第8話「愚直で素直で純粋で」

小さい頃から馬鹿だと言われることが多い。


『凛太郎くんって頭は良いのに馬鹿だよね』


これもよく言われた。別段学力が低い訳では無い。ただ、運動が好きでそれを愚直にやり続けるという経験はあったから、勉強も同じ要領でやれば伸びた。


世の中は存外頭が悪くてもやっていける。色々考えなくても、多少損はしても、仲のいい友達と生きがいさえあれば、大丈夫。


『流石は単細胞。馬鹿でも友達思い』


うるせぇなと思う。馬鹿で何が悪い。幸せを願って何が悪い。こんな性悪女に涼平を託すのは嫌だと心底思う。


星宮久遠は魅力に溢れた人だった。どこか危なっかしいけど、それすらもどこか可愛くて。涼平の彼女じゃなかったら俺が好きになっていたかもしれない。だが、そんな邪念も過ぎらないほど、俺の目にはあの二人はお似合いに写った。



熱中症の次の日から練習には参加できた。先輩達は特に咎めてくる雰囲気もなく、頑張りすぎるなよ、ぐらいの言葉が多かった。


北庄司の態度は驚くほど変わらなかった。この前病室で抱きつかれたこと、しかもそれを拒否したことはそれなりに大きい出来事だったと思うのだが、記憶が抜け落ちているようだった。


「お疲れ様でした!」


そんなこともありながらも合宿はつつがなく続き、最終日の夜を迎えていた。


「この前の花火の時にナンパした子どうなった!?」

「どうなったも何も、戻ってからまた遊ぶ約束したぐらいだけど?」

「ヤリチンえげつねぇ! うわ、良いなぁ!」


大部屋の男部屋は3年生がここぞとばかりに猥談で盛り上がっていた。最終日ともあって酒を飲みながら上機嫌で。普段ならそれなりに笑い話として受け止められるが、今日はそんな気分じゃなかった。


「涼平も飲めよ!」

「やめとけって、あいつは傷心中でそんな気分じゃないんだから」

「久遠ちゃんマジで可愛かったよな。お前が取ってなければナンパなんかしなくても良かったのによ!」


ギャハハハハと下品な笑い声が響く。別に先輩らとの仲が悪い訳では無いが、酒が入るとこうも変わるものか。


「ちょっとトイレ行ってきます」


飲んだくれに真剣に付き合う方が馬鹿らしい。トイレに行くふりをして、そのまま旅館の外に出る。


夏の空は澄んでいる訳ではないが、それでも田舎の空は綺麗で、星も月も良く見える。この1週間結局雨は降らず、久遠の心配は杞憂に終わった。無駄なことを言わなければ、今でも関係は続いていたのではないだろうかと嫌な考えが浮かんだ。


「涼平!」

「……凛太郎」


はだけた浴衣姿のまま走ってくる彼はどこか焦っているようでいつもの笑みはそこになかった。


「大丈夫か? 先輩も結構酷いこと言うよな」

「それでわさわざ。ありがとう、でも大丈夫。酒も入ってるし、仕方ない」

「仕方ないって……」

「ともかく、俺は大丈夫」


そう言われた凛太郎はどこか不満げに頭を掻き、向き直るように俺を見る。


「まどろこっしい! こういうの苦手だわ!」

「どうした、急に」

「久遠と別れてほんとに良かったと思ってんの?」


早々な直球勝負。回避するのは簡単だが、凛太郎には素直に話してしまいたいという気持ちが勝った。


「良いとは思ってない」

「じゃあ、どうにかした方が良いんじゃねぇの? 事情は知らないけど、あんなに仲良かったのに、こんなに一瞬で崩れることあるか!?」


溢れないように抑えていた疑念を凛太郎が容赦なく崩す。それは俺の感情を堰き止めているものに他ならないだろう。


「それは俺だって思ってるよ! 誤解されて、嘘つき呼ばわりされて、軽蔑されて! それで別れようって言われたって……受け止められないに決まってる!」


無駄に身長だけ大きな男が目に涙を浮かべて叫んでいるその姿はなんて情けないだろうか。だが、凛太郎は笑うことなく、ただ眺めてくれていた。


「何があったのか、話してくれるか?」

「誰にも絶対言うなよ?」

「大丈夫大丈夫、馬鹿だけど口の堅さには定評があるから」

「……分かった」


全部話した。久遠と初めて出会った日のこと、久遠が雨が降るとおかしくなるという症状を持っていたこと、北庄司と話したこと、最初は言葉を選んでいたけれど、だんだん選べなくなって、その分本音になっていった気がした。


「……大変だったな」


話を聞き終わった凛太郎の第一声は穏やかだった。誰かに対する非難ではなく、叱責でも怒りでもなく、労いの言葉だった。


「誰かが悪いわけじゃない。ただ噛み合わなくなっただけ。そりゃあ……辛いよな」


凛太郎は長い溜息をついて、天を仰ぐ。その表情は見た事のないほど真剣で優しく、良い男だとしみじみ感じる。


「涼平はさ、誰が好きなわけ?」

「……久遠」

「じゃあ、やることは1つだろ。久遠とちゃんと話してきな。元々あんなにお似合いだったんだから、こんな簡単には崩れねぇよ」


大丈夫、と言わんばかりに凛太郎は背中を二度叩く。


「ありがと、少し楽になった」

「なら良かった。応援してるぞ、涼平!」


凛太郎はそう言って微笑むと大きく伸びをして、旅館の方へと歩いていく。部屋に戻ると先輩達は既に酔いつぶれて寝てしまっていた。

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