第38話 勉強会という名の地獄ハーレム
「悠にぃ。この問題ってどうやって解くの?」
「ああ、これはな」
昨日に引き続きの勉強会。
俺は初っ端から夏希の隣に座り、ワンツーマンで勉強を教えていたのだが……どういうわけか、先ほどからずっと、とある人物に鋭い眼光で睨まれていた。
「な、なんだよ」
「なんだよじゃない。何よ、悠にぃって」
その威圧的な視線の主は、向かいに座る古賀さん。
どうやら夏希の『悠にぃ』呼びが気になったご様子だ。
「いつの間に兄妹になったわけ?」
「こ、これは、その……」
眉を逆立てる古賀を前に、俺はしまったと思う。あまりにもしっくりきすぎてて忘れてたが、この人の前でその呼び方はマズかったですよね。
「さては昨日の帰りに何かしたでしょ」
「何もしてねぇよ……」
「嘘。何もなかったら夏希があんたをそう呼ぶわけない」
そう断言する古賀からは、色々なものがダダ洩れだった。昂る彼女を前に、ペンを走らせる手を止めた夏希は、呆れ顔で言う。
「美緒ねぇ、少し落ち着いて」
「あ、あたしは落ち着いてるよ」
「普通に顔怖いし。悠にぃを睨むのはやめてあげて」
おお。いいぞ夏希。
その調子でこの猛獣を黙らせてくれ。
「悠にぃには何もされてないから」
「じゃあなんでその呼び方なの?」
「それは……」
と、なぜか頬を赤くして口ごもる夏希。
ちょっと、そこはスッと答えてくれないと。
「やっぱり何かあったんじゃない!」
ほら、こうなるでしょうよ。
「あんたうちの妹に何したのっ!!」
夏希がもったいぶったことにより、古賀さんのエンジンはフルマックス。
「あたしの居ないところでたぶらかしたんでしょ!」
目をガン開いて前のめりになる。そのあまりの圧に、俺は思わず座席の背もたれに張り付いた。どうやらシスコンスイッチが、完全にオンになったっぽい。
「あたしの妹取らないでよ!」
「取らねぇよ! そもそも俺は――!」
俺は何もしていない。
そう言いかけたところで。
ブー、っと。
タイミング良くスマホが鳴った。
「わり、電話だわ」
「ちょっと! 話はまだ終わってないんだけど!」
これは千載一遇のチャンス。
そう思った俺は即座に立ち上がり、スマホ片手に席から離脱する。後ろでワーワー騒いでいる古賀を無視して店の外へ避難。そして着信相手を確認したが……
「……って、葉月かよ」
こっちもこっちでめんどくさい。
が、ああなった古賀に絡まれるよりはマシか。
「なんだよ」
『ちょっと。なんですぐに出ないんですか』
「出たんだからいいだろ」
『今度からは3コールの間に出てください』
「俺はどこぞの企業の電話番じゃねぇ。んなすぐに出れるか」
ったく、どいつもこいつもめんどくせぇ。
俺が内心イライラしている中、葉月は淡々と続ける。
『センパイ今どこですか? 家に行っても留守だったので』
「だから今日は用事あって外出してるっての」
『そういえばそうでしたね。で、今どこですか?』
うん、相変わらず話を聞く気がないようだ。
マジで一回締めたろうかなこいつ。
「別にどこだっていいだろ」
『よくないです。センパイが居ないと勉強になりません』
「この間解き方は教えただろ。少しは自分でやれ」
『数学は教わりました。でも一番苦手な英語がまだです』
「英語なんて英単語覚えときゃいいんだよ」
『それが無理だからお願いしてるんです』
「やってもねぇのに無理もクソもあるか」
『とにかく場所教えてください。さもないと――』
と、何やら葉月の声が途中で途切れた。
さては電波の調子でも悪いのだろうか。
「ふーん、なるほど。そういうことでしたか」
少しの間が空いて、再び葉月の声がした。
が、それは電話越しにではなく、俺のすぐ後ろで。
「センパイが休日に出かけるなんて珍しいなって思ったんですよ」
嫌な予感を覚えた俺は、即座に振り返る。
するとそこに居たのは、闇のオーラを纏い不吉な笑みを浮かべる葉月。明らかに平静じゃない奴の顔を一目見たその瞬間、全身の血の気が一気に引いた。
「やっぱりあのピンクの先輩に会いに来てたんですね」
”やっぱり”という言葉から察するに……もしやこいつ、俺がここで古賀と会うことを予感して来たってことか? だとしたらマジで怖すぎなんだが?
