おまけ1:領主の娘と見習いの騎士3
最後に残った男は首から血を流して足元に伏している仲間を一瞥し、憎しみのこもったまなざしをアドニスへと向けた。
「ふたりも
矢傷が痛むのか、体力の限界なのか、頭に受けた一撃が効いているのか、私にはわからなかったがとにかくアドニスは反応しない。
彼が殺される……。
そう思い至ったとき、私は弾かれたように飛び出していた。
ともすれば私の存在などそのまま忘れられていたかもしれない。じっとしていれば、あるいは密かにこの場を離れていれば危険は無かったのだろう。
けれども。
私はその場を離れることもなく、それどころか危険に身を晒して男の足に身体ごと飛び付いた。
頭に血がのぼっていた男は私にまったく気付かず、完全に不意を突かれて私ともつれるように転がる。
「こ、のっ!」
私は戦いなんて素人だ。護身術のひとつやふたつは習って来た。それでも森に入ってからの僅かな時間の攻防を目の当たりにしただけで私だけが遥かに格下なのだと理解していたが、もう手遅れだ。
引き剥がすように蹴り飛ばされてあっさりと転がった私が顔をあげると、男は血走った目でアドニスではなく私を見下ろし、下卑た笑みを浮かべていた。
「なんだ小娘、お前から死にたいのか?」
敵が攻めてきたら女は酷い目にあわされる、侍女から聞いた話を思い出して血の気が引いていくのを感じた。その話を裏付けるかのように男は私へ手を伸ばし……途中で止めると顔をじっと見る。
「……?」
「白金の髪色にその顔立ち。お前……領主の……」
男はそれ以上喋れなかった。背後から喉を掻き切られたからだ。
釣りあげられた魚のようにぱくぱくと口を動かしながら振り返った男の口に短剣が突き込まれ、僅かなうめき声とともに崩れ落ちる。
その後ろに立っていたのは様子見に行ったカーライルだった。
「お怪我はございませんかお嬢様」
そう口にしたカーライルこそ血まみれで、特に右腕はめちゃくちゃに折れて骨が飛び出している有様だ。見ているだけで気が遠くなりそうで意識して傷を視線から遠ざける。
「わ、私は大丈夫。それよりあなたのほうが酷い怪我じゃないっ」
私の言葉に彼は引きつったような笑みを浮かべる。
「お恥ずかしい話なのですが、敵に発見されて逃げているところ馬を射られて落馬してしまいまして」
「誰かを探しているみたいだったけれど、あなただったのね。無事ではないけど……良かった、生きててくれて」
「面目次第もございません。追っ手はまだ来ないと思いますが……今は早くここを離れましょう」
彼は無事な左手で私の手を取って立たせると周囲に視線を巡らせながら森の奥へ向かおうとする。
「待って。アドニスはどうするの」
意識を失っているが胸が上下しているので一応生きているようだ。しかしカーライルはアドニスを一瞥すると短く「ここに置いていきます」と答えた。
「どうして!? まだ生きてるじゃない!」
カーライルは食ってかかる私から視線をそらすようにアドニスへと視線を向けた。
「右目はもうだめですし左のこめかみも傷が酷い。意識が戻るかどうかもわかりませんし、仮に戻ってもすぐ自力で動けるようにはならないでしょう。いざというとき足手まといになります」
「そんな……彼は私を守って傷ついたのよ」
「……だからこそです。こいつだって自分のせいでお嬢様を危険に晒すような真似は望みません」
苦し気にそう言った彼の表情が右腕の痛みに耐えているからだけではないことに気付く。
ふたりは幼いころからの知り合いで騎士見習いとしても同期に当たる。アドニスを置いていくのは私なんかよりカーライルのほうがずっとつらいに決まっている。
私はさっきの今でまたしても同じ過ちを繰り返してしまったのか……。
「ごめんなさい。貴方の気持ちも考えずに」
カーライルはほっとしたような悲しいような複雑な表情を見せたが、私はそこで終わらずさらに言葉を重ねる。
「でも、それでもアドニスをここに置いてはいけないわ。お願いよカーライル」
「お嬢様……」
彼だって本当は連れて行きたいはずなのだ。でもそれが良かれと思って決めたはず。私がいくら言っても一方的なわがままでは通らないだろう。
「……いざとなったら」
私にも悩んだうえで思いついた妥協点があった。
「いざとなったら、そのときには申し訳ないけれど置いていきましょう」
危ないと言われているのに連れていきたいと駄々を捏ね、本当に危なくなったらそこに捨てていくと口にする。なんて身勝手な要求だろう。
けれどもこれなら“いざとならない限り”アドニスを一緒に連れて行ける。
それがどこまでなのか、いつまでなのかはわからないけれど。
「せめて、それまでは……だめかしら」
カーライルは少しのあいだ目を伏せて考え込むと、視線をあげて頷いた。
「仕方ありませんね……承知致しました。ただし本当に危険がない限りですからね。なにかあれば迷わず置いていきます」
「わかってるわ。ありがとう」
私の言葉に彼は少し悪い微笑みで答えた。
「まあかまいませんよ。連れて行けばいざというときに囮なり盾なりには使えるでしょうから」
「さ、さすがにそれはやめてちょうだい」
私は引きつった笑みで返さざるをえなかった。
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