ブラッズ・スコーリング

石木半夏

一 喜多真一郎(一)

 俺の昨日の仕事は? パトロールだ。

 俺の今日の仕事は? パトロールだ。

 俺の明日の仕事は? 多分パトロールだ。

 パトロール。パトロール。パトロール。

 やってらんねえ。こんなことに、なんの意味があるんだ?

 TMPD――太宮たいぐう警視庁の紋章を正面と側面に大きくプリントされたスクーターに跨がり、永遠に続くかのような渋滞の中、喜多きた真一郎しんいちろうは苛立ちを隠さずにいた。

 熱帯特有の真上から照りつける太陽、近海から運ばれるじっとりと湿った風、鳴らしたところで列が進むわけもないのに絶えることのないクラクション……そのどれもが真一郎の癪に障った。道の脇にいた行商人が、渋滞をいいことに不味い菓子を売りつけようとしてくる。たまたま隣同士になっただけの三輪タクシーの運転手たちが、本当にしょうもないことで言い争いをしている。前方にある軽トラックのドアが急に開いて運転手が出てきたかと思うと、街路樹に向かって小便を垂れ流し始めると同時に意識を失い、目前の樹に向かっていきなり倒れた。

 おお、熱中症だ。行商人はそう言って男に駆け寄っていき、倒れた男を物陰まで運ぶと、男の口の中にペットボトルの飲料水を流し込んで無理やり飲ませた。そして男のポケットをまさぐって財布を探り当てると、きっちり飲料分の代金を抜き取っていった。

 歩道の木陰に座っていた老人がそれを指差して笑い、大量の車両がかき鳴らすエンジン音に負けないよう、真一郎に向かって大声で呼びかける。

「おい、お巡りさん! すごくいい風景じゃないか!?」

 真一郎は聞き返した。「どこが!」

 老人が言った。「どこがって、実にアラムネシア的だろう!」

 なるほど、それはその通りだ。

 この国の――アラムネシア共和国のどこが嫌かって、熱くて、うるさくて、汚いところで、それをこの風景は全て満たしている。この国らしいと言えばその通りで、真一郎は声には出さずに目線で老人に頷いてみせてから、たった今進み始めた車列に追いつくために、自らもスクーターを転がした。

 だがその前に、老人の一言が凄まじく気分のムラに引っかかるように思い出された。

 

 真一郎はスクーターを止めて、後ろを振り返った。せっかく進み始めた車列を止めた真一郎にクラクションの山が文句を垂れ、二輪車が次々追い越していく中、真一郎は声を張り上げた。

「おい、爺さん! 一つだけ良いか!」

「なんだい、お巡りさん!」老人が応える。

「俺はお巡りさんじゃない!」

「そうかい、それじゃなんだ!」

使! 今はあれだが、本当はお巡りなんてしてるような立場じゃないんだぜ!」


  真一郎の職業は警察、そして魔法使である。

  所属は魔法局魔獣管理課。その職務内容は第一に太宮首都圏内に発生した魔獣の討伐、そして第二に民間人が討伐した魔獣の死骸を受領し、管理することである。

 魔獣とは端的に言えば強い魔力を帯びてその形態を変質させた生物一般のことであるが、人間と違って動物たちは魔力の抑制的な扱い方をまるで知らず、一度人里に現れれば本能のままにその強大な力を振りまき、甚大な被害を引き起こしてしまう。だから警察には魔獣を討伐するために専門の魔法使たちが配備されており、真一郎もそうした一人だった。

 現代人類にとって珍しく天敵とも言える存在である魔獣たちは市民にとって恐るべき相手であり、それを討伐する魔獣管理課はそれだけ重大な役割を背負った部署であるはずなのだが、真一郎は課に配属されたその日から今日にいたるまでの三年間、そのような仕事をした覚えがまるでない。

 したことと言えば毎日毎日魔獣を探してパトロール、パトロール。

 魔獣は発生しないわけじゃないのに、通報を受けた真一郎が現場に駆けつけてみれば魔獣は――既に死んでいる。だから真一郎は死骸受領係の人員を呼びつけて、彼らが現場に到着したらまたパトロールに出なきゃいけない。その繰り返しだ。

