第46話 信じる気持ち

 一昨日は、覆面パトカーに乗りこむシュガーにムリヤリ追い返された。


 事件は「なんらかの毒物による中毒と思われる男性が搬送先で死亡」という感じの小さな記事が載っただけ。被害者のが重要参考人として呼ばれていることは、どこにも載ってなかった。


 ここで、オレが口を出すのもヘンだし、第一、何をどうしていいのか分からない。一日も早くシュガーが帰ってくるように祈るだけ。事件のことは伏せたまま、昨日は表面上、淡々と引っ越し荷物と父さんを送り出した。


 父さんは、ずいぶんと長い時間をかけて美紀さんと話をしていた。しーは朝から出かけてる。今日から動きが変わるというのは、美紀さんから聞いていたことだ。


 朝イチで巨匠のところに行って、午後は卒コンの仕上げで合唱部の練習に顔を出すらしい。


 オレは予定通りホテル暮らしを開始した。予定通りのホテルだったけど、今日からツインルームに変更した。


 今は午後10時。せっかくベッドが二つあるのに、使うのは一つだけ。


 一糸まとわぬ姿のシュガーを抱きしめている。これには理由があった。


 帰宅が許されると「ご心配をおかけしました」と真っ先に連絡をしてくれた。


 声はあっけらかんとしていたけど、一時は「父親殺しの容疑者」にまでされたんだ。それなりにショックがあったはず。


 さすがに一人にしておくワケにはいかない。電話では「先輩にご迷惑を掛けるので」と固辞されたけど、ムリヤリ行って良かった。


 家の中は捜査の手が入ったせいでぶっ散らかっていた。こんな荒れてるところに、一人で置いておけるわけがない。


 シュガーの目の前で父さんに電話した。


「おー どうしたんだ?」

「頼みがあるんだ。オレが泊まってるホテル、もう一人泊めたいんだ」

「それはかまわないが、いったいどうしたんだ?」


 とにかく一人にしておけない。それに色々な問題が起きてくるはずだ


 しかし、目の前のシュガーは顔色を変えて、メモを持ち出した。


「それはダメです。ご迷惑をおかけしてしまうので」


 文字を読んで、即座に首を横に振って、話を続けた。


「実は事件が起きて、巻き込まれた友達を、一人にしておきたくないんだ。しばらくの間、同じホテルに部屋を取ってほしいんだ」

「わかった。かまわないが、同じ部屋にしなくて良いのか?」


 誰を泊めるのかすら聞かれてないのに、逆提案。


 さすがに「大丈夫なの?」と聞いてしまったのはオレの方だった。


「お前が面倒を見たいって言ってるんだ。それを尊重したいが、かといって、いくら同じホテルでも一人で過ごすのは不安だろうからな」

「あ、だ、だけど、あのぉ、女の子だけど」

「そんなところだと思ったよ。なら、余計に不安だと思うぞ? まあ、その子の考え方次第だが。聞いてみろ」


 え? なんで、目の前にいるのを知ってるんだよ。そして、シュガーならオレと同じ部屋を嫌がる可能性なんてない。


「いや、たぶん大丈夫だと思う。でも、普通、大人は「お前は中学以来、オレに頼んだのは母さんのことだけだった」何、急に」


 確かに、東京に戻ってくるたび、毎回「せめてあと一日」と頼んではいた。


「あれは、正確に言えば、お前の頼みではなかった」

「いや、それは、そのぉ、オレが勝手に言ってただけで」

「中学以来、息子が初めて頼み事をしてくれたんだ。事情もわからないことをあれこれ聞くより、スパッと息子を信じた方がマシだ」


 何だ、その割り切り方?

 

 鼻白んで沈黙したオレに、父さんは続けた。


「信じるって、そういうことだろ? 相手を信じるならどこまでも無条件だ。お前は何も聞かずにわかってくれた。それは父さんを信じてくれたからだ。それなら今度はオレが信じる番だ」

「だけど、ちゃんと話もしてないのに?」

「必要があるなら話せ。助けてほしいことは言ってくれ。できることは手伝うぞ」


 本当に、父親は変わったと思う。こんなにアグレッシブな人だったなんて。


 オレの知らなかった「頼れる父」が、ここにいたんだ。


 目で「話すぞ」と断ってから、簡単に事件のことを話した。シュガーの置かれてきた境遇もだ。


「わかった。たぶん法律的な助けが必要になる。明日までに弁護士を探しておくので、お前が連絡を取れ。金は無制限にとは言わないが、相談に乗ってもらうぐらいは何とかする。試験前なんだ。お前は少しでも勉強しろ」

