中学生にして愛の何たるかを知る

@GABAGABAAMINOSAN

第1話

 梅雨です。窓の外を見れば雨はざあざあと降り続け、僕の心ももんもんとして、ユウウツです。

 雨の日は学校を休みたくなります。今日はお父さんもザイタクキンムらしいです。雨の日は何もかも嫌になります。でもお母さんはニコニコしています。きっとお父さんと一緒に過ごせるのが嬉しいんだと思います。

 そんな僕の希望的観測を破壊するように鬼の形相を見せたる一人の山姥。いや、我が母君です。まな板の上で包丁をトントントントン。子気味よく、リズムよく、白い大根が切り刻まれていきます。このリズムはイライラのリズムです。鮮やかな人参を前にしてトントントントン包丁はなり続けます。「人が参っている」と書いて人参です。心なしか、切った野菜を払う手も無造作に見えてきます。野菜たちも、味噌汁のために切られてるんだか、ストレス発散のために切られてるんだか分からないという顔をしている気がします。今話しかければ僕の平穏な朝は失われるでしょう。お父さんも戦々恐々としているように見えます。嗚呼、敬愛するわが父よ。僕は貴方をずっとこの魔窟に一人おいてきてしまっていたのですね。私の無垢さを守るために。でもご心配なく。私の心は今では真の意味であなたと共にあるのです。

 僕は知りすぎてしまいました。知らなければどんなに良かったことか。僕のお母さんは優しく、決して怒らない人です。でも、ある日学校が早く終わることになって、僕がレイガイテキに家に帰った時です。僕はこの年代の子にありがちな無意味で非生産的な悪戯心から、わざとそおっと家に入ってみました。このパターンで家に入ったらどうなるんだろう。位の特に理由のない好奇心でした。しかし嗚呼、哀しい哉。好奇心は時に猫をも殺すのです。それは鬼のような形相のお母さんでした。もう、オーラが違います。お母さんは僕とお父さんのいるところでは七福神もかくやという張り付いた笑顔をしていますが、いないところでは溜息をはきはき、手をポキポキ。どうして誰もいないところで苛立ちをぶつけているんでしょう。僕がスパイのごとく気配を最大限に絶って息を殺していると、お母さんはいきなりタンスの中から紙を取り出しました。あれは遠めに見ても分かります。僕のこの前の全国模試の結果です。そりゃあため息もつきたくなりますよね。僕の、溢れんばかりの怠惰の感情を模試の点数で表現しようというモダンアート的な試みに動じず、まったく怒らない父母に些か頼りなさと漠然とした不安を覚えたものですが、この時の母の表情を見た僕は、「ちゃんと僕のことを見てくれてるんだな」という安堵が50%、「恐怖」が40%、「好奇心」が20%、「超過分補正値」が-10%を占めていました。嗚呼、基督よ、仏陀よ、ご照覧あれ!我が愛しき小さな母君は、息子のためを思えばこそ七福神もかくやと言わんばかりの笑顔を見せつけていましたが、今まさに同じ理由によって10も年老いたかと思わんばかりの形相をしています。この美醜の緩急をこそ「愛」と表現しなかったあなた方は二流です。謹んで申し上げると、私の方が愛の何たるかをよく存じていると思います。真の愛情とは、人に見せるための美しさと人に見せられぬ醜さから生じるものなのです。申し訳ありません。私は聖書も仏典も触れたことがないので、もし書いてあったらすいません。でも、なんとなく書いていない気がします。だってこんな迷惑な愛の形が普遍的な愛であったらたまったものじゃないと思うからです。ちゃんちゃん。

 さて、こんなことを考えていたらもう遅刻しそうです。学校に行かなければなりません。思い出に浸るのは老後で十分です。今は思う存分勉強して、スポーツに励み、文武両道の体現者となり、その当然の帰結として彼女を得なくてはいけません。僕は根菜たちの浮かぶ味噌汁とお米をありがたくいただき、傘をとり、哀れな父を愛の化身と化した猛獣の巣窟に置き去りにし、学校へと旅立っていきました。

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