第17話

 チャシャ猫は笑ったまま、すうっと目を細めた。白ウサギは表情を変えない。

 ……2人は互いを見つめたまま、同時に片足を後ろに引く。

 ーーーー次の瞬間。

 チャシャ猫と白ウサギの武器が激しくぶつかり合う。

 その反動で、爆風が辺りに吹き付けた。


「………………っ」


 アリスは砂嵐から目を守るために顔の前に腕を出す。その間にも、2人の戦いはり広げられていた。

 白ウサギが先手を切ってチャシャ猫に剣を繰り出す。チャシャ猫はくぎを盾にしてその攻撃を受け流すと、そのまま釘の雨を白ウサギに叩き落とす。しかしその釘が白ウサギに触れる前に、彼は砂でそれを木端微塵こっぱみじんに打ち砕いた。白ウサギに当たらなかった釘が、次々と地面に落ちて土煙を巻き上げる。

 凄まじい応酬だった。

 アリスは2人の速すぎる動きに目を奪われる。


「……すごい」


 これが、魔法が使える者同士の戦い。きっとこの国の全員が総動員で立ち向かっても、この2人には敵わないのだろうと思い知らされる。

 アリスはぐっと矢を握り締めた。

 ……でも、やらなきゃいけない。

 逃げちゃいけない時だってあるんだ。ずっと誰かに守られて生きてきたけど、でも、今度こそ。

 自分の手で道を開いて、そこを迷わず歩いていけるように。

 アリスは弓を構えて矢を自分に引き寄せる。ググッと力一杯引いてねらいを定め、ぱっと手を離した。

 眠りネズミから貰ったその矢は勢いよく飛び、チャシャ猫の右腕に深々と突き刺さった。

 完璧に隙を突いた攻撃に、チャシャ猫は一瞬苦悶くもんの表情を浮かべ、アリスを睨む。

 右腕に刺さった矢を引き抜くと、そこから血がドロドロと溢れ出す。


「…………鬱陶うっとうしいなぁ」


 神経がやられて動かない右腕をだらりと垂らしたまま、チャシャ猫は左手を振り上げる。


「アリス!!」


 白ウサギがアリスの名を呼ぶ。

 チャシャ猫は思いっ切り手を振り下ろすと、数え切れないたくさんの釘がアリス目掛けて落ちてきた。


「ーーーー……っ!!」


 アリスは思わず目を閉じる。

 だが多くの釘は、アリスに触れる寸前に光のまくはばまれ、バチバチと音を立てて跳ね返る。

 アリスがうっすらと目を開けると、互いの手をしっかりと繋ぎ、自分を庇うように立っている双子が目に映った。

 双子は空いている手を前方に伸ばしている。この光の膜は2人が出しているものらしい。

 アリスは光の膜を不思議そうに見つめた。


「…………鏡……?」


 アリスがぽつりと呟く。

 それを聞いた双子はにこりと笑った。


「アリスは僕らが守る」

「だから白ウサギもアリスも、チャシャ猫に集中して良いよ!」


 白ウサギは一つ頷く。アリスも矢を構え直した。

 全ての釘を弾き返した光の膜はアリスを完璧に防御している。

 チャシャ猫はついっと目を細め、双子を見やる。

 あれは鏡の国の住人特有の絶対防御の能力だ。破るのにも手間がかかるし、アリスを攻撃するのは今の段階ではまず不可能に近い。

 ならばと、チャシャ猫の口端が吊り上がった。


「……っ……!!」


 突然、白ウサギの膝がガクッと下がる。

 重く、暗い何かが自分の上にのし掛かっているように感じた。

 重みに耐えかねた白ウサギが地面に膝をつく。

 すると、その重圧のせいで膝が徐々に土にめり込んでいった。

 端から見てもひどい重圧だと伝わるのだから、その身に受けている本人は殊更ことさら重く感じているだろう。


「……ふっ……ははっ……あはははははは!!」


 急にチャシャ猫が笑い始めた。

 ニヤリと口を緩めながら、重圧と戦う白ウサギを見下ろす。


「やっと本気の殺し合いが出来る……っ!!だからもっと本気出して、もっともっとたのしもうよ!!ねぇっ!!」


 チャシャ猫が手を下に降ると、更に白ウサギに重圧がかかった。

 じわりとした汗が肌にまとわりつく。だが、体にぐっと力を込めれば、ある程度は動かせるようだ。

 白ウサギはチャシャ猫の後ろ付近に神経を集中させ、指をクイッと折り曲げた。

 はっとしたチャシャ猫が後ろを振り向くと、目前にするどとがった砂の塊が回転しながら自分に迫ってきていた。


「っ!」


 チャシャ猫は砂を避けるように上空へ飛び上がった。

 砂の飛行距離には制限があり、安全圏まで上がると、砂は力なく崩れ落ちる。


「……流石だね、白ウサギ。ーーでも」


 唐突に、パチン……とチャシャ猫が指を鳴らした。

 すると先程よりも地面の歪みが大きくなった。体の骨がミシミシと音を立てる。

 これ以上の重圧を掛けられれば、骨など簡単に砕けてしまうだろう。

 もう、腕に力が入らない。

 そんな様子を眺めていたチャシャ猫は、手のひらにあった一本の釘を巨大化し、白ウサギ目掛けて投げ飛ばした。

 チャシャ猫の重力魔法も加わって勢いを増した釘が、白ウサギの左肩を直撃する。


「……ぐぁ…………っ!!」


