第21話 血液じゃない!

 細やかな雨がはらはらと、頬を撫でるように滑っていく。雨脚はそれほど強くなかったが、風があった。時折目の中に雨粒が入って来たりして、すこぶる視界が悪い。昼間だというのに、暗く澱んだ空が、重たい空気をより一層引き立てている。ここ数日は、ずっとそんな感じだ。


 魔法少女が殺された。事件はまだ、何も解決していなかった。


 これでもう、9人目だった。

 Aクラスの子が3人、Sクラスも、今や6人がやられていた。

 

 ここ数日はずっと雨だった。それでも少女たちはもう、屋根の下でじっと寒さに震えてなどいない。服が濡れるのも構わず、傘も差さず外を飛び回り、街の至るところに目を光らせていた。9人目の犠牲者・『不死』の魔法少女・芝浦飛沙江が死んだ時、これ以上黙ってはいられないと、全校生徒総出で『犯人探し』することが決まった。


 犯人……つまり白石莉里である。

 

 たまたま殺人現場に居合わせたCクラスの生徒たちの証言で、彼女の犯行はほぼほぼ決定的になった。これ以上の証拠が他にあるだろうか。その際、一部、錯乱状態に陥った生徒もいたと聞いたが、それほどスイート・リリィの人気は絶大だったし、それだけショックも大きかったということだろう。


 代々木公園の中央広場では、時間帯なのか天候なのか、人はそれほど多くなかった。

 噴水池近くで、『情熱』の魔法少女・八重洲朋子は小さくため息をついた。八重洲もまた、スイート・リリィのファンの一人だった。憧れの存在の正体を、こんな形で知ることになり、かつ殺人鬼という裏の顔まで暴かれたのを思うと、自然とため息も多くなるというものだった。


 とはいえ……。


 白石莉里の身柄が確保されるのも、時間の問題だろうと思われる。身元の割れた小学生が逃げおおせるほど、東京は広くもなかったし、また魔法少女たちもザルではなかった。現在数万人もの生徒たちが方々に散らばり、人海戦術で、しらみ潰しのローラー作戦を繰り広げている。捜査の手は着々と、莉里の背中に迫ろうとしていた。 


 また風が一段と強くなり、八重洲は思わず目を瞬いた。もう一度目を開けると、ふと、前方から人影が真っ直ぐこちらに近づいて来ているのに気が付いた。


 ……仲間だろうか? 

 いや、違う。闇に溶け込み過ぎている。黒装束を身にまとい、フードをすっぽりを被った黒い影は、まるで漆黒が意思を持って蠢いているようだった。優秀な魔法少女は、直ちに異常な雰囲気を感じ取った。スイート・リリィがいなくなり、ここのところ魔物の動きがいつにも増して活発になっている。


「止まりなさい!」

 

 また一段と勢いを増す雨の中、八重洲は鋭く叫んだ。人影は何も答えない。黙ったまま、足早に、歩みを止めなかった。ぶつかってくるつもりなのか。八重洲は杖を構えた。


 その瞬間、カメラのフラッシュを炊いたみたいに、周囲が白い光に包まれた。構えたと同時に、電撃を放っていた。八重洲の得意魔法・問答無用の速攻だった。ガンマンの早撃ちよろしく、1秒も満たない速度で飛んで行った雷の矢は、影のど真ん中を容赦無く撃ち抜いた。轟音と、閃光と、熱量と、それらが凝縮したみたいに一点で爆発して、周囲から悲鳴が上がった。


「止ま……」


 ……らなかった。影は依然、ゆらゆらと揺れながらゆっくり近づいて来る。八重洲は目を丸くした。確かに命中したはずだ。だとしたら、八重洲のことを事前に調べて、雷対策をして来たか。しかし、彼女もまた曲がりなりにもSクラスの魔法少女である。付け焼き刃の対処法で受け流せるほど、そんなな魔力ではないはずだが。


 よくよく目を凝らすと、影を覆うように、銀色の、鳥かごのようなものが見えた。ファラデーゲージだ。自動車が落雷に強いのと同じ理屈で、金属で包まれた器や籠は電気を通さない。八重洲は舌打ちした。電気そのものを対策して来たか。だが……


「……止まりなさい!」


 八重洲は改めて声を張り上げた。舐められたものだ。遠距離攻撃が得意だからと言って、決して接近戦が苦手と言う訳ではない。伊達にSクラスを張ってない。八重洲はぐー、ぱー、ぐー、ぱー、と2回ほど右手を握り開きし、何もない空間から黒い棍棒を呼び寄せた。八重洲の身長ほどの、先端に幾つも棘がついた、地獄で鬼が持っていそうな太い棒だった。


「警告はしたわよッ!」


 向こうから迫られる前に、こちらから素早く距離を詰めて行った。巨大な棍棒を握りしめ、籠ごと破壊しようと、影の頭頂部めがけて振り下ろす。スイカを叩いたような、鈍い感覚が両手に伝わった。銀色の籠が黒いフードに食い込み、ぶすぶすと音を立てた。頭部分がぐにゃりと凹み、勢いよく飛沫が吹き出して来た。八重洲は思わず目を逸らした。


