中身

ミドリ

中身

 私はいつも、さっちゃんと下校している。


 そんなさっちゃんが、今日は下校前からソワソワしていた。


「さっちゃん、帰ろうよ」


 さっちゃんに声を掛けると、大人しめの眼鏡女子さっちゃんは暫く辺りを窺った後、私に耳打ちをする。


「じ、実はね」

「うん?」


 さっちゃんが、意を決した様に真っ赤な顔をしながら小声で言った。


「内緒って言われてたんだけど、と!」

「と?」

「遠山くんに、放課後呼び出されて!」

「わお」


 遠山くんとは、実はさっちゃんが密かに憧れていた、隣のクラスの真面目そうな、スラリとした長身の男子生徒だ。顔的には中の上くらいだろうか? 悪くはない。


 さっちゃんとは図書委員で一緒で、その関係で淡い恋心を遠山くんにいだいているのは、人一倍恥ずかしがり屋のさっちゃんと幼馴染の私二人だけの秘密である。


「だ、だけど……どうしよう、て」


 赴く勇気がないらしい。私は励ますつもりで、さっちゃんの耳に囁きかけた。


「大丈夫! カツアゲとかじゃないよ、きっと!」

「そ、そういうことじゃなくて! もう、みおの馬鹿!」


 小さく脇腹を小突かれても、痛くも何ともない。私はへへへと下卑た笑いをすると、さっちゃんの奥手過ぎる恋を応援すべく提案する。


「分かった。じゃあ、私がこっそり様子を見守ってるよ」


 要は堂々と出歯亀宣言をした訳だが、さっちゃんは途端に笑顔になった。


「う、うん! ありがとうみお!」


 馬鹿と言った口で礼を言われたが、可愛いので許す。


「で、待ち合わせ場所は?」

「えーとね、校舎裏」

「……カツアゲ?」

「みおってば!」

「あはは、ごめんごめん」


 だけど、校舎裏なら木陰に隠れて潜むことも可能だ。茂みの裏に猫がいたりすることもあるので、勘付かれたら猫の鳴き真似をして誤魔化せばいい。


 そして私は、待ち合わせの時間よりも少し早めに校舎裏の茂みの裏に潜んで待った。若干葉が当たってチクチク痒くはあるが、ここは我慢だ。


 空は綺麗な茜色。カラスがカアーと鳴きながら自由に空を舞う中、縮こまって茂みに隠れる私。


 この馬鹿みたいなコントラストに吹き出しそうになったが、これも幼馴染の為だ。


 すると、校舎の表の方から足音が聞こえてきた。足音が通り過ぎるのを待ってから、そっと茂みから顔を覗かせる。あの背中は、遠山くんだ。


 姿勢がよく、歩き方も淀みがない。ちょっと神経質そうだな、なんて思うこともあったが、あの生真面目そうな雰囲気がさっちゃんにはいいんだそうだ。


 頭を引っ込め、さっちゃんが来るのを待つ。あいつの足音は聞き慣れているから、遠くからでも私には分かるのだ。幼馴染を舐めちゃいけない。


 じっとしゃがんでいると、足が痒くなってきた。足首を見ると、蟻が登ってきている。ピン、と指で弾くと、痒みは治まった。


 それにしても、さっちゃんはまだか。


 すると、それから暫くして、ようやく小走りのパタパタという幼馴染の足音が聞こえてきた。


「と、遠山くん、遅くなってごめんね」


 可愛らしい声で、さっちゃんが遠山くんに声を掛ける。いい感じだ、いけ。心の中で応援してみた。


「ううん、待ってないよ。来てくれてありがとう」


 遠山くんの声はこれまで聞いたことがなかったが、テレビに出てくるナレーターの様なイケボだった。これは、声だけで惚れるかもしれない。


 そーっと茂みから顔を覗かせたが、ふたりの横顔が見えたので、慌てて引っ込める。


 さっちゃんももう少し角度を考えてくれればいいのに。


 そう思った後、そもそもどこに隠れるつもりか伝えてなかったことを思い出した。自分の所為だし。


「それで……話なんだけど」

「あ、うん」


 さっちゃんが、乙女な声を出している。これはもう間違いなく告白だろう、と私はひとり茂みの裏でワクワクしていた。


 すると。


「それ、頂戴」

「――え?」


 次の瞬間。