「わかった。ありがとう」

「あ、ちょっと待ってくれ」


 電話口から父さんの気配が遠くなった。


 ん? 来客かなんか? 父さんの、ちょっと慌てた感じの声が「ホントに?」と言っているのが聞こえた。


「あ、もしもし?」

「うん。聞いてるよ」

「交換条件みたいなモノを付けさせてくれ」


 微妙な空気感だ。さっきまでの「頼れる父」の雰囲気とちょっと違う。いったいどうしたんだろう。


「なに?」

「あー えっとだな。その子の面倒を見るつもりなら、今日はできるだけ甘やかしてやれ ……だそうだ」

「えええ? 父さん、それ何?」

「いや、いーから。こういう時は、黙って従っておけ。その方がぜったいに上手く行く。じゃ、切るぞ? ホテルには今電話する。弁護士も今日中に何とかする。そっちは明日連絡するからな!」


 ツー 


 切れたスマホ。


『おそらく、紗奈さんの入れ知恵かな? まあ、さすが父さん。弁護士さんまで探してくれるなんて』


 そこに、怖ず怖ずとシュガーの声が割り込んできた。


「あの、せっかくなんですけど、先輩にこれ以上ご迷惑をおかけするなんて」

「シュガー? ここで一人にしちゃったら、オレは心配で勉強どころじゃないんだ。頼むから一緒に来てくれ」

「でも、ただでさえご迷惑を」

「迷惑とかそういう問題じゃないし。ここまで乗りかかった船だ。放り出して、心配する方がもっとオレは困るぞ?」

「でも、こんな迷惑をおかけするわけには」


 意外と難航した説得だったけど、最後は「一緒に来てくれたら、なんでも一つ言うことを聞くから」というがものを言ったらしい。


 頻りに「すみません」を繰り返していたシュガーだったけど、部屋に入った途端「あのぉ、甘やかして頂けるんですよね!」と嬉しそうな顔になっていた。

 

 やっぱり「何でも」はヤバかったか?


 そこでのご所望が「スキンシップの添い寝」ってことだったんだ。特に腕枕をして欲しかったらしい。


 よく考えたら、これ「一つ」じゃない気がするんだけど。


 それにしても、ホテルの同じシャンプー、同じボディソープのはずなのに、なんで、女の子はこんなに良い匂いになってしまうんだろう。


 さすがにしてしまったのは男の子だもん。これだけ柔らかな肌が密着したら仕方ないよね?

 

 狭いベッドだ。隠すのは無理。開き直ってそのままにしていたら、シュガーはニコニコになって、オレの頬にキスを繰り返してくる。


「先輩、こんなに簡単に腕枕をして頂けるなら」

「ん?」

「なんでも言うことを聞いてくれるっていう話ですよ。」


 うっ


 握られてしまった。これはヤバい。ムリヤリ手を外させるのも難しい。


 シュガーが目を輝かせながら言った。


「添い寝じゃなくて、どうせなら処女を「ペシッ!」いった~い。ひどいですぅ」

「そんだけ元気なら、添い寝は必要ないな?」

「あ、必要です、必要! 先輩の成分がないと眠れませんから!」

「わっ、わっ、やめろ、動かすなって!」

「ふふふ。今晩、ずっと横にいてくれますか?」


 だから、右手を動かさないでくれってば! 平気なふりを装ってるけど、けっこう我慢してるんだからな!


「あぁ。それは約束をしただろ。ちゃんと、横にいるから。だから、手を離そうか」

「やった。ありがとうございまーす。タマちゃん、大ラッキーです」


 動きが緩やかになった。


 シュガーは握ったままニコニコしているけど、やっぱり影があるように見える。


『はしゃいで見せてるのはわざとか」


 やっぱり不安は大きいはずだ。


 ともかく、黙って抱きしめることくらいしかオレにはできない。


「はぁ~ それにしても矢野さんもバカだけど、あのクソもホントにバカですよね」


 クラスメイトの名前を挙げて「バカ」とこき下ろす。


『いや、話をするんだから、手を離せよ。おい、ヤバいんだぞ』


 とはいえ、シュガーの言葉に何も言えるわけがない。本当にバカだから。


 シュガーの話によると「父親殺人」の容疑が晴れたのは、二つの理由らしい。


 一つは、部屋に散らかされたゴミの中に「POISON」と赤書きされた包み紙があったこと。その裏側には、ご丁寧にも「食べるな!」とでっかく書かれていて、もう一枚の可愛らしいメモ用紙も発見されて『Instead of killing my love, you should die.』と英文が書かれていた。


