ポケットに約束を
青木はじめ
第1話
①
『お前が何をしたかわかっているのか?』
複数の気配のする暗闇に声が灯される。
「ただの商売じゃないっすかあ。なのにこんなの大袈裟すぎますよ」
焦ったような、それでいて冗談のようなハイトーンボイスは暗闇によく響いた。
『いや、お前は重大な罪をおかした。償える今のうちに償いなさい』
もうひとつの声は低く地を這うようだが、どこか慈悲をも帯びている。
「いやいや、おかしいっすよ。そんな、この俺が」
足元から一筋の光が差し込み、それは次第に暗闇を引き裂くが如く広がっていった。
『魔界(この世界)から、追放だ、アルト』
嘘でしょ。と声にならない空気が宙を舞った。世界は真っ白になり、そこで意識は途絶えた。
俺はアルト。正式名称は長いので省略。根っからの商売人だ。商売といっても、売り買いじゃあない。赤子でもわかる契約、相手が欲しいもの、食べ物、金、彼女、スタイル、それらを俺の優れた魔法を使って与え、それ相応の対価をいただく。簡単な職業だ。なのに突然大臣に呼び出され、訳の分からない説教をされ、気がつけば雑草だらけの廃屋の庭にポイである。誠に遺憾である。自分が何をしたか、そんなの生きるための契約をしていただけだ。ハッ、もしやこの間抜け共の蔓延る人間界で契約(仕事)を重ねていけば大臣も働きぶりに見直して帰れるかもしれない……?名案!そうと決まれば早速クライアントを……
と、立ち上がったはいいが、視界が変わらない。思考が一瞬停止する。のちに手をぱっと出しぐーぱーと開いては閉じを繰り返す。
「俺……縮んだ……?」
魔界と似たような様式の廃屋のため、背の高さを計ってみる。これは……
「ポケットサイズ……」
近い地面に膝と両手をつき、こんなミニマムじゃ商売出来ないじゃないかと絶望する。のも一瞬。「誰か人間を利用しよう」と悪知恵がうまく働き、ニヤリと口の端を片方だけ上げて立ち上がった。
土に汚れた膝と手のひらをパンパンと叩きながら道路が見える位置まで歩いてきょろきょろする。こういうのは大人しそうで闇があるような奴が扱いやすい。地雷を複数持っていたら厄介だが、そんなもんは魔法でどうにかなるだろう。
「あっ」
淡いグレーの半袖のセーラー服の少女が道の向こうから歩いて来るのが見えた。遠くからでもわかるメランコリーな雰囲気。どこか闇の見えるミステリアスな美少女だ。よし、あいつに決めた。
その場でぴょんっと飛び上がる。大きなこうを描いて少女の前に飛び込む。
「ばあっ!」
「ふえっ!?」
突如現れたミニマム人間(正しくは魔界人)に少し体をのけぞらせて小さく悲鳴をあげた少女ではあったが、咄嗟に両手のひらで俺の着地点を作ってくれた。折角作ってくれた足場に少しかっこつけて着地すると、少女は状況を把握出来ていないのか、ぽかんと口を半開きにしてまじまじと穴が空くのでは無いかと思うくらいに目を見開いて見つめてきた。
「あのー、そんなに見つめられると……」
「!?生きてる!?」
「生きてるっすよ!」
他に人が居なくてよかった。再び周囲を見回すとまた少女が動いてる生きてるだなんだ騒ぐ。大人しそうなのは見た目だけか?
人選間違ったかなと頬をポリポリかいていると、少し上から少女がえいやと言うように声を発した。
「あ、あの、うち、来ます!?」
「へっ」
おかまいも出来ませんが!外暑いですし!返答をしない俺に、だんだん顔を赤くしながらやや興奮気味に提案してくる少女に、また口角が上がる。これはチャンスだ。つけ入る、チャンスだ。
「ありがたいっす!」
そこからおよそ徒歩数分。歴史の教科書で見たような和の建築物の中へ連れ込まれた。ほのかに香る嗅いだことのない匂いはこの国のお香か何かだろうか。
「お茶、飲みます?」
「今持ち金ないんでいいっす」
大きな年季の入ったテーブルにハンカチを敷き、その上に降ろされた俺は財布を魔界へ置いてきてしまったことに気付き断った。すると少女はまたぽかんと間の抜けた顔をして「お代はいりませんよ?」と心底不思議そうな表情をした。
「えっ」
「えっ?」
善意とはいえ家にあげてもらった挙句、茶までいただくなんて損得勘定が合わない。貸しは出来るだけ作りたくない。でも、
「……冷たいの、ください」
「!はい!」
この少女には、なんだか甘えたくなる。
物心ついた時にはもう商売を始めていた気がする。といっても、おばばの買い物代行とか片付けの手伝いとか、子供が頑張れば出来るようなものだけど。対価を求めるもの、契約を始めたのは人間界でいう中学生になった時くらい。最初は探し物を手伝ったお礼に相手の大切だという万年筆を貰ったことから。それが商売に変わったのは一年後。あるものはそのまま渡し、足りないものは魔法で足す。簡単なことだ。望みが大きければ大きいほど対価は膨らむ。美しい髪を失うとしも、友人を失うとしても契約を結ぶ憐れな蜘蛛の糸を探すような様は痛々しく美しかった。そう、反吐が出る程に。
コト、と固いものが置かれる音に思考が切り替わる。小ぶりのティーカップに短く細いストローがささっている。