「この間レジであの人と話してましたもんね」
「知ってたのかよ……」
「険悪な雰囲気見せといて、実はあの人と仲良しなんでしょ」
「んなわけあるか。むしろ仲悪すぎて死を願われてるわ」
「じゃあなんでセンパイはここに居るんです」
「それは……」
誤魔化すか……とは一瞬考えたが。
ここは素直に答えた方がよさそうだ。
「俺はあいつに勉強を教えてくれって頼まれただけだ」
「つまりは勉強会ってことですか。わたしの真似をするとはいい度胸ですね」
真似もクソもないんですけど。
「ま、状況はわかりました」
すると葉月は、真顔で距離を詰めてくる。
そして俺のすぐ横で立ち止まったかと思えば。
「ちょうどいいんで、わたしもその勉強会に参加させてもらいます」
低い声音でそう呟いたのだった。
「いいですよね?」
真っ直ぐに向けられる葉月の目はガチ。
何だろう、この断れない雰囲気。
「勘弁してもらえませんかね……」
「嫌です。勘弁してあげません」
「んないっぺんに教えられないんだよ……」
「つまりセンパイはあの人と二人きりがいいと」
「二人じゃねぇから言ってるんだ」
「二人じゃない!?」
急に声を大にする葉月。
怖い顔でグイっと詰め寄ってくる。
「まさかまた新しい女ですか!?」
なんでそうなる……。
まあ一応女子ではあるけども。
「あいつの妹とうちの妹にも教えてるんだ。だからもう手一杯なんだよ」
「やっぱり女なんですね!!」
相手は中学生だっての……。
「てかそこにわたしが加わるくらい、何も問題ないですよね?」
「問題ありありだわ。教える範囲が違過ぎるんだよ」
そもそも夏希と葉月では、苦手な科目もテスト範囲も違う。中三の内容と高一の内容を行ったり来たりとか、絶対に頭がパンクする。
「とにかく、今の俺にお前の勉強を見る余裕はない」
「つまりわたしが赤点を取って補修になってもいいと」
「仮にそうなってもお前の自業自得だ。俺の責任じゃない」
元はと言えば、今までろくすぽ勉強して来なかったこいつが悪いわけで。俺が責任を感じる必要は微塵もないのだ。
「なるほど、そういうことなら仕方ありませんね」
また何か言い返されるかとも思ったが。
意外にも葉月は落ち着いた口調で言った。
どうやら諦めてくれたっぽい。
俺はホッと胸を撫でおろし、補修濃厚の葉月を無視して席に戻ろうとした……のだが、何やら葉月はスマホを取り出し、その画面をこちらに向けた。
「残念ですが、センパイには今日限りで死んでもらいましょう」
その言葉と共に見せられたのは、あの例の写真。
何度目の登場かもわからない、パンチラ画像だった。
「教えてくれないなら問答無用でこれを公開します」
「お前さ……いつからそんな残忍になったの……?」
「失礼な。わたしは生まれて此の方ずっと慈悲深き乙女ですよ」
「慈悲深き乙女は写真で人を脅したりはしない……」
消してないのは知ってたけど。
まさかまたこの写真に黙らされることになるとは……。
「いい加減消せよ……」
「消してほしいなら勉強教えてください」
「はぁ……」
誰かこの小悪魔を祓ってくれ。
心の底からそう願う俺であった。
* * *
「センパイ、これの解き方教えてください」
「……」
「ねぇ、センパイってば」
写真一枚に屈した自分が憎い。
葉月を加えたことにより、平和だったはずの勉強会は地獄に。
夏希に教えている最中だというのに……遠慮も配慮も一切ないこの後輩は、横からグイグイと、それはもうしつこく服の袖を引っ張ってくる。
「教えてくれないと先に進めません」
甘えるようなその面が、より一層ウザさを際立てている。
どうやらその影響は、向かいの席の古賀と陽葵にも及んでいるようで。先ほどからちょこちょこペンを止めては、落ち着きのない葉月を睨むように見やっていた。
「うるせぇなぁ……少しは待つことも覚えろや」
「でもさっきからその子ばっかりでずるいです」
「ずるいも何も、元々俺は夏希に教えるためにここに来てんだ」
それに陽葵の進捗も確認せにゃならんし。
葉月の勉強を見てやる暇なんて俺にはない。
「ねぇ、この人って何?」
ここで夏希は困ったように俺を見た。
すると葉月は、俺が答えるより先に身を乗り出して言う。
「わたしは葉月結愛。センパイの後輩です」
「悠にぃの後輩?」
「ゆ、悠にぃ……?」
不意に夏希から出た『悠にぃ』に、葉月は眉をピクリ。
引きつった笑みを浮かべると、今度は俺を睨みつける。
「これはどういうことですかね」
「知りません」
「わたしの知らないところで妹まで作ってるなんて」
「だから知りません」
「この間は『俺の妹は陽葵だけだ!』とか言ってくせに」
「それは言いました」
「胸ですか。胸に惹かれたんですか」
それは……否定はできません。
「葉月先輩、さっきからうるさいです」
と、ここでいよいよ陽葵からお叱りの声が。
これにより葉月の視線が俺から陽葵へシフトする。
「居たんだ、おチビちゃん」
「おチビちゃんじゃないです。陽葵の名前は陽葵です」
目が合ったその瞬間から睨み合いになる二人。
「勉強の邪魔なので、静かにしててもらえますかね」
「先輩に命令するとは。おチビちゃんも随分偉くなって」
ちなみにこの二人はめちゃくちゃ仲が悪い。
理由は知らんが、中学の時からこうだった。
「陽葵たちは真剣なんです。うるさくするなら帰ってください」
「わたしだって真剣だし。真剣じゃなかったらここに居ないし」
「ほんとうに真剣な人は、場を荒らしたりしません」
「荒らしてなんかない。ただわたしはセンパイに教えてほしいだけ」
「ねぇ……なんでお前らってそんなに仲悪いの……?」
前々から抱いていた疑問である。
恐る恐る聞けば、葉月は怖いくらい満面の笑みを浮かべて「別に仲良しですよー」と、心にも無いことを。陽葵に関しては、無言で葉月を睨みつけたままだった。
「ただ、ちょっとキャラが被ってて気に食わないだけです」
「何だよキャラって……」
まあ二人が険悪なのは、いつものことなのでいいとして……とにかく今はこの地獄を、元の落ち着きがある勉強会に戻さなきゃならん。
「とりあえずお前は少し黙れな」
「黙れって……それは酷くないですか!?」
「酷くない。それくらいみんな真剣なの」
眉間に力を込めて俺は続ける。
「教えるのは順番。それが嫌なら今すぐ帰れ」
「わかりましたよ、もぉ~……」
これだけ言えば、流石の葉月もわかったようで。
不満そうに口を曲げながらも、静かにペンを走らせるのだった。
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