板野かも様主催 第三回「パートナー」編
【No. 012】覇道の夢~ツァイスとヴュルム
男は飢えていた。
遅すぎる。あらゆるものが、男の何歩も後ろを追い縋ってくる。これでは、何を為すにしても心躍ることはない。
故に、男は求めた。歩むに足る場を。何でも良い。危地であろうが、規格外の大望であろうが。
男は迫られていた。
王族として生まれ、早くより将来を嘱望されていた。名君のもとであれば、それも良かった。しかし暗君、奸臣のもとでは。
王宮は死の庭である。いつ届くとも知れぬ刃への怯えは、男に知恵を、力を求めさせた。
ツァイスと、ヴュルム。
二人の出会いは、偶然だったのかもしれない。しかし互いに取り、手を取り合うには十分すぎる理由があった。
ヴュルム家はツァイスを得て雄飛した。
そしてツァイスを失い、滅んだ。
権力には腐臭がつきまとう。常のことである。歴史書には当時の王が悪逆非道と謳われていたが、さて。
「王の狙いは明らかだ。公と、兄上を殺しに掛かっている。ひとまず、公ご自身は良い。今は兄上の命を狙っておることをのみ宣伝なされよ」
ギラギラとした目つきで、ツァイスはヴュルムを見据える。浮かべる面持ちは、参謀と呼びうるものではない。新たな玩具を得た、幼子である。
「我が命は、そうも軽いか」
「恐れながら」
まるで恐れておらんだろうに、ヴュルムは思えど、口には出さない。この男に皮肉が通じないことは、すでに嫌というほど知っている。
「公のお父上は、この国を外敵よりお守りになった英雄であらせられる。その禄をお継ぎになった兄上を特段の大義名分もなしに害さんとするは、王とて許されぬ暴挙。ならばこの国の守りを無いがせとし、亡国に導かんとする者を戴くなど、天がお許しにならぬ、とでもされればよい――なに、お隠れにさえなってしまえば、いくらでも理由は糊塗してしまえようとも」
盤上に並ぶ駒を弄り、弾く。
ツァイスが浮かべる薄ら笑いを頼もしくも、空恐ろしくも感じる。さながら、底なし沼に誘われるかのごとき心地である。
いま、ツァイスの手立てに乗れば、目先の勝利は得られるだろう。だが、その先は?
首尾よく、王は討ち果たされた。また一方では「禍根は摘まれねばならない」と、兄までもがツァイスの手にかかった。
王位が、ごろりと手元に落ちてくる。歓喜はない。あったのは、恐怖だ。既に石は転がり落ち始めてしまった。どこかでツァイスを止めればよかったのでは、と思えど、もはや手遅れである。
ヴュルムのもとにある、その「異物」を、王族たちは恐れ、忌み嫌った。だが、かれらの意図を、常にツァイスが先回りする。あるものは反旗を翻すも鎮圧され皆殺しに、あるものは嫌疑を掛けられ自殺を迫られた。
気付けば政敵はおろか、多くの血族をも失っていた。殺されずに済んだ血族も、また多い。しかし、だからこそ彼らはヴュルムを、正確にはツァイスを、努めて避けた。睨まれては堪らぬ、というわけである。ヴュルムは、彼らの意図を汲むより他なかった。
自らの手を、親族の血で汚してしまった。ならば、とヴュルムは、せめて良き君主であろうとした。ツァイスには幾度かなまぬるい事を、と叱咤されたが、譲る気はなかった。名君、仁君であらねばならない――だが、その思いはまた、呪いとしてヴュルムを蝕んだ。
群雄割拠の世の中である。国と国とが、喰らい合う。二人の取り合わせは、大陸にて覇を競えるほどの力をもたらした。
ヴュルムらに敵対していた国のうち、特に強勢であったのは、二つ。東と、南である。両国にはやはり、それぞれで不世出の英雄が立っており、三者を均衡と緊張が支配していた。
そのバランスが、東の覇者の死によって崩れた。
大黒柱を失った東の国にはたちまち内紛が勃発。ヴュルムとツァイスは混乱に乗じ、すかさず東の国を攻め滅ぼした。
大陸を手中に収めるまで、あと一国。
しかも、ここで南の覇者までもが死ぬ。
ただし、物事はうまくゆかぬものである。
時を同じくし、ツァイスもが倒れた。
「統一は諦めなされよ」
ツァイスは言う。
「東の国は、首尾よく大崩れを起こし、たやすく我らがもとに落ちた。しかし南の国は違う。覇者こそ失いはしたものの、その後継らがよく国を支え、耐え忍んでおる」
「何を言うか! そなたと、我がおれば――」
「いや。王、おひとりよ」
あらゆる先を見通すツァイスである。己が命の炎について、冷徹に見極めていた。そして己を取り巻く種々の情勢をも。
「なるほど、王と臣が揃いおれば、勝てもしよう。なれど臣は、もはや王の隣にはおれぬ。よしんば将来、仮に王が臣の代わりを見いだせたとて、そのときにはもはや南の国もかつてなく栄えておろう」
ツァイスが咳き込む。
「王よ。繰り返す、統一は諦められよ。それよりも今は、東国の旧臣らによくよく注意を払われることだ。かの者らは、王の強きゆえに従った。その王から強さが失われるなど、あってはならぬこと。南と戦わば、まさしくその強さを失いかねぬ」
ツァイスは正しき献策をした。しかしツァイスはヴュルムというひとを知らなかった。ここまで覇者の道を歩んできたヴュルムである。いくらツァイスに止められたとて、もはやその歩みを止めるわけにはゆかないのだ――いや、あるいは、知っていたからこそ、なのか。
ツァイスの死後、ヴュルムは旧来の臣の反対を退け、また東国出身の臣の賛成に後押しされ、南の国討伐に出た。
そして、惨敗。
この敗戦を受け、かりそめの忠誠を示していた者たちは一斉に反旗を翻した。
もはや統一どころではない。またたく間に、亡国へと転げ落ちてゆく。ヴュルム自身もまた、逃亡生活の中、もと配下に裏切られ、殺された。息子たちが復興を志すも、衰亡の趨勢は、もはや揺るがなかった。
盛者必衰は、世の常である。
だがヴュルムの栄華と破滅には、どうしても人為の残酷さに思いを及ばさずにおれない。
あるいは、ふたりが出会っていなければ。
歴史を語るにあたり、たら、ればには何ら意味がない。そうとは弁えながらも、時折、考えずにはおれないのである。
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