「ぬるくなる前に、どうぞ」
「あ、ありがとうっす……」
黒々とした思考になりかけたところでふわふわとした柔らかな声が意識を引っ張りこんだ。交渉、してみるか。
「あのー……お茶ついでにお願いがあるんすけど……」
「お願い?私に出来ることならなんでも!」
チョロそうだ。この調子なら話しても庭に放り投げられたりはされなさそう。
「実は俺、別の世界から来て、元の世界に帰りたいんすよ」
「別の世界……も、もしや、魔界とか……!?」
あ、チョロいわ。
目を輝かせて顔を寄せてくる少女は、それでそれでと瞳で急かしてくる。
「帰るにはどうやら契約をたくさんしなきゃいけなくって、でもこの姿じゃ出来そうにないんすよ〜」
「ああ、ちびっちゃいですもんね」
さらりと言われた言葉に内心ぐさりと闇討ちされた気分だ。
「だから、君の力を借りたいんす」
親身に話を聞く少女の瞳に、瞳で訴えかける。魔力を瞳に集中させて、問う。
「君の力を、貸してくれないっすか?」
魔力によって瞳孔が開きぼんやりとした顔に変わった少女は言葉を発することはなく、ただ、頷いた。
日も暮れるまであと少しというところで、玄関の方から「ただいま」と声がした。若い男の声だ。少女の兄だろうか。少女は無言で椅子から立ち上がり、廊下へ向かった。
「おかえり、叔父さん」
「ああ、ただいま」
傍から見れば普通のよくある家庭の光景だ。どこかわざとらしいくらいぼんやりとした少女の様子を除けば。
「……熱でもあるのか?いつも以上にぼんやりしているな」
「ねえ」
「ん?」
返答もせず食い気味に声を発した少女に、男はすらりと高い背をかがめて耳をすませた。
「願い事、叶えてあげる」
それは水を打ったあとの静けさのようにあまりにも静かな問いだった。男は一瞬ぽかんとしてから顎に手をあて、うーんと唸った。
「この子を返してほしい、かな」
「なっ!?」
椅子に隠れながら眺めていたが、男はすぐに長い足で俺の隠れているところまで来て、椅子を引いた。
「……ちっさ」
「う、うるせえ!」
そうして俺の首根っこを掴んでテーブルに降ろすと、
「で、願い事、叶えてくれるんだろ?」
正面から見るといかにも胡散臭そうな男だ。チッと舌打ちをして、魔法で契約書を出すとおお、と小さく歓声がわいた。
「はい、ここ。サインしてください」
「はいはい、っと。これでいいのか?」
「おっけーっす」
計画通りに行かず少々ぶすくれながらもすぐそばの廊下でぼんやり立ちすくむ少女に指を向ける。そして、指先の糸を吹くように息を吹くと、固まっていた少女の体が振り向いた。
「ねえ!!!」
「うわっなんすか」
「今の魔法!?ふわふわしてた!口が勝手に動いた!!」
「大人しそう」全撤回。キラッキラと周りのオーラさえも輝かせて近付いて来たため、思わず仰け反ると、ポンッと煙幕のような白い煙が舞い、薄ら見えた世界はさっきとは全く違う、少女を見下ろす高さの視界だった。
「あれ、戻った……?」
「おう、魔法使い?のあんちゃん」
背後からド低音の声が聞こえてきて、ゾワッと毛穴が開く感覚。振り向くと、般若がいた。
「この子とはどういったご関係で……?」
「ヒエ……」
契約なんてなんのその、目の前の般若にビビりまくっていると、再びポンッと煙があがりまた視界が超絶低くなった。
「あの、契約の対価を……」
「あ?」
「はわっ、一応いただかないといけなくて……何か、君の大切なものをください」
ビビりながらも大切な契約内容を話すと、男は「年金手帳とか……?」と呟いて少女に「それはダメ!」と窘められていた。
「なあ……」
「はい?」
少し考え込んだ後名案だと言わんばかりに指をパチンと鳴らして、男は言った。
「泊まってけよ。もしくは住んでもいい。それが対価だ。俺が家主だからな」
「はあ???」
開いた口が塞がらないとはこの事。元々少女の部屋に住み込むつもり満々だったが、それを先読みされて対価にされるとは。この男、サトリか何かなのか?
「はあ?じゃねえよ。間借りさせてやるのが対価って言ってるんだ。この子に勝手に魔法かけた野郎に対して穏便すぎるだろうがありがたく思え」
ヤ、ヤのつくご職業だ……。
「は、はい……契約完了、と……」
怒涛の契約手続きに、圧巻されていた少女が両手を合わせてにこにこと頬を緩ませた。
「賑やかになるね!」
「ああ、そうだな」
なんなんだ、この二人……突如現れたミニマム魔法使いに順応してる……だと?頭痛くなってきた。叔父さんと呼ばれた般若男は見たところ魔力に敏感なようだし、少女は順応性おばけだし……俺、やっていけるのかなあ。見方を変えれば優良物件だが。
「ねえ!あなたの名前はなあに?私は司!」
「えっ、アルト……」
「素敵な名前!頑張ってたくさん契約しようね、アルトくん」
「はいっす……」
まあ、悪くは無い……かな
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