 課の先輩たちが言うには、六年前まではこんなんじゃなかったらしい。

 六年前までは討伐係――当時は係じゃなくて、独立した課だったらしいが――はたいてい署でどっしり偉そうに構えているもので、自分から敵を探し回るような真似はせず、パトロール警官を顎で使って魔獣の発生を待ち、通報があってから現場に急行して、集団で一気に魔獣を殲滅していたのだという。

 魔法局内どころか警視庁内でも随一の戦闘集団として恐れられる討伐係、そういう時代もあったのだ。

 だが、六年前に起こったとある事件によって魔獣討伐を巡る状況は何もかもがひっくり返ってしまって、それからあとは魔獣管理課の仕事は死骸受領係が大半になってしまった。討伐係は警察のスター集団からいないも同然の立場に転がり落ち、真一郎が配属されたのはそうやって警察から魔獣討伐の役割が消えていく真っ最中のことだった。


「――はぁ……」

 真一郎は嘆きの声を上げ、前方に突っ伏す。

 職場の環境に不満はない。魔法使という資格がある限り給料は州平均の四倍は堅いし、両親きょうだいを養って、その上でかなり贅沢できる。高給で仕事が少なくて済むなら、なんていいことだろうか。きっと、真一郎もそのうち暇をうまく潰す方法を覚えるのだろう。武功を求めて街を転がりまわるような真似はやめて、安定と安心の上にうまくあぐらをかけるようになるのだろう。戦いから離れた先輩たちも六年間かけて徐々に角が取れていったらしく、みんな気質は穏やかそのもので、職場でいがみ合いなんて起こりようがない。なんだか人格だけでなく、体型も丸くなっているような気もする。

 別に、それでいいのだ。真一郎には魔法使になりたかった理由も、警察になりたかった理由も、それほどなかった。同期の中にはなんだか妙にいわくありげな雰囲気を漂わせて、警察の魔法使になろうという強い動機があって入局してきたような連中もいたが、真一郎はじゃなかった。真一郎が魔法局に入ったのはたまたま魔力という才能が人よりずっとあったから――それと、幼少から魔法を使って悪さをしていたことで魔法局に目をつけられて、刑務所に入るか警察になるかの二択を迫られたからだ。だから警察としての正義感とか、魔法使としてのプライドとか、そういうのはない。ないはずなのだが――

「真面目にパトロールしちゃってんだよなあ……」

 真一郎は自嘲する。

 結局自分はある意味で真面目なやつらしいというのは、警官になってはじめて自覚したことだ。中学まではしっかり不良をやっていたから気付かなかっただけで、自分は日々を漫然と暮らすことはできない質なのだ。

 このパトロールだってなんの意味があるのかわからないと文句を言いながら、自分もいつかは魔獣を討伐できるんじゃないかという淡い期待に突き動かされて、真一郎は毎日きっちりと街を見回ってしまっている。期待に応えてもらえたことは一度もないが、それでも真一郎は三年もの間、やる気を完全に失ったことはついぞなかった。

 そういう自分を改めて見てみると、妙な話だが、消極的ながらも前向きさというものが芽生えてくるのだった。どれだけ腐っても自分はなんだかんだで仕事をやめられない。それなら、できることだけでも誇りを持ってやっていったほうがいいんじゃないだろうか。と、そういうことだ。

「……やるかあ、きちっと、お巡りさんを」

 そう、真一郎が何度目かも知らぬ心機一転を終えて顔を上げたときだった。

 周りの全員が、真一郎を見ている……いや違う、更にその後方、ある一点を見てぽかんと口を開けている。

 なんだ? みんな何を見てるんだ?