 これだけ警告されていれば、普通は食べるはずがないだろう。ちなみに英文は可愛らしい文字でloveって単語まで入っているけど、意訳すると「私の愛を奪ったのだから死ね」みたいな感じだ。

 

 お~ コワ。

 

 そして、警察で事情を聞かれたシュガーがフミ高でのバレンタインデー事情を話した上で「たぶん、矢野さんから渡されたヤツでは?」と名前を出したら、どんぴしゃり。


 刑事が矢野さんの家に尋ねていった。


 身分証を出して、バレンタインデーに毒入りチョコを食べた人がいましてと母親に説明した瞬間、横の本人が「毒って書いたのになんで食べるの! 私、悪くないもん!」といきなり自供した。


 これがもう一つの理由だった。


 父親殺しの痛ましい事件になるのかと思えば、超スピード解決した警察は、真実がわかるにつれて、逆に困ったらしい。


 なにしろ、娘であるシュガーから鋭い指摘を受けてしまったのだ。


「可愛いラッピングで、付いてるメモ用紙も可愛いし、って英語はぜんぜんわからないけど、さすがにLOVEって文字くらいはわかるはず。若い女の子がだ~いスキだから、JKの手作りだと思って、むさぼったんじゃないですか?」


 被害者の人となりと言うか「性癖」が暴露されて、しらーっとなったらしい。おそらく、だいたいの人間は「あ、わかっちゃった」と真相を理解したのだろう。


 疑り深い刑事が、それでも追究しようとした。しかし、として連れてきた矢野さんは勝手にペラペラと、自らの犯行を喋ってしまった。


 実験の時にフェノールフタレイン溶液を持ち出したことから、恋人を奪ったヤツへの復讐のためだと動機も説明した。「でも、警告しただけよ。ちゃんとPOISONって書いたし、警告文も書いたもん」と犯人しか知り得ないことを次々と喋ってしまった。


 ちなみに、同じメモ用紙も部屋から出てきた。


 これでは、誰がどう見ても疑いようがない。おまけに、珠恵に対する憎悪は隠さないのだから「共謀した」可能性は微塵も浮かばなかった。


 事件の焦点は「誰」の問題ではなく「この事件は殺人事件なのか」ということになったらしい。


 確かに、わざわざ「POISON」だけではなく「食べるな!」とまで書かれたメモを貼り付けられている。しかもが持って帰ってきたものを、親が無断で食べたから起きたこと。肝心の凶器だって劇薬指定すら受けてないフェノールフタレイン溶液だった。


 これでは「殺人のつもりがあった」と言えるのかどうか。警察内部でも意見が割れた。


 しかも、容疑者矢野さんの父親が素早く弁護士を付けたため、警察も大困惑の状態らしい。誰も言葉にできないが「もうちょっと考えろよ、オッサン」と被害者の愚かさを全員が呪ってしまうであろことは、容易に推測できてしまった。

 

 ある意味で、これは警察にとっては難事件だよな。


「ところで、さすが先輩のお父さまです。ふふふ。さっき聞ーちゃいましたよぉ。できるだけ甘やかしてくださるんですよね?」


 しっかり「それ」を持ち出してきた。


「そ、そうだけど」

「ふふふ。やり放題ってことですからね~ さ、甘やかしてくれるってことは、このまま好きにさせてくれるんですよね?」

「あの、お手柔らかにね?」

「ジッとしてくださいね。天井のシミを数えているウチに、終わりますから」


 お前はどこのオッサンだよと突っ込みたいけど、あ、いや、あっちは突っ込みたくはないけど、コイツにどう反応すれば良いんだよ。


 ニコニコのシュガーが身体をズラして降りていく。

 

「シュガー? でも、これだと甘やかしたと言うよりも、甘やかされてる気がするんだけど」

「いーんです。私が幸せなんですから。こうでもしないと、させてもらえないじゃないですかぁ」


 ジュボ ジュブ ジュボ ジュボジュボジュボ


 うっ!


「ふふふ。嬉し~い。先輩の、こ~んなお顔を、また見られるなんて」

「うぅ、なんか悔しい」

「いーんです。あ、悔しいなら、先輩も、私にそんな顔をさせてもいーんですよぉ。お好きなように」


 クソッ、オイタをする子は、お仕置きだ!


