おまけ1:領主の娘と見習いの騎士2

 城まで丘を越えればあと少しというところで、丘の向こうに黒煙が見えた。

 それから遠く離れていても響いてくる未知の喧騒。

 ふたりが目配せと僅かな言葉で頷き合い、カーライルが客車を降りた。


「お嬢様はアドニスとここでお待ちください。様子を見て参ります」


「様子をって……こんなの絶対変よ。急いで帰らないと!」


「だからですお嬢様」


 カーライルが首を横に振った。


「あの丘の向こうで起きている事態が……城にいる人間で対処しきれない状況なのであれば、それがなにであれ私たち三人にできることはありません。ここでお待ちください」


「そんな……」


 彼の言葉は変わらず静かで丁寧だったが、有無を言わせぬ雰囲気があった。


「お嬢さん、少し馬車を移動します」


 カーライルが走って離れていくと同時にアドニスが馬車を操って街道を外れた目立たない木陰へと移り、息を殺して様子を伺う。

 いつも軽薄な笑みを浮かべているアドニスが真剣に周囲の気配に気を配っていて軽口も叩かない。その姿から今は非常事態なのだとひしひしと感じる。

 お父様とお母様は今頃なにをしているのだろう。城下町の住民は無事だろうか。メイドたちのことも気になる。なにもかもが不安だった。

 陽が傾くにつれて、空が夕焼けとは別の赤みを帯びていることに気付く。


「ねえ、なにが起きてるんだと思う?」


 言葉を選んでいるのか、私の相手などしている余裕がないのか。彼の返事は沈黙だった。


「ねえってば」


 苛立って語気を荒げそうになったところで彼が小さく、しかし鋭く「伏せて」と言って片手で私の肩を掴んで引き倒した。

 うめき声が出そうになるのを必死でこらえ草むらの隙間から丘のほうへ視線を向けると、複数の騎兵が城のほうから街道を駆けてくるのがみえた。

 見慣れない鎧姿だ。きっとこの領の兵じゃない。


「まだ死んでいないはずだ! 二手にわかれて探せ! 絶対に逃がすんじゃないぞ!」


 隊長格と思われる男の怒声が飛ぶ。


「お嬢さん、ここはまずい。こちらへ」


 アドニスに引き起こされて口を挟む間もないままに森の奥へと手を引かれていく。振り返ると数騎が近づいてくるのが見えた。


「恐らく馬車が見つかりました。でも馬でこの森には入れないし降りてもあの鎧ならこちらのほうが早い」


「わかったわ。でも、カーライルはどうするの?」


「無事なら追ってくるでしょう。目印は残してあります」


「そんな……」


 私の手を握る彼の手に少し力がこもる。


「お嬢さんわかってください。相手はただの兵卒かせいぜい俺と同じ見習いですが、多勢に無勢です。あの場で馬車とお嬢さんを守って戦っても勝ち目はない」


 空いている片手で草をかき分け前を進んでいたアドニスが足を止めた。


「憶測で判断すべきではないんですが、かなり厳しい状況が予想されます。今はご自分が生き延びることに全力を尽くしてください」


 絞り出すような苦渋の声だった。

 少し熱くなった手のひらとその声で、彼も不安で苦しいのだとようやく理解した。

 それでも気丈に冷静に振る舞っているのは、私を守れるのはもう自分しかいないという責任感なのだろう。

 私は彼らを信頼も気持ちを推し量りもできなかった気恥しさを振り払えず、視線を落とすと小さく頷いて「ごめんなさい」と消え入りそうな声で言うのが精一杯だった。


「ははは、気にしてやしませんよ」


 私に気を使ったのか、彼はいつものように軽い調子で言うと、再び森の茂みを進もうとしてすぐに足を止めた。


「伏せてっ」


 突然強く手を引かれ転ぶように伏せる。と同時に三方向から矢が飛来しアドニスへと突き立った。


「アドニス!?」


「ぐううっ……そ、そのまま動かないでっ」


 左肩、左わき腹、そして右目に矢を受けた彼はそれでも怯むことなく、苦痛を押し殺す呻きをあげながら私を置いて駆け出した。

 伏せたまま恐る恐る顔をあげると先ほどの騎兵と思しき男たちがすぐそこまで迫っている。

 当然馬はいないし鎧も着ていない。私たちを追うために捨ててきたのだ。

 アドニスは剣を抜くと刺さっていた矢を短く切り落として姿勢を低く敵に突進する。

 三人の敵は横に広がっていた。まっすぐ真ん中へ駆けて行ったアドニスは急に向かって右の男へと向きを変える。けれどもその動きは予測されていたのだろうか? 正面の男はアドニスの左側面、左側に居た男は背後へと慌てず包囲を狭めていく。


 囲まれる。


 私がそう思った刹那、彼は一瞬で踵を返すと背後に迫っていた敵に身体ごと突っ込み剣を突き立てた。鎧のない腹を貫通して背中に切っ先を覗かせる。

 急な反転に虚を突かれたのか残りふたりがたじろいだそのすきに、彼は誰もいない真横の茂みへ駆け込んだ。三本もの矢を受け目も身体もとても痛むだろうにその機敏さは訓練で見ていたときよりむしろ鋭く力強い。


「そいつはもう駄目だ! あの小僧を追え!」


 倒された男の様子を伺おうとしていたひとりに、もうひとりが怒声を飛ばしてふたりでアドニスを追う。やはり傷が痛むのだろう、彼はさほど離れないうちにぐらりと揺らいで減速し、目の前の木に縋るように手をついた。

 そこに追いついたふたりが彼の背後と右後ろから同時に剣を振るう。


 しかし空を斬る二本の剣。


 絶妙の間合いで目の前の木を蹴って飛んだアドニスが、宙返りしながら背後にいた男の延髄を切り裂いて着地する。ふらついて見せたのは攻撃を誘う罠だったのだ。

 しかし矢の痛みを押してここまでの立ち回りをみせたアドニスも限界だったらしく、着地の衝撃で今度こそ本当によろめく。

 右後ろから斬り付けていた男と立ち位置が入れ替わり逆に左背後を取っていたが、それは右目を射られたアドニスにとっても死角。一瞬遅れて顔を向けたところに左の裏拳が振るわれた。

 今度こそ本当に躱せなかった。

 左こめかみを鉄甲で痛打されたアドニスは近くの木に激突し、そのまま体重を預けるように崩れる。

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