 つられて真一郎が皆の視線の方を向いたとき――真一郎は急に、自分の背骨が震えるのを感じた。

 遠く、民家が集まっている区画に、赤い煙幕が立ち昇っている。しかも、ただの煙ではない。ただ風に流されて薄くなっていくのではなく、意思を感じさせるような奇妙なうねりを伴って煙幕の外と内を行ったり来たりしている。

「ありゃあ――」

――赤雲じゃないか。

 魔獣が発生した際に空間中に漏出する魔力の残滓。それは空気中のチリや何かと反応すると赤い霧状になって、空気中にしばらく滞留する。魔獣は大小サイズは様々で、場合によってはネズミくらいの大きさにしかならないこともある。それでも魔法使たちが魔獣を見つけられるのは、魔獣が現れたとき、唯一確実に赤雲が徴として現れるからだ。

「おい、お巡りさん」誰かが真一郎に呼びかけたのが聞こえた。「あんた、魔法使なんだって?」

「ああ」真一郎は頷いた。

「行ったほうがいいんじゃないのか?」

「ああ……間違いねえ」

 この距離なら、今から向かえば三分かそこらだ。

 真一郎は無線のマイクを手に取る。

「魔獣管理課の喜多より本部へ、緊急連絡。中央太宮区鬼川周辺、住宅街にて赤雲の発生を観測。社団からの通告は?」

 数十秒もの間真一郎は焦りに膝を揺らし、そして無線が気だるそうに返事を吐き出す。

「社団からの通告なし」

「了解、急行する」

 真一郎はスクーターのサイレンを鳴らして車列をどかし、赤雲の見える方向へと走り出した。



 そりゃないだろ。

 現場に到着した真一郎を待ち受けていたのは崩れ落ちた民家と、その中心で既に動かなくなった巨大なコウモリ型の魔獣の死骸、そしてそれを討伐したらしい民間の魔法使だった。まだ少し赤雲は残っていたが、既に事が済んでしまったことは明らかだった。

 また、間に合わなかったのか。

 真一郎は表情にこそ出さなかったが、内心では痛烈に悔しさを感じていた。今日こそは魔獣を自力で討伐できると思っていたのに、またしても期待は裏切られたらしい。これだけ近くにいたのに、これだけ急いでいたのに。地団駄でも踏みたい気持ちだった。

「警察の人?」

 魔獣の死骸の前で退屈そうに携帯を弄んでいた男は、真一郎が空振ったやる気に言い訳するように頭を掻きながら近付いてくるのを一瞥すると、まるで関心のなさそうな表情でそう言った。真一郎は何か男に見覚えがあるような気がして、尋ねた。

「はい、太宮警視庁の喜多です。あなたは?」

「AMOの吉崎。番号は08A066」

「ああ、

 AMOで吉崎って言えば、有名人じゃないか。

 真一郎は男に対して妙に既視感があった理由を理解した。なぜって、ニュース番組にコマーシャルだけでなく、魔獣討伐の報告書でもしょっちゅう見る顔だったからだ。

 吉崎よしざき白文はくぶん――民間の魔獣討伐企業・AMO所属の魔法使であり、現在AMOにおいて最も多くの魔獣を討伐していることで知られる稼ぎ頭だ。真一郎は規則通りに名前・所属・番号をポケットから取り出した手帳に書き込んだが、いちいちメモしなくても記憶には残るだろうと思った。相手はそれだけ有名な人間だった。

「まだ通告は飛ばしてなかったんだけどな。ってことは、討伐係か」

 吉崎が言った。民間の魔法使が魔獣を討伐した際は、事後に警察にその旨通告し、受領係の警官が死骸を回収するのを待つことになっている。どうやら吉崎はたった今その通告をしようとしていたところらしい。つまり真一郎は僅かな差で吉崎に手柄を掠め取られたようだった。

「ええ、赤雲が出てたんで駆けつけたんですが、さすがAMOさんは早いですね」

 そう悪気なく言いながら真一郎が魔獣の確実な死を確認するためにかがみ込んでいると、吉崎は口元を歪める。

「あんたらが魔獣受取係になった理由もわかるだろ」

 こいつ――。

 後方から言い放たれたその一言で、真一郎は頭が沸き立ちそうになった。

「……いやあ、なにぶん自分が入局したときにはこうでしたからね。それ以前のことはよくわかりません」

 そう何事もないように言いながら真一郎は、全身の動きが強張っているのを感じていた。吉崎に背を向けていたのが幸いした。そうでなければ、大スターに向かって分不相応に凶悪な顔を見せつけることになっていただろう。