「あぁん! せんぱーい! ああ!」


 ……結果的にイチャイチャしてしまったのは反省してる。


 ただ、思ったよりも、あっさりと眠ってしまった。やっぱり疲れていたからだろう。そして、自分でもビックリしたんだけど、腕の中に温かな身体があるっていうだけで、こっちまで熟睡できたことだ。


 翌朝、シュガーが猛烈に照れたことと、父さんからの電話が早かったこと以外は、予定通りだ。


 連絡の取れた弁護士さんのところまでは連れて行った。


 そこからはシュガーの強いお願いで引き上げた。必ず、戻ってくることを約束させて。


 その日の夕食は、戻ってきたシュガーと一緒だった。




・・・・・・・・・・・

 

 16日の練習が始まる前のこと。


「ええええ! 大事件じゃない」


 茉莉ちゃんの話に仰天した。


 同じ学校の子の父親が毒で殺害された。しかも、学校は明言してないけど、亡くなられた人の名前が「佐藤さん」だということはニュースでわかること。


 その佐藤さんは、昨日、今日と欠席しているのだから、ウワサとは言え、ほぼ決まりだろう。


 深刻な顔の先生方が職員会議を何度も開いたらしい。 

 

『こういう時、ゆーなら、付きっきりになってるよね』


 自分が、何か困ったことがあると、いつもそうしてもらえたように、と思ってしまう静香だ。


 胸がザワついた。反射的に、連絡しようと思った。


「でも、私が今さら連絡しても困るよね。一緒にいるんだろうし」


 自分には何も言わずに引っ越してしまったのだ。二度と話しかけてくるなと言いたいのだろう。


 いつか引っ越すのはわかってた。母親に聞けば、たぶん、それを教えてもらえたはずだ。


 でも、怖くて聞けなかった。


 私は、連絡なんてしていい立場じゃない。邪魔しちゃダメ。


 理由を付けて連絡をするのは、自分を甘やかすことになる。


 迷惑を掛けるだけ。


 必死に耐えた。


 翌日の練習に行くと、ウワサは別の形を取っていた。


「え? 佐藤さんがお父さんを殺した?」

「あくまでもウワサですけど」

「まさか」

「化学室にあった何かが使われたのかもしれないです。今日、警察の人が来て、峰岸先生が案内していたのを見た人がいるんです」

「学校の薬品が使われたってこと?」

「はい。それに担任も佐藤さんのことを、おうちの事情でお休みしてるとしか言わなくて。何人もメッセを入れたのに、今日も返事が返ってこないから」


 そして茉莉ちゃんは声を潜めて「お父さんがヤクザみたいな人で、学校に乗り込んできたこともあるんですって。ひょっとしたら虐待されてたんじゃないかってウワサもあるんです」と付け足した。


 2年生の情報は、さすがに詳しい。


 でも、ゆーが好きになった人だよ?


 そんなことをするはず無いよ。


 第一、ゆーがそんなことを絶対にさせないもん。


 確かに1年生の時、お父さんの虐待だとかで、ゆーがいっぱい動いてたのは本当だ。児相に付き添っていった話も聞いてる。


 だから、虐待されていたのは本当かもしれない。


 2年生の間では「父親の虐待に耐えかねて、毒殺した」という話は確定しているらしい。


 私は、即座に言った。


「それ、違うと思うよ」

「え? なんでわかるんですか?」

「佐藤さんは一人じゃないもん。支えてくれる人がいるから、絶対にそんなことはしないわ。もしも、そこまで憎んでいたとしても、その前に、その人が絶対に何とかしてくれる。少なくとも、お父さんを殺しちゃうだなんてこと、彼なら絶対にさせない」

「先輩、その人って……」


 茉莉ちゃんが何かを言いたそうにしてる。だけど、それは言わせちゃダメ。


「とにかく、ヘンなウワサをするのは止めよ? お父さんが亡くなられて動揺しているはずの人を貶めるようなことになるもの」


 でも、その時、私は気付いてなかった。


 自分で自分に禁止していたはずの「連絡」を、帰ってからしようと思っている自分に……



 



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

作者より

タマちゃんが解放されたのと、ウワサの流れるタイミングは「時差」ができます

17日の職員会議では、矢野さんの名前が出ていましたし、化学室のフェノールフタレイン溶液だということもわかっていました。「学校で盗まれた毒物を使った、生徒による殺人事件」ということで、都教委からも指導主事が派遣され、大事になっています。

ちなみにタマちゃんは幸せすぎて、スマホの返信をする気になれなかったわけです。「父親が死んだ」というショックは微塵もありませんが、弁護士さんと会ってから、衝撃の事実が。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 


 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る