耳にあてれば

第20話

 会社の寮に帰ってきて、また仕事が始まった。


 ◇


 凛果は実家で千紗に、駿平の話をした。その場で黙って聞いていた両親や叔母夫婦は我慢ならなくなったのか、「凛果、まだあの元彼のこと引きずってるの?」「凛果ちゃん、声が聴こえちゃうっていうのは、流石に……」と口々に言い出した。


 本当に聴こえるんだってば、と、ワイヤレスイヤホンの片方を千紗に差し出し、いつも通り『日陰の星』をタップするものの、再生エラーが起きた。なぜだろう。さっきお墓でエラーが出たのが、一回分とカウントされてしまったんだろうか?


「凛果ちゃん、何も聴こえないよ」


 千紗の一言で、「凛果がおかしい」というレッテルが貼られてしまった。「偲ぶのも大事だけど、早く次の恋をした方がいい」とか、「会社にいい人いないの?」という話に変わってしまって、もう誰も凛果を信じてくれなくなった。


 やっと繋がったのは、寮に帰ってきた日の夜のこと。


「心配したんだよ。どうして出てくれなかったの」


『ごめん。現世に還って、リンに会えたら安心しちゃって。天国への行き方を忘れちゃってた。それですっごい手間取って、結局天国から助け舟出してもらって、天国こっちに来れたのがさっき』


「つまり、ずっと現世で彷徨ってたから出られなかったってこと?」


『そういうこと。違う世界にお互いがいないと繋がれないみたいで。管理人のおじいさんに、リンちゃんからの着信がすごいことになってるって言われた』


 凛果は、千紗との出来事を話した。


『あぁ、それは最悪のタイミングだったな……あの時俺が出られてたら、リンは疑われなくて済んだんだし。ごめん』


「やっぱりみんな、信じてくれないのかな。というか、私達の今の状況って、私が作り出してる幻想なの?」


『幻想じゃない。それは俺が保証するよ。だって幻想だったら、あの電車事件は起こってなかったはずだから』


 そうだよね、と返す。試しに右手で頬をつまんでみる。じわっと痛みが広がる。

 駿平と凛果の繋がりは、紛れもなく真実なのだ。


「ねぇ、シュン」


『どうした?』


「私達まだ付き合ってるって、堂々と言っていいんだよね」


『うん。俺はそう思ってる』


 死んだ俺のことは忘れて、生きてる人と恋愛した方が幸せだ、と一時期駿平は言い続けた。そのことで何度か言い合いにもなった。

 しかし、凛果の強い想いを知って、駿平はそうした言葉を言わなくなった。


「分かった……大好きだよ、シュン」


『俺も大好きだよ。おやすみ』


 大丈夫。

 今の自分達は、生きてる者同士の遠距離恋愛と、何ら変わりはないんだ。




 ただその距離が、とてつもなく遠いだけで。




 ◇




 夏季休暇が明けて最初の勤務日、小夏と杏香もオフィスビルのエントランスにいた。


「おはようございます」


 もうすっかり慣れた朝の挨拶をすると、二人は一旦互いを見やって頷いてから、凛果に近づいてくる。


「内田さん。今夜空いてる?」


「え?……あ、はい、空いてますが……」


「じゃあ今日も三人で飲もう。宮崎さん、お店頼んだよ」


「承知しました! 凛果、絶対定時で終わらせようね」


「わ、分かったって」


 仕事終わりに、なし崩し的に三人で集まって食事をすることは何回かあった。だけど朝から予約を入れられるのは初めてだ。


 一瞬小首を傾げるも、凛果はやってきたエレベーターにそのまま吸い込まれていくのだった。




 ◇




「宮崎さん、ちょっといい?」


 小夏が杏香に呼ばれたのは、凛果のワイヤレスイヤホンを捜索した翌週のことだった。

 杏香は小夏がやってくるのを待ってから、小さなラウンジのソファに連れていく。その時も頻繁に、キョロキョロと周囲を窺っていた。


「どうしたんですか?」


「自分の中に留めとこうって思ってたんだけど、やっぱりできなくて……あの、内田さんの話なんだけど」


「凛果?」


「あの子が電話してた時のこと、やっぱり幻聴じゃない気がしてさ……」


 より一層小さな声で、杏香は自分が見た光景を小夏に話した。耳を傾けていた小夏はびっくりして、思わず杏香の顔を見てしまう。


「亡くなった人と話してる?!」


「しっ!……うん……本当に電話が繋がってたのか分からないけど……でも文脈的に、そうとしか思えなくて」


「まぁ確かに……今思うと、凛果がイヤホン無くした時の焦りようが酷かった気がします。いつもは冷静なのに、あの時は仕事も上の空みたいになってたし。誰かからのプレゼントでも、初任給で買ったものでもないって言ってたんです。だけどすごい大事なものだって。それが何か不思議というか、少し引っかかってて」


 杏香は思い出したように手を叩いた。


「そういえば、取引先に内田さんと一緒に謝りに行った時、元彼と再会できたようなことも話してた……!」


「それってつまり……」


「そういうことだと思うのよ。でも私、彼女が変わってる人だとは思わないの」


「え?」


「うん……何か内田さんの気持ち、分かるような気もして。私は内田さんのこと、信じてあげたいって思ってるんだ」


 杏香は、微笑んでいた。

 それを見て、小夏も思い出していた。


 5年前の冬のこと。決して忘れない、あの日のこと。


「私も信じたいって思ってます。凛果のこと」


「良かった。宮崎さんなら、そう言ってくれる気がしてた」


 じゃあ、今のことはしばらく、私達だけで留めておこうね、と言って杏香は立ち上がった。


 凛果だけじゃない。多分、杏香先輩もそうだ。


 そう思うと、小夏はいつの間にか微笑んでいた。

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