって、大好きで……

「知ってる。そういう設定だからね」

 星ちゃんは目を細めると、手をかざして私の顔へと持っていきます。その手はぼんやりと光っています。

 そこで私の意識は暗転しました。




 星が愛佳の眼前に手をやると愛佳は膝から崩れ落ちた。死んではない。眠っているようだ。

「未来人ってそんなこともできるのか」

「限られた人だけね。もうそろそろ危ない。船に戻るよ」

「見つけたぞ古代人!」

 立ち去ろうとする二人は大声によって呼び止められる。声の主はつなぎの男二人組であった。その二人を視認すると星は、苦虫を嚙み潰したような表情になる。星ほどではないが、仁の顔つきも暗い。

「お前等しつこいんだよ!」

「過去の人間を未来に連れて行くのはれっきとした違法だ。どこの旅行会社だお前等」

 青年はもう逃げられんぞと高笑いする。恰幅のいい壮年も非番をつぶされた恨みを晴らそうとしているようだ。眼には怒りの炎がともっている。

「助けてくださーい!」

 三人(仁は星の陰に隠れている)が手を掲げ、一触即発のその時、未来が叫びながら間に入る。

「お客さん、もう船に戻る時間です。早く行ってください」

「でもでも、着ぐるみの人達が、崖から落ちて」

「すみません、お二人協力してください!」

 星は、手を下げ二人の男に頼み込む。その様子からは焦りがうかがえる。

「おい、もしかして」

「その人たちうちの客なんです!」

「まずいっすよ先輩、未来人が死んだら世界戦に影響が出るっす」

「仕方ない一時休戦だ。早く行くぞ!」

「仁くん!」

 愛佳が立ち上がり声を上げる。本来なら、星の術は人間が丸一日起きないほど強力だが、恋の力で跳ねのけたのだ。恋の力で跳ねのけたというと、陳腐な表現だが決してオカルトや精神論なんてものではない。セロトニンとドーパミンの過剰分泌により、睡眠中枢がマヒしているのであった。

「おい現地人なんて捨て置け! 俺等は現場に行くからな」

「お願いします。お二人は早く船へ」

 星の言葉を皮切りに仁と未来は東の河原へ、二人の男は西の山へと駆け出した。愛佳はやはり限界が近いようで座り込んでいる。目線を合わせるように星はしゃがみ込み話しかける。

「もう疲れたでしょ? ゆっくりお休み」

「ねえ全部偽物なの? 友達も好きな人も全部全部。この気持ちも本物じゃないの?」

 それは愛佳が抱いていた――。小さな小さな想いの残滓であった。

「こんなに好きなのに。持っているだけで幸せなのに。思っているだけで楽しいのに。考えているだけで生きていこうって気になって、ふわふわのぽかぽかになるのに。他に何もいらないのに――この気持ちは全部嘘だって言うの?」

「それもその方が都合がいいから。未来の催眠技術だね」

 愛佳の悲痛な心からの言葉に対して、星が出した回答はとても簡素なものであった。簡素で冷酷なものであった。女子中学生には到底受け止めきれない重い重い現実であった。

「大村愛佳は仁が好きで星と未来と友達。全部今日の旅行が円滑に済むための設定」

 そう言うと星は、愛佳を抱きしめる。

 ぼんやりと白く光る手で。





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