APOSTATE2

罵論≪バロン≫

prologue.『ある少女の記憶』

「あの日の怒りを忘れるな」


 真っ黒な闇の中に、細い隙間が一本走っている。



 穴を見付けると、ついつい覗いてみたくなるものだ。誰だってそうだと思うし、何を隠そう私もそうだ。だから私はママの言い付け通りに音を立てないようにしながらも、スリットの向こう側の光景を一部始終目撃していた。



『──ママ?』



 スリットの向こう側。切り取られてはいるが、見慣れた家の中の光景。


 ドスンドスンと大きな音を立てて、誰かが床を踏み鳴らしている。ゲラゲラと大きな笑い声が聞こえ、それに混じってガラガラと何かが崩れる音や、コップや窓なんかが割れる音が聞こえて来る。ひょっとして、パパが騒いでいるのだろうか。



『──パパ?』



 パパはいつも、私が煩くすると凄く怒る。他にも眠くないのに早く眠れと言ったり、外で遊びたいのに家から出るなと怒ったり。


 静かにしろとか言った癖に、当の自分が大騒ぎしてるではないか。ママが此処から出ていいよって言ってくれたら、絶対に文句を言ってやる。



『……』



 声は、出さない。此処に居る間は絶対に音を立てたらダメだって、ママにキツく言い付けられたからだ。


 普段のママは優しいけれど、いざ怒ると誰よりも怖い。言う事さえ聞いていれば優しいママで居てくれるから、私は言う事をちゃんと聞くし、嫌な事だって出来るだけ我慢する。


 バンッ、と何かが破裂するような大きな音が聞こえても、お爺ちゃんや叔母さんの悲鳴や怒号が聞こえても、絶対に物音を立てたりしない。何回か声を上げてしまったのはもうどうしようも無いけれど、外はあんなに煩いのだ。多分、きっと、ママだって見逃してくれるに違いない。


 破裂するような音と振動が室内の空気をビリビリと揺るがし、細く切り取られた視界の中を赤い色がパッと飛び散る。


 白いコートを着た知らないおじさん達が、部屋の中をウロウロしているのが見えた。赤く染まった顔を恐ろしく歪め、耳を塞ぎたくなるような歓声と共に、ギラギラ光るものを振り下ろしたり、黒い筒みたいな物から大きな音を出したりしている。


 あんなにも家を散らかして、彼等はママが怖くないのだろうか。もし仮に私があれをやったら絶対に物凄く怒られるに違いない事を、彼等は平気でやるのだから何だか吃驚だ。


 パパもママもお爺ちゃんもお婆ちゃんも叔父さんも叔母さんも一兄いちにい二兄にーにぃも、誰も止めない。というか、止める以前に何だか真っ赤に染まってしまっていて、さっきから全然動こうとしない。


 何だろう。


 何だか凄く、凄く、嫌な気持ちがする。背中にはジットリと冷たい汗を掻いてるし、心臓がドクン、ドクンと破裂するように鳴っている。



『──みんな……?』



 切り取られているが見慣れた室内の光景は、何時の間にか見慣れない真っ赤な光景へと変貌を遂げていた。


 静かに暮らしていた家の中に、突然踏み入って来た白コートのおじさん達。パパと叔父さんが怒ったように掴み掛かっていくのが見えたけれど、二人はその後赤いのを撒き散らして倒れてから全然動かない。お爺ちゃんとお婆ちゃんは折り重なるように倒れている所を棒みたいなもので串刺しにされ、床の上に組み伏せられ叔母さんは、口の中に大きな黒い筒を突き込まれて、そのまま口の中で大きな音を破裂させられていた。


 身体の大きい一兄は腹を蹴飛ばされて血を吐いてる所を、背中に重そうな鉄の塊を振り下ろされて胴が潰れて千切れていたし、頭の良い二兄は足を掴んで振り回された後に壁に叩き付けられ、グッタリとしている所に喉へ大きなギラギラ光るもの突き立てられていた。



『ママ……?』



 ママは?


 ママはどこ?


 掠れたように呟いたその瞬間、覗いている隙間の外で赤い血潮が飛び散った。


 ぎょっとして身動ぎして音を立ててしまったが、白コートのおじさん達はゲラゲラと大声で嗤っていたので、此方には気付かなかった。


 ホッとしたのも束の間、スリットのすぐ目の前を横切るように何かが倒れる。居ないのはママだけだったからママには間違い無いのだが、私がをママだと判断するには少し時間が必要だった。