 危なかった。吉崎がここまで嫌味な性格をしてるとは予想外だったが、結局俺が先を越されたのは事実なんだから、こんな小言一つにキレたって面目が立たないだろう。

 そう自制する真一郎だったが、そんな努力を知ってか知らでか、追い打ちをかけるように吉崎は言う。

「今も昔もたいして変わらないよ、あんたらは。いつだって遅すぎる」

 それで、真一郎は流石に何か言い返してやらないと気がすまなくなってきたのだった。

「ちょっと言いすぎじゃないですかね」

 真一郎は吉崎に向き直り、食って掛かった。

「そこまで侮辱されるほど遅れた覚えはないですよ。今回だってタッチの差じゃないか。あんたみたいな有名人がわざわざ出張ってこなくたって、こいつくらいなら俺一人でも狩れたんだ」

 だが、

「その一瞬の差が命取りだって言ってるんだ」

 そう強く言い放った吉崎は、崩れた民家の瓦礫の隅で座り込んでいる母娘を指差した。どうやら魔獣の発生現場に家が重なってしまったらしく、自宅の残骸を見ながら呆然としていた二人。その身体のあちこちには、小さいながらも痛々しく、火傷痕のようなただれが覗いて見える。命に関わるほどではないにしろ、魔獣から漏出した魔力による身体の変質が起こっていたことは、誰の目にも間違えようがなかった。

「あれだって、あんたの到着を待ってたら死んでたかもしれない。いや、俺が到着したときには既に深い被呪障害を負いかけてたんだぞ」

「あ……」

 真一郎は急に自分の怒りがしぼんでいくのを感じた。威勢を失った真一郎を見て、吉崎は不快そうな表情を崩さずに罵った。

「自分が何を相手にしているのかの自覚がないから、一瞬なら遅れてもいいなんてたるみが生まれる。たるんでるから他人に獲物を横取りされる。そしてますます敵に対する理解がなくなっていく。今も昔も変わらないって言ったが訂正しよう、あんたらは今のほうがずっと軟弱だ。俺に向かっていきがってみせる暇があるなら、少しでも早く魔獣を見つける手段を考えてみたらどうだ、タダ飯食らい」



 やってらんねえ。

 大雨を予感させる湿気った強風が吹きすさぶコンビニ前のテラス席、あるだけ買い込んだ肉まんと大ボトルのジャスミン茶をテーブルを積み上げ、真一郎は昼の腹ごしらえにと意気込んでいた。屋内のイートインスペースも空いていたし、わざわざ蒸し暑くて風も強い屋外を選ぶ理由などどこにもなかったのだが、なんというか、真一郎はやけくそだった。

 一個、二個、三個と肉まんにかじりつき、よく咀嚼せずに飲み込んでいく。喉に詰まれば乾燥した口にジャスミン茶を流し、無理やり胃に送り込む。怒りと苛立ちごと飲み込むように喜多は肉まんの山を崩していき、そうしてすぐに全て腹に収めた。驚いた胃が食後に何度も中身を逆流させたそうにしていたが、真一郎は気合でこらえる。苦しかったが、それでも今このときの悔しさを紛らわせてくれるのならなんでもよかった。

 そうしてしばらく吐き気が消えるまで耐えていると、頭も次第に冷えてきて、今度は怒りや悔しさより、より冷静でシビアな反省の念を伴って吉崎の言葉が思い出された。

「タダ飯食らいねえ……」

 あの場で何か言い返してやりたかったが、何が言えただろうかと考えれば考えるほど、すべてが図星だったことに気がつく自分がいた。真一郎は自分の仕事に満足していないし、やる気を出しても空回っている。結局逃げ出すように真一郎はあの場から離れ、こうしてうなだれている。

 あの後、魔獣運搬用のトラックを連れた課の同僚たちが現れ、魔獣を引き取っていった。それまで真一郎は憮然としている吉崎の脇で居心地の悪い時間を過ごし、不思議そうな顔の同僚たちに任せたあとはすぐにその場を立ち去っていった。報道がやってくるまでに退散できたのが不幸中の幸いだった。テレビカメラの前にAMOと警察が並んだら、どちらが善玉でどちらが悪玉として映されるかなんて、火を見るより明らかだ。