「これは……」


 浴びたのは返り血……ではなかった。

 確かに生暖かく、液状だが、これは血液ではなく、

「水……!?」

 フードの中身は水だった。魔法で水を操り、人の形にしていたのだろう。手の込んだ囮だった。すると、身体にかかった水がたちまち氷始め、八重洲の両手を拘束した。


「ちぃ……ッ!?」


 罠だったのだ。突然ケージの後ろからにゅっ! と手が伸びて来て、ガラ空きになったわき腹に、何やら固い物を押し付けられた。それがスタンガンだと、分かった時にはもう遅かった。弾けるような爆発音と閃光が闇を切り裂く。

「……ッ」

 雷とは比べものにならないほど弱い一撃。しかし、動きを止めるのには十分だった。鈍器で殴られたような衝撃が、八重洲を襲った。

 思わず膝をつく。相手は……はらはらと地面に落ちる黒装束の向こうに、見知らぬ少女の顔が、刹那の光に切り取られ白く浮かび上がっていた。崩れ落ちる八重洲を冷たい目でじっと見下ろしている。


「いつも浴びせてる電撃を、自分で喰らう気分はどうだ?」


 スタンガンで強襲して来た少女は、苦悶の表情を浮かべる八重洲に顔を近づけて嗤った。


「殺しゃしねえよ。ただ此処で、ちょっとおねんねしてもらうだけだ」

「貴女……確か……」

 相手の顔を確認して、八重洲が喘いだ。

 ……佐々木小夜子。確か、Cクラスの。白石莉里の殺人現場を目撃したと言う生徒。

「……殺人鬼に、味方するつもりなの!?」

 痛みに歯を食いしばりながら、八重洲が荒い息を吐き出した。


「こんな真似……! 私たち全員を、魔法少女を全員敵に回して……無事で済むと思ってるの!?」


 その時だった。八重洲の胸下の、花形のブローチが鳴った。


『容疑者発見! 白石莉里を発見! 直ちに現場に急行されたし!』


 仲間の魔法少女からの通信だった。

 小夜子はブローチを毟り取ると、おもむろに立ち上がった。


「莉里様……!」


 動けない八重洲をその場において、小夜子たちは公園を後にした。


 夕刻。

 渋谷は大勢の人だかりだった。だが、魔法で人払いをしているのか、集まっているのはほとんどが魔法少女だ。まるでハロウィンの仮装大会のようだ、と小夜子は思った。煌びやかな衣装を身にまとった少女たちが、此処まで一堂に会すると言うのも、中々迫力のある景色だった。通信によると、人だかりの中央、渋谷スクランブル交差点の真ん中に、莉里がいるようだった。


「どけよ!」


 地下鉄から降り、駆け出そうとするも、人混みに阻まれ前に進むことができない。小夜子はイライラした調子で手榴弾を取り出したが、今や誰も、見向きもしなかった。皆、そんなことより追い詰められたスイート・リリィの方に注目しているのだ。


「ダメよ!」


 構わず手榴弾を投げ込もうとする小夜子を、後から付いて来た里見が、慌てて止めた。


「こんなところで! 大勢死人が出るわ!」

「そんなこと言ってる場合かよ! じゃないと莉里様が……」

「人殺しをするなら、協力はしない。殺人の無罪を証明するために人を殺すなんて、本末転倒じゃない!」


 周囲の空気をパキパキと凍らせ、里見が杖を構えた。2人はしばらく睨み合っていたが、やがて小夜子は、渋々振り上げていた右手を下げた。


「大丈夫よ。いくら犯人が見つかったからって、いきなり処刑されるなんて有り得ないでしょ」

 里見が言い聞かせるように言った。

「分かるもんかよ……」

 小夜子はソワソワと前髪を撫でた。あれ以来……教室で莉里を目撃して以来、小夜子には以前のような余裕がない。とにかく何とかしなければと、気ばかりが焦って、こうして空回りを続けているのである。それも無理のない話かも知れなかった。


 それから5人は杖を下ろし、人混みの中に掻き分けて入って行った。だが、数万人が一遍に集まっているのである。当然前には進まないし、人の壁が押し合いへし合い、あっという間に5人は離れ離れになってしまった。


「どいてくれ! 通してくれ! 頼む……」


 誰も聞いちゃいなかった。雨音と喧騒が小夜子の声を掻き消した。前方どころか横も後ろも人、人、人だらけで、さっきから背中しか見えていなかった。軽い酸欠状態になり、意識が朦朧として来た。小夜子が再び手榴弾を取り出そうとした時、


「お姉ちゃん、こっち」


 ふと、声が聞こえて来た。人と人の隙間から、紅葉の葉っぱのように小さな手が、にゅっ、とこちらに伸びて来た。小夜子はその声に聞き覚えがあった。いつぞやの、おかっぱ頭の『花札』少女だ。


「こっち。ねえ、こっちだよ」


 また人の波が動き、今度は逆方向に押し戻されそうになる。小夜子は両足を踏ん張り、意を決して、幼子の手を握り返した。

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