 骨がくだけて粉々になるほどの激痛に、白ウサギは顔を歪める。

 チャシャ猫は自分のだらりと下がった右腕を掴みながら笑った。


「これでおあいこだね、白ウサギ」


 白ウサギの左肩はもはや使い物にならない。剣を片手で扱うのは至難しなんの技だろう。砂も、ここまでは届かない。

 これで、白ウサギに勝ち目は無くなった。

 チャシャ猫の口が三日月形に動く。それは笑っているようにも、泣いているようにも見えた。


「…………さよなら」


 一瞬だけ、チャシャ猫の瞳が陰りを帯びたのを、白ウサギは見逃さなかった。白ウサギがチャシャ猫に向かって口を開く。

 だが、その声がチャシャ猫に届くよりも先に、アリスを攻撃したよりも更に数倍もの数の釘が白ウサギに降り注ぐ。

 アリスは悲鳴に近い声で白ウサギの名を叫んだ。

 地面が揺れ、その場に立っている事も難しくなる。だがアリスは必死に体勢を保った。

 土煙が辺りに広がり、それが視界を鈍らせる。

 はっきりと見れるまでには暫くの時間を要した。

 チャシャ猫は上空で余裕の笑みを浮かべていた。だが、不意にその顔から笑みが消えた。

 アリスが不思議に思って下を見ると、そこに白ウサギの姿はなく、丸く空いた穴だけが奇妙に残されていた。


「ーーーー忘れてたよ」


 チャシャ猫が口を開く。

 覚えてる。忘れる訳がない。

 初めてアリスと戦った時、死ぬ直前のアリスを助けたのは、まぎれもなく白ウサギの残した穴だったのだ。

 まさか、2回もそれで仕留めそこねるとは思いもしなかった。


「……何処だ?」


 入る穴があったということは、出る穴もあるはず。チャシャ猫は目をらして穴を探す。

 すると急に言い表せぬ戦慄せんりつが全身を駆け巡り、ばっと後ろを振り向く。


「………………っ!!」


 チャシャ猫は受け身を取ろうと手を伸ばしたが、遅かった。

 チャシャ猫の後ろを取った白ウサギが、彼の腹部を思いっ切り蹴り飛ばす。


「……が、は……っ……!!」


 白ウサギの脚力は凄まじく、チャシャ猫は地面に何度も叩きつけられながら、数十メートルほど飛ばされた。その軌跡きせきは森の木々が無残にぎ倒された姿を見れば言葉にするよりも明らかだった。

 白ウサギは肩で息をしながらチャシャ猫が飛ばされた方向を睨む。

 実際のところ、白ウサギも限界に近かった。重圧から逃れるために相当の体力を使ったので、魔法を使う力もあまり残されていない。

 ……早く終わらせないと、自分のほうが危うい。


「………………」


 一方のチャシャ猫は、森の中央の川まで飛ばされていた。川から上がると、ピタピタと水滴が足元に滴る。

 ぐっと拳を握り締めた。

 チャシャ猫の雰囲気が今までと違って本気の殺気に変わる。

 森の木々がチャシャ猫の殺気に応えるようにざわざわと揺れ始めた。


「ーー白ウサギ」


 チャシャ猫の言霊に、白ウサギはピクリと反応する。そして自分の体が金縛りのように動かなくなるのを感じた。

 ざわざわと揺れる木々が、徐々に白ウサギの体に枝を絡み付かせていく。

 枝を振りほどかなければと思うのに、意に反して体は動かない。

 チャシャ猫の言霊は思ったよりも深く、強い。

 白ウサギの両手足を枝が絡め取り、そこに縫い止める。

 チャシャ猫はそれを見ながらうっすらと笑った。


「……忘れたの?白ウサギ。ここは『死の森』だよ」


 そう、ここは死の森。

 チャシャ猫の意志に合わせて木々は踊る。


 殺せ、殺せ、白ウサギを。

 殺せ、殺せ、我等が森の侵入者を。


 禍禍まがまがしい雰囲気が森全体を包み込んでいく。呪いの歌が充満し、侵入者を捕らえた枝たちが更にうたう。


 殺せ、殺せ、白ウサギを。

 殺せ、殺せ、我等が主の天敵を。


 チャシャ猫がその歌を聴きながら笑みを深くする。

 そう、ここは死の森。

 森の木々はチャシャ猫の意志に従って白ウサギ捕らえる為に枝を絡み付かせる。

 それはまるで、鉄で出来た鎖のように。そう、ここは……『チャシャ猫の森』。


「この森は俺の味方だ」


 白ウサギは目を細めた。

 ゆっくりと向かってくるチャシャ猫の瞳がこちらを向いた。

 それに木霊こだまするように、森の枝の穂先が一斉にこちらを向く。

 感情のない瞳が、ゆっくりと、呪いの歌のように白ウサギの心の奥深くに突き刺さった。

 その瞳とは別に、チャシャ猫から発せられる嬉しそうな声音が白ウサギの脳裏に暗く染み渡る。


「……ーー今度こそ、ちゃんと死んでね?白ウサギ」


 刹那、数十の枝が白ウサギの体を貫いた。


「ーーーーーーっ!!」


 アリスが声にならない悲鳴を上げる。そんな状況を見ながら、チャシャ猫はくらい光が宿る瞳でニヤリと笑った。だが、その瞼はふいに下に落ちる。



 ーーーー友達に……なれると思ったのに。

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