目覚める後継ぎ
目覚める後継ぎ1
翌朝、ベッケンハイムの城下町は大騒ぎになっていた。長らくこの領を騒がせ苦しめていた狂犬一家三人のうち、ふたりまでもが上流街で捕まったのだ。
豪商と名を馳せていたザルバが殺され職業騎士イーヴァンを筆頭に複数名の衛兵が殉職という大きな犠牲を伴ったが、それでも彼らをあとひとりにまで追いつめたという情報は城下町を瞬く間に駆け巡った。
それは中流街、下流街はもちろん、この朗報を近隣の町まで届けようと馬を走らせる者が幾人も出るほどの衝撃であった。
捕らえられたふたりはすぐには処刑されず、尋問で隠れ家の情報などを引き出し最後のひとりとなった
大勢に恨みを買う彼らがどんな待遇を受けるかはさておくとしても、それまでは彼らの命は補償されているというわけだ。
それらの情報は特に緘口令も敷かれていないため領主の傍仕えにして公然の玩具でもある彼女、ラティア・ルネカムの耳にも入っていた。
ひとり廊下を歩きながら、彼女は考える。
いくら喜ばしいとはいえ、情報の広がる速度が不自然に早い気がする。まだ最後のひとり
しかも周辺の町へ伝えようと、朝早くから何人もの住民や冒険者が城下町から馬を走らせたという。
確かに商人たちにとっては死活問題だった賊が捕まったのだ、今こそ商機と考え先走る者が出るのもあり得る話ではある。だがそのような者がそう何人もいるものだろうか。
それに賊はなにも狂犬一家だけではない。むしろベッケンハイムは取り締まりが甘いのではと考えた連中が他領から流れ込んでいるのが現状だ。
また、
その彼も左手に酷い手傷を負って元のようには戻らないとの噂だが、そのような状況でありながらひとりでふたりを生け捕りにしたというのは、俄かには信じ難かった。
なにか、積み重なる出来事それぞれに僅かな違和感を感じている。そして、その違和感を熱狂的な空気が覆い隠している気がしてならない。
「それにしても、タルカス殿かあ……」
彼はかつて攻め滅ぼされた他領から降伏して加わった騎士ゆえに重用されず、今回の功績も亡きイーヴァンのものとして後日公表されるであろうことは想像に難くない。
彼とは子どもの頃に少し面識があったが、この城にきて以来一度も話していなかった。
タルカス殿は私の事情を知るがゆえに距離を置いてくれているのだろうか。
「あるいはもう私の顔など……」
まあどちらでも構わないのだけれど、そう心のなかで続けたところで背後から声が掛かった。
「ラティア殿」
「ぴゃい!?」
深く想い耽っていた彼女は裏返った悲鳴のような返事をあげてしまった。
恐る恐る振り返ると、そこには誰あろう、今まさに考えていた職業騎士タルカスが立っている。騎士鎧を身に纏ってはいるが左手首から先だけは血の滲んだ包帯で固められており痛々しい。
「お、おお、これはタルカス殿、まだ休まれていなくて大丈夫なのでございまするか」
「ええ、まだするべきことが残っておりますので。しかしお気遣いかたじけない。それよりも……折り入ってお話があるのですが、主様の部屋へ戻る前に少々お時間いただけまいか」
神妙な顔で言うタルカスを見て、ラティアは大いに迷った。バロキエへの忠誠心などはこれっぽっちも持ち合わせていないが、少しでも執務室へ行くのが遅れればあの男はまた難癖を付けておかしな仕置きを命じるだろう。それが朝からともなれば苦行の一日となるのは間違いない。
素直に気持ちだけ言えば断りたい。
相手がタルカスでさえなければ。
今まで一言も話しかけてきたことのない彼がよりによってこの朝、ろくに仮眠も取らずわざわざ名指しで折り入って話があるとやってきた。
なにが起きているのかはまったく想像できない。
けれどもなにか大変なことが起きようとしている。
あるいは……既に起きている。
「……それは、とても大事なご用件でございましょうか」
タルカスはしばしラティアを見詰めたまま沈黙し、目を伏せて小声で囁いた。
「然様でございます、ラティ様」
そう古い愛称で呼ばれてしまっては、彼女も断るわけにはいかなかった。
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