第20話 降参じゃない!

「ちょうど良かった」


 廊下の中央で、少女たちが向かい合う。窓から差した西陽が、6つの影を長く長く伸ばしていた。小夜子は胸元から手榴弾を取り出しながら、にこりともせずに言った。


「アンタにゃ何にも恨みはないが、ここで死んでくれ。そしたら容疑者が一人減る」

「ちょっと!?」

「あ、姉御……」

「うーん、ちょっと言ってる意味が良く分からないんだけど……」


 青髪の魔法少女は困ったように眉をひそめた。


「私だって、魔法少女を目指してるんだもの! 私の『愛』と『勇気』で、あなたのその病的な殺人衝動、きっと治してあげるわ」

「簡単に愛とか言っちゃう奴が、一番信用できねえんだよッ」


 言いながら、小夜子が特製手榴弾のピンを抜いた。殺意の塊が宙に放り出されたその瞬間、しかし、神田の左足に寄り添っていた大型犬・ユウキが大きく飛び上がる。大型犬はその口で手榴弾を飲み込んでしまった。


「わんっ!」

「な……!?」


 爆発はしない。爆弾は犬の腹の中だった。後ろで驚く4人を他所に、小夜子はすでに第二投の体勢に入っていた。攻撃あるのみ。それが小夜子の芯とも言える。だが、今度は右手が動かない。振り返ると、いつの間にか黒猫が、小夜子の手に纏わり付いていた。糸のように目を細め、黒い毛玉が可愛らしくにゃんと鳴く。


「ちッ……」

「良い子ね、アイ、ユウキ。それと……」


 飼い主が働き者の使役ペットを手放しで褒め称えた。笑顔のまま、青髪の魔法少女がふと天井を見上げる。釣られて天井を見上げると、そこに真っ黒な大穴が開いていた。


「な……!?」


 天井いっぱいに広がっていたのは。人1人は軽く丸呑みしてしまえそうな、巨大なの口だった。


 一体何か? 

 分からない。牙はなかった。代わりに穴の中に、六つの眼が付いていた。ぬらぬらと赤く血走った眼が、仄暗い向こう側から一斉に小夜子を睨んでいる。さらに丸太のように大きな、蛇のような二股の舌が、獲物を捉えようと暗黒の中から先端を覗かせていた。糊のような、樹液のような、粘り気のある涎がボトボトと床に滴り落ちて、たちまち辺りに水溜りを作り始めた。


 小夜子は目を見開いた。およそこの世のものではない。魔物……。


切り札ジョーカーは隠しておくものでしょう?」

 神田がそう言って笑った。身じろぎする暇も無く、小夜子は

ばくり、

と怪物の口の中に飲み込まれた。


「姉御ォ!」

「じゃあね、皆さん」


 天井付近で、正体不明の何かに丸呑みにされた小夜子の足が、バタバタと踠いているのが見える。神田は愉しそうに目を細めた。

「姉御ォ!!」

「……!!」

 抵抗むなしく、小夜子の足はやがて闇の向こうへと沈んで行った。廊下に再び静寂が訪れる。

「100年経ったら、また相手してあげる。頑張って勝てると良いわね」

 獲物が仕留められるのを見届けて。『愛と勇気』の魔法少女は、それから煙のように姿を消してしまった。



「姉御〜……もうやめときましょうよぉ」


 廊下をずんずんと突き進んでいく小夜子に、松野が泣き言を投げかける。だけど大将は取り合わなかった。『愛と勇気』の魔法少女に敗北した翌日。その翌日も、そのまた翌日も小夜子は神田に挑み続け、そして負けていた。彼女の体は全身包帯でぐるぐる巻きになって、今や怪我してない箇所の方が少ないくらいだった。