 これで何度目だろうか。真一郎は考える。両手両足の指じゃきかねえな。赤雲発生の報を受けて現場に急いで行ってみれば、既に魔獣は民間の魔法使によって討伐されている――真面目に街を巡回しているぶん、真一郎はそんな出来事に遭遇することが普通より多かった。

「俺だって、なんもしてねえわけじゃねえだろうがよ」

 そう自分を慰めるようなことを言ってみるが、かたやAMOの筆頭魔法使、かたやパトロールすら満足にできない警官。同じテーブルに上げる時点で間違ってることくらい、真一郎にだってわかっていた。

 俺ももう少し魔法局に入る時期が早けりゃ、こんなことにはなってなかったんだろうかな。そう、真一郎は益体もないことを考えてみる。それとも、〈惨劇〉さえ起こらなきゃ――。


 〈オリエンタルプラザの惨劇〉――今からおおよそ六年前に起こった悪夢。

 中央太宮区の再開発によって建設が実現された首都圏最大のショッピングモール・オリエンタルプラザにて、そのオープン初日に巨大な梟型の魔獣が現れたのだ。度重なる宣伝で生まれた何万もの人だかり、そのど真ん中に現れた魔獣は、出現に伴う空間中の魔力濃度の変動だけで周囲にいた数百人を死に至らしめ、続いて無為に振りまき始めた魔力によって大虐殺を開始した。

 現場の警備員に魔法使は配備されておらず、妻子を連れてオリエンタルプラザにたまたまやってきていた民間の魔法使・朱紙あけがみ辰彦たつひこによって魔獣が討伐されるまでの五分間に発生した死人は確認されただけで二千人、死なないまでも大小問わず被呪障害を負った客はその三倍。誰の目にも明らかな、文句なしに史上最悪の魔獣災害だった。

 そして、TMPDの魔法使が現場に到着したのはその五分後だった。

 二十一世紀に突入して以降急激に増加した魔獣災害、その象徴とも言えるこの惨劇を抑え込んだのが警察ではなく民間人であった事実は、それ以前からも魔獣災害への対応において独占的に権限を与えられておきながらも度重なる初動の遅れによっていたずらに死傷者を増やしてきたとして批判されてきた警察にトドメを刺すのに十分なだけのインパクトを持っていた。

 国家警察が持っていた魔獣災害に関する権限は急速に見直しを進められ、翌年には魔獣管理法が改正。認可された民間の魔法使に対して自然発生した魔獣の討伐を許容するだけでなく、魔獣の魔力等級や発生した場所など複数の指標に応じて、国から莫大な報奨金が支払われるようになった。

 それまで軍・警察をメインステージとし、一部の物好きか隠居後の老人だけが警備会社や犯罪結社に参加するという構図を保ってきた魔法使たち。彼らは突如降って湧いた魔獣討伐という一攫千金の機会へとなだれこみ、その多くはより効率的に・確実に魔獣を狩るために徒党を組んで、新たなゴールドラッシュの覇者になるために血眼になって魔獣を探し始めた。

 

 その代表格とも言えるのが、吉崎の所属する朱紙魔法社団AMOだ。

 AMOはその名の通り、オリエンタルプラザの惨劇を封じ込めた英雄、朱紙辰彦によって設立された、魔獣討伐を専門とする民間企業だ。魔獣管理法の改正後に明らかな政治的意図によって魔獣討伐認可第一号として登録された朱紙辰彦は、そのネームバリューと人脈を駆使して警察や軍から実力のある魔法使を大勢引き抜き、首都圏の魔獣討伐を一気に牛耳った。当初は自分たちの組織力に勝るものなどないとたかを括っていた警察だったが、怠慢が状態化していた組織体質に足を引っ張られているうちに、しがらみの薄い民間企業の迅速な行動にどんどんと後れを取るようになってしまった。

 今やAMOは魔獣討伐の代名詞になった。AMO所属の魔法使たちは競うように魔獣の討伐数を上げ、国から支払われる報奨金によって次々に富豪の仲間入りを果たしていく。それは企業と同時に個人の名声まで高める結果をもたらし、成績の良い魔法使たちは国中に名前が知られるようになっていった。

