第33話

 坂井は凛果に告白した。そして直角にお辞儀をして、右手をこちらに差し出したまま待っている。



 ——俺はいつでも、リンの味方だから


 ——どっちが先に逝っても繋がれる人を選んで欲しい


 ——リンとの思い出は消えないから



 ここで坂井の手を取ったら、駿平との関係は終わる。

 でも、元々終わっていたんだ。彼が死んだ二年前に、もう終わっていた。突然終わっていた。

 それがワイヤレスイヤホン越しの奇跡的な再会で、また始まったような気がしていたけれど。


 あれは違う。

 あの通話は、もう本当に終わったことを再確認するためのものだったんだ。

 もう声でしか繋がれない。その体に触れて、抱き締めることはできない。それを自覚するためのものだった。


 死者には死者の世界があるように、生者には生者の世界がある。

 自分が今生きるべき世界は死者の世界ではなく、生者の世界だ。そこでまた、正直になれる愛を見つける必要がある。


 大丈夫。もう死んでしまった駿平の中に、今もなお自分の存在が消えずにいるだけで十分だ。自分もまた、駿平が確かに生きていたことを、忘れずにいればいいだけだ。



 気づけば坂井が差し出した右手を戻し、顔を上げている。


「返事はすぐじゃなくて大丈夫。いつまでも待つ。彼との思い出を大事にしたまま、僕と新しく思い出を作っていってくれればそれで嬉しいし……もし返事がダメでも、僕は凛果さんに告白したことを後悔しない。だって、全力で想って、伝えたから。柔道の時みたいに不完全燃焼じゃなくて……ちゃんとやり切ったって、僕は思ってるから」


 凛果は彼の顔を見つめた。至って真剣な瞳が、真っ直ぐに自分を射抜いている。


「本当は一目惚れだった。でもなかなか、自分からうまく行けなくて……。颯斗とか宮崎さんにも相談してたくらい、本当は臆病なんだ。だから彼には劣ってるかもしれない。だけど、でも——」


「劣ってなんかない。臆病なのかもしれないけど、ちゃんと自分で仲間に相談して、行動に移してる。私にはできなかったことなの。この前だって、心配してくれた小夏に『ほっといて』なんて言っちゃって、傷つけて。だから坂井くんは、すごくかっこいいんだよ」


「凛果さん……」


「私は、坂井くんにすごく助けられた。私が坂井くんの告白にびっくりしたのは、むしろ私ばっかりが坂井くんを意識してるんじゃないかって思ってたから。あのカフェで話した時、自分のことたくさん言い当てられた気がして、でも不思議と嫌じゃなくて、救われた気がして。今日もすごく楽しかったし、心強いこと言ってくれるし、あ、私好きなのかなって。でも、まだ最後の区切りが終わってないの。その前に返事をするべきなのか、今悩んでる」


 凛果は自分で自分の言葉に驚いていた。自ら「悩んでる」と伝えられた。あまりに自然すぎて、後から目を丸くする。


「その、最後の区切りって、『日陰の星』の意味を探すことなんだよね?」


「そう」


「僕も……一緒に行っていい? 邪魔はしない。でも一人で行くのは勇気がいるのかもしれないから、その場所までは僕にも一緒に行かせて欲しい。で、その後……その後また、告白させてください」


「分かった。じゃあ……これから行く日を決めるね」


 坂井は頷いた。


 どこまでも広がる夜空に対して、久しぶりに悲しさを感じなくなっていた。




 ◇




 10月になり、最初の土曜日を使って凛果は再び馴染みの地に帰ってきていた。馴染みの地、というのは凛果の実家ではなく、大学付近の地域のことだ。ここに住んでいる人を訪ねるためにやって来た。


「ここが、凛果さんの大学……大きいね」


「キャンパスがここしかないからね。高校生の時にここのキャンパスツアーに参加したけど、結構時間がかかったな」


「じゃあ後で、僕もこの中歩いてみるよ」


「うん」


 凛果が最後の区切りをつけに行く間、坂井は大学を散策しながら待っていることになった。土曜日に開講される授業も多いため、キャンパスは夜9時頃まで開放されている。


 凛果は坂井に小さく手を振って、一人歩き出した。



「こんにちは。内田です」


『あぁ、凛果ちゃん。どうぞ、上がってきて』


 エントランスのインターホン越しに話した直後、自動ドアが開いた。そのまま真っ直ぐエレベーターで五階に上がり、部屋のインターホンを押す。


「いらっしゃい」


「お邪魔します。今日はありがとうございます」


「そんな改まらなくていいんだよ。お目当てのものはちゃんと用意してあるからね」


 ユウは凛果を1DKの部屋に招き入れる。

 大学三年生の時から一人暮らししている部屋で、凛果が入るのは二回目だった。

 一回目は、駿平と付き合って間もない頃に一緒に訪ねた。そこで駿平とユウの思い出話などを聞きながら、たこ焼きを食べたのだ。


 凛果が手を洗ってダイニングに入ると、センターテーブルの上に水色の封筒のようなものが置かれていた。


「ユウさん、これですか」


「そう。俺らが高校二年生だった時かな……そうそう、二年の時だよ。駿平に『これお前に渡しとく』って言われてさ。内容が内容だったから、思わず引き出しに仕舞い込んだんだけど、この前駿平の声を聴けた夜に読み返してさ。なんか…………うん。ごめん、うまく言えないわ。凛果ちゃんが自分で読んだ方がいいと思う」




「これが最後なら、教えて……なんで私達は、『日陰の星』を経由して繋がれてたのか」


『それは……俺の過去と、深く関係してる。昔ユウに預けた手紙に書いたんだ。だからユウ、あれをリンに見せてあげて。もしそれでリンが俺に幻滅するなら、それはそれで構わない。それが答えだから』


「でも駿平、あれを見せるのか……?」


『見せなきゃ答えにならない。見せてあげてくれ、俺からの最後のお願いだ』




 凛果は封筒を手に取り、中身を取り出す。

 数枚にわたって綴られた言葉を駿平のものだと理解するのに、ひどく時間がかかった。

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