 バチン! という何か固い物が噛み合わさる音が響いた。


 その後に、言い表せない、何かを引き裂く様な音が聞こえ始める。


 はぐ、


 ぐちゅ、


 そしてまたムチムチ、という何かを引っ張る音。


 くちゃくちゃ、という咀嚼音が聞こえ、私はその場に打ち付けられたかの様に動けなくなった。


 なに、なんなの、何の音。


 なんでさっちゃんは何も言わないんだろう。


 まさか、キスをしているのかも。そう思おうとしたが、音が全然そんな生易しいものじゃない。


 足首に再び蟻が登ってきていたが、動いて音を立てるのが恐ろしくて、先程の様に爪で弾くことすら出来なくなっていた。


 どれくらいそうしていただろうか。


 茜色は黒みを帯び、もうカラスの鳴き声も聞こえない。


「……ありがとう」


 遠山くんの声が聞こえた。


「さ、帰ろうか」


 ん? さっちゃんに話しかけている?


 何だったんだ、今何がどうなってるんだろう。


 それでもどうしても覗いて見る気になれなくて、二人の足音が近付いてきても、そのままそこで隠れ続けた。


 足音がかなり遠のき、こんな暗かったら私の姿なんて分からないだろうとようやく思える距離になったところで、勇気を振り絞り少しだけ顔を覗かせる。


 校舎の角を曲がろうとしている二人の後ろ姿が見え、そして消えた。


 ……さっきのは、一体何だったんだろうか。とりあえず、さっちゃんが何かされた訳じゃなさそうなことが分かり、ほっと胸を撫で下ろす。


 ゆっくりと立ち上がり、膝まで登ってきていた蟻をピンと弾くと、先程まで二人が立っていた場所を何気なく見た。


「ひ……っ」


 地面に、黒い物が飛び散っている。


 震える足を何とか動かしながらその場所に向かうと、それはどう見ても血痕だった。それが、暗闇に染まる中、段々と地面に染み込んでいっている。


 どういうこと? 何が起きたの?


 さっぱり分からず、だけど何か只事ではないことが起きたのだけは理解した私は、二人が向かった正門を潜る気にならず、二人が消えた方向とは反対側に向かい、裏門から学校の外に飛び出した。


 翌日。


 ろくに寝られず、混乱のまま朝を迎えて気分も具合も最悪だが、それでも学校には行かないといけない。


 お母さんに小言を言われながら、怯えつつ学校へと向かった。


 教室に着くと、さっちゃんの席にさっちゃんが座っている。普通に私に手を振って笑いかけてきた。――あれ、なんだ普通じゃない。


 昨日のは、夢だったのか。


 それとも、遠山くんのキスが濃厚だっただけなのだろうか。


 私が勝手に怖がって勘違いしていただけで、そうか、あれはコーラか何かだったのかもしれないし。


 気分が上がってくる。


「おはよう、みお」

「さっちゃん、おはよ……」


 引っ込み思案の、照れ屋のさっちゃん。


 なのに、今日のさっちゃんは姿勢がピンとして、何だか遠山くんを見ている様だ。


「どうしたの、みお」


 さっちゃんが、いつもなかなか視線が合わないさっちゃんが、私をじっと見つめて言った。見たこともない、妖艶な笑みを浮かべて。


「な、なんでも、ない」

「ふふ、変なみお」


 急いで自分の席に向かう私を、さっちゃんが目で追っているのが分かった。


 恐怖で、先生が来た後もろくに話の中身なんて入ってこなかった。


 昼休みになると、隣のクラスから遠山くんがさっちゃんを尋ねてきて、二人は廊下で何やら話している。


 こちらを見ている気がしたが、恐ろしくて振り返ることが出来なかった。


 終業を告げるチャイムと共に、鞄を引っ掴む。


 走って教室を出た、その瞬間。


「……ひっ」


 手首を、馬鹿力で摑まれた。


 恐る恐る、その人を見上げる。


「ねえ、今日の放課後、空いてる?」


 遠山くんが、私を見て作った様な妖艶な笑みを浮かべた。

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