 さらに商才のあった朱紙辰彦はその状況を利用した。魔獣討伐の実績を引っ提げて所属の魔法使たちをメディアに売り込み、それまで閉鎖的な業界で得体の知れない術を使い、陰惨な任務に携わる陰険なインテリという印象を持たれていた魔法使たちが、実は勇敢かつ親しみやすい市民の味方であるという新事実を一般市民に“発見”させた。

 昨今の魔法使たちの活躍は社会面というよりも芸能面に食い込み始めており、中には本業そっちのけで年がら年中テレビに出て歌って踊っているようなやつまで現れている。創業者の朱紙辰彦なんかは、次の国民議会選挙に出馬するなんていう噂まで立ち始めた。本人はメディアでその噂について聞かれれば必ず否定しているが、喜多の勘では七対三で出馬する――というか、既に課内で行われている賭けにその線で張っているのだ。

 さて一方の警察はシェアで言えばその次の次の次の……というところで、魔獣の死骸から採取される素材が不正に流通するのを防ぐためにかろうじて残された役割である、死骸受領係としての仕事ばかりになったのだった。

 

 魔獣討伐係から仕事がなくなった理由の、これが原因だ。

 TMPD所属の魔法使なんていう本当ならド級のエリート職にありつきながらも真一郎がこうして無聊を託っているのも、結局は六年前に始まった魔法業界の再編によって民間企業が大幅に権益を増やし、その過程で多くを奪われたのが警察だったからだ。

 そのくらいしか行き場所がなかったとは言えど、時流を読み違えて警察なんかに入ってしまった真一郎は、だから死体回収の更に使いっぱしりじみた仕事しかできていない。中途半端に芽生えてしまった警察への一体感や恩義、民間への対抗心なんかが邪魔していまさら転職へも踏み切れず、魔獣討伐の実績を上げたい喜多は、次の赤雲発生を待ち続けてパトロールする毎日を送ることを改めて覚悟した。

 だからこそ、やはり今日の失敗は堪えた。

「俺がもっと早けりゃあなあ……」

 真一郎は考える。そうしたら、やたらに嫌味なセレブなんかよりも先に魔獣を討伐して、その鼻を明かしてやることだってできたろうに。そうしたら俺も新聞なんかに名前が出て、警官という立場に対してなんだか後ろめたく思うこともなくなるだろうに。そうしたら、そうしたら、そうしたら……。

 空想はいくらでも出てきたが、その度に現実との落差に惨めな思いが深まっていく。なんだか無性に腹が立ってきて、真一郎は残りのジャスミン茶を思いっきり喉に流し込んだ。空になったボトルの蓋を締めたとき、急に真一郎は吉崎の指差していた親子の顔を思い出した。

 真一郎が遅れたせいで死にかけた二人。吉崎によって救われた二人。

 命こそ助かったとはいえ、被呪障害は軽微なものでも一生残り、見た目よりずっと痛むことが多い。事後的に被呪領域が拡大することもあり、あの二人は今後ずっとその苦痛と生きていかなければならないのだ。

 真一郎は思った。

 俺がもっと早ければ、きっと、あの二人が怪我する前に助けられただろうに。

 真一郎はジャスミン茶のボトルを力いっぱいひねりつぶしてゴミ箱に投げた。乱暴に投げたせいで的を外し、ペットボトルはコロコロと床に転がる。真一郎は顔を真っ赤にしながらそれを拾い上げ、今度はきちんとゴミ箱に収めた。

 店を出て、警察の紋章が入ったスクーターに乗り、魔法局に戻るために走り始めた。通り雨の予感は的中し、ぽつぽつと地面に雨粒が染みを作り始める。すぐにその勢いは増大し、ちょっとの先も見えないほどの豪雨へと変貌する。ちょっとした信号待ちの間にリアボックスからレインコートを取り出して被った。

 スクリーンのように視界を覆う雨の中に、二人の呆然とした顔が焼き付いて消えてくれなかった。雨音にかき消されて誰にも聞こえないよう、真一郎は絞り出すように声を出した。

「……ああくそ、俺だって、誰かを助けてみてえな」

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