『──見ろよ、綺麗に落ちた! 流石は俺だ! 刃風だって此処まで綺麗には出来ないぜ!?』


『んなわけねーだろ。お前如きが十聖を語んな』


『おい、二人とも遊んでないで真面目に捜索しろ。一匹でも逃すと、この討伐の意味は無くなるんだぞ』


 ママ。


 大事なものは無くさないようにしなさいって、私に何時も言っているじゃない。


 ママ。


 そんな事だから何時もパパやお爺ちゃんに、肝心な所でからかわれちゃうんだと思うな。


 だなんて。幾ら子供の私だってビックリしちゃうよ。


 ママ。ねぇ、ママってば。



『一丁前に人間みたいな家に暮らしやがって。化け物風情が』


『全くだ。何が“子供達だけは”だ。演技だけは上手くて本当に吐き気がする』


『行くぞ。早くしないと他の標的が逃げちまう』


『おう。おら、邪魔だ!』



 ああほら、ママ。首。首は其処にあるみたいだよ。


 部屋から出て行く男達の内の誰かが蹴飛ばし、それはゴロゴロと転がってきた。ママが自分で拾えればいいけれど、ママは首が無いから全然動く様子が無い。


 仕方無い。私が拾ってあげよう。あのおじさん達は全員出て行ったみたいだし、もう此処から出たって大丈夫だろう。



『……』



 どのくらい時間が経ったのか。長かったのかもしれないし、短かったのかもしれない。


 拾ってきたママの首は、何故か身体にくっ付いてくれなかった。断面と断面をピッタリくっ付けてあげてるにも関わらず、ママの首と身体はただただ冷たくなっていくばかりで、治る様子なんて全然見受けられない。


 ママだけじゃない。パパもお爺ちゃんも誰も彼も、何時まで経ってもピクリとも動き出す気配は無かった。こんなに待ってるのに、いい子で待っているのに、私以外の家族は、皆何処かへ、身体を置いて行ってしまったようだった。



『──……そっか……』



 そっか。そうだよね、ママ。


 叔父さん、叔母さん。一兄も、二兄だって。


 あれだけ乱暴な事されたんだもんね。せっかく元通りになったって、もう一回同じ事されたら嫌だもんね。元通りにされる前に、先ずはあのおじさん達をどうにかしないとダメだよね。


 大丈夫。


 私が居るよ、みんな。私が何とかしてあげる。あんななおじさん達なんか、みんなみんな、やっつけてあげる。



『──あ……?』



 ふと、声が聞こえた。


 顔を上げるまでもない。さっきのおじさん達の一人だ。どういう訳か知らないけれど、また此処に戻ってきたらしい。



『なぁんだ。まだ一匹残ってんじゃねぇかぁ。一応覗きに来てみて正解だったなぁ』



 ニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべているのは、ママ達と同じような事をするつもりだからだろうか。


 自然に、口角が吊り上がっていくのを感じた。



『──先ずは一人目、だね。ママ』


『──ああ?』


 怪訝そうな声は、無視した。


 抱いていたママの首を床の上にそっと置いて、それからゆっくりと立ち上がる。


 戸口の所に立っているのは、確か一兄の身体を叩き潰した奴だ。肩に担いでいる重そうな鉄塊には未だに血の跡がべったりとこびり付いているのが、薄暗い中でもよく見える。


 可哀想な一兄。きっと、痛かったに違いない。



『──コイツ!?』



 一歩。また一歩。


 何故か顔を引き攣らせ、戸口から一歩引いた男の顔を見つめながら、少しずつその距離を詰めていく。失敗なんて考えず、ましてや自分の方がやっつけられるかも、なんて事は思い付きすらしないまま、私は相手に近付いていく。


 あと三歩。



『あは』


『てめ、この……!?』



 あと二歩。



『──あは、あはは』


『──この……ッ!!』



 あと一歩。


『──あははははは』


『──化け物がァッ!!』



 一兄を叩き潰した鉄塊が落ちて来る。


 狭い戸口だ。柱や壁を粉砕し、そのまま振り下ろされて来るけれど、ああ、全く何で一兄はこんなの喰らっちゃったかな。遅過ぎて遅過ぎて、欠伸が出ちゃう。






『──……あは、ははははははは、はふ、ふふ、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは』






 意外なくらいに美味しかったけど、筋張ってて気持ち悪かったので脇に吐き捨てた。


 その脇を、抑えた喉元からピューピュー赤いのを噴き出しながらおじさんが倒れていくけれど、もうなんの脅威にもならないだろう事は何となく分かっていた。


 まだ一人。たった一人。外にはまだまだ大勢居るだろうし、全員やっつけないとママ達は目を覚ましてくれない。


 でも大丈夫。絶対に大丈夫。あんなおじさん達なんかみんなみんなやっつけて、みんなを元通りにしてあげるから。


 いっぱい、いっぱい頑張るよ。


 だから全員やっつけたら、全部全部終わったら、いっぱい、いっぱい誉めて欲しいな。


 約束だよ。


 ね。ママ。

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