「もう十分、分かったでしょ? Sクラスの強さが!」

 松野の隣で、里見が頷く。

「Sになると、二属性・三属性持ちが当たり前なんすよ。おまけにあんな化けモ……切り札まで。到底私らが勝てる相手じゃないっす」

「だからなんだ? 勝てなかったら、尻尾巻いて逃げるのか? ここで指咥えて見てるだけなら一生次なんてやってこねえぞ。待ってらんねえよ。人生100年も、あるわけねえだろうが!」

「人によると思うけど……」

「死ぬ前に借り返さねえと、こっちは気が済まねえんだよ!」

「あなたねえ……落ち込むとかないの?」


 一体どれほど負け続ければ気が済むのだろうか? 半ば呆れたように問いかける里見の声に、小夜子が立ち止まった。


「いや……私も昔は、ずっと落ち込んでたよ」

「姉御……」

「自分には才能がないって……。容姿みてくれが悪い、親が悪い、環境が悪い……ずっと不貞腐れてたよ。何年も」

「…………」

「だけどな、ある日」

 振り返った小夜子の顔は、青痣だらけで。だけどそれでも、彼女は笑って見せた。


「ある日TVをつけたら、魔法少女が映ってたんだよ」

「…………」

「『スイートリリィ』だよ! すごかったなあ……私より全然年下で、体も小ちゃいのにさ。果敢に魔物に向かって行って、倒しちゃうんだもんなあ」

「小夜子……」

 金髪の不良少女が、目をキラキラと輝かせた。


「そん時、私は思ったんだ……『関係ないんだ』って。才能とか、血筋とか。そんなんじゃなくて、結局自分がやるかやらないかなんだよ。私はできない理由をずっと探してて、自分で自分を、勝手に諦めてただけだったんだ……」

「姉御……」

「だから! ここで諦めたくねえの私は!」


 それから再び、大股で廊下を歩いていく。少し喋りすぎたとでも思ったのか、小夜子は照れ隠しに、目の前の教室の扉をばんと大きな音を立てて開けた。


「とにかくだ! まずはあの青髪女に勝って……」


 次の瞬間。空き教室に入ろうとした小夜子が、ピタリと動きを止めた。能面のように表情が強張り、その視線は、教室の中一点に注がれる。


「姉御?」

「どうしたの? 中に入るんじゃないの?」


 不思議がる里見たちが小夜子の肩越しに中を覗き込むと、そこには、

「な……!?」

「これって……」

「ひッ!?」


 青髪の魔法少女・神田兪加の死体が転がっていた。


 いや、死体というにはあまりにも……だった。まるで獣に食い荒らされたような、肉の残骸。骨が、脳が、臓器の数々が、空き教室の至るところに散らばっている。おかげで教室の中は、ペンキをぶち撒けたみたいに何処もかしこも真っ赤だった。


 恐らく此処で、悪魔たちが食事していたのだろう。それも出来るだけ荒っぽく、どれだけ行儀悪く食事できるか競い合っていたに違いない。魔法少女だった肉塊は、見るも無残に引き裂かれていた。唯一、顔の右半分だけが無事に原型を留めている。その右半分は、間違いなく神田だった。


 いや、正確に言うと神田だけではなかった。各パーツが部屋中に散らばっているため分かりにくかったが、後々調べて見たところ、もう2人、緑髪と橙髪の生徒が確認できた。犠牲者は計3人だった。その全員が、Sクラスの魔法少女だった。


 はみ出た小腸がブクブクと泡を立てた。それを見て、里見がとうとう気を失った。

 小夜子は。

 彼女はバラバラ死体を見ていたわけではなかった。教室の扉の前で固まったまま、その視線は、窓ガラスの方に向けられていた。


 殺人現場となった教室で。小学生くらいの小柄な少女が、1人、窓際に立っていた。開け放たれた窓から、今にも箒に乗って飛び立とうとしていたのは。


「莉里、様……」

 

 小夜子が目を見開き、掠れた声を上げた。白石莉里は、小夜子たちの方を一瞥することもなく、血染めの衣装を翻し教室から飛び立った。

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