第11話側用人・柳沢吉保2

 「赤穂浪人たちを処罰すべきだというのだ。吉保よしやす、そちはどう思う?」


 上様が「先生」という相手は恐らく荻生徂徠おぎゅうそらい様の事だろう。儒学者である荻生様が赤穂の浪人どものを許す訳がない。


 「私も荻生様の仰る通りかと思われます」


 「そちもか……」


 「上様?」


 「としては奴らに温情を与えるべきだと思うておるのだ」


 はっ!?

 温情?


 「上様……それは赤穂の浪人どもを助命なさるという事ですか?」

 

 「そうよ!今の世であって『武士』を突き通すとは中々出来る事では無い。赤穂の者達の行動は『義士』というべきものだ。彼らには然るべき士官先を紹介しようとも思ったのだが……先生は『それは道理に合はない』と反対なさるのだ」


 そうでしょうとも!

 上様の鶴の一言で浅野内匠頭は即日切腹になったのですよ?……まさか申し渡した事を忘れていらっしゃるのか?だから赤穂の浪人どもの振る舞いに他の者達のように感銘したのですか!?

 これは上様お一人の感情で決めて良いものではないのです!

 御政道そのものが傾くかもしれない事態なのです!

 上様が赤穂の浪人らに厳罰を処する事で「権威」が守れるのです!


 ゴホン。

 いかん。冷静さを失っていたようだ。

 ここは落ち着いて上様を説得しなければならぬ処だ。


 「上様、荻生様は他にも何か仰っていたのではありませんか?」

 

 あの荻生様のことだ、きっと倫理的に上様の説得をなさったはず。


 「先生は赤穂の者達には『己の命を懸けてお家の面目を保った赤穂の者達には名誉ある死を与えるべきだ』と言っていた。それと『どれ程の忠義であろうとも将軍のお膝元である江戸市中を騒がせた責めを負わねがならないため無罪放免には決して出来ない』とも……」


 流石、荻生様。

 情に流されないように法に則って裁こうと上様を説得したのか。


 「上様、それがしも荻生様の仰る通りかと愚行致します」


 「吉保もか……。だが、赤穂の者達はの目的はだった。江戸を騒がせたと申しても、市中で斬りあった訳でもなく、治安を乱した訳でもない。江戸の民らを恐怖に陥れた訳でもないのだぞ?首を打ち取った後もそうだ。自分達で勝手に切腹などせず大人しく公命による沙汰を待っていると聞く」


 だからこそ余計に困っているのですよ。

 赤穂の浪人が数名でヤッたのなら……例えば吉良殿を待ち伏せして数人で討ち取ったならば話は別だった。問題は集団で徒労を組んで計画を綿密に練り元筆頭家老の指揮のもとに武器を抱え、しかも役割分担まで細かく決めて行動したのが問題なんです。

 どう見ても組織ぐるみの武力行使。公法に反する!

 議論が決まらないのも無理からぬこと。

 助命を申す者もいれば厳罰を申す者も多い。浪人どものせいで内部分裂まで起こりかけているのだ!

 奴らの行動を「正当性あり」と認められる訳がない!認めてしまえば徳川の権威が地に堕ちる。徳川の世による支配体制の根本が覆されてしまう!「義士」だからといって赤穂の浪人を無罪にするなど……いや、赦免など絶対に出来るはずがない!


 「上様……今回の件は『松の廊下事件』の裁定に異を唱えたとも言える行動です。場合によっては上様に反旗ありとも受け取れるものです!このような事がまかり通れば再び戦国の世になるのは必定!」


 「吉保」


 「勤勉な上様なら御存知のはずです。室町幕府がどのように崩れたのか!」


 「それは……」

 

 「時の将軍や傍で支えるべき者たちが私情で動いた結果、他の武士たちの信頼を失い秩序が崩壊したのです!そのせいで100年の乱世が起こったのは疑いようもない事実ではありませんか!各地の大名たちが好き勝手動いたことは許しがたい事でしょうが、先に彼らの信用や信頼を失わせたのは時の将軍らです!上様、幕府の機能が動かなくなるという事は将軍家が実権を失った事を意味致します!将軍家の『権威』が失われれば応仁の乱以降の戦乱の世が再び訪れるやもしれませぬ」


 「うむ……」


 よし!

 上様の心が揺らぎ始めた!

 ここが正念場だ!


 「それに彼らが生き残ったところでどうなりましょう!主君の仇を討ってなお生き残りたいなど『忠義者』が考えるでしょうか?いいえ!きっと一刻も早く主君の元に逝きたいと思うはずです!上様がお情けで助命したとしても彼らには帰る場所など有りますまい。仮に、上様の御厚情で士官先を斡旋した処で新しい君主に忠誠を誓えましょうか?『忠臣は二君に仕えず』と申します!」


 「そちの言い分はもっともだ。だが、民衆はどうする?赤穂の者達を賛美する声は日増しに高くなる一方だぞ?その声は江戸城にも届いている有り様だ。士官はともかく、命だけでも助けてやりたい。余の目から見ても彼らは『武士の鏡』ぞ」


 「上様、町民どもは無責任に面白おかしく話を盛ってい騒いでいるだけです。それに赤穂の浪人に厳罰を処するのは民衆達のためでもございます」


 「どういうことだ?」


 「助命し、生き長らえたところで生き恥を曝すだけ。自暴自棄になり誰彼構わず斬りかからないとも限りません。武士も人。困窮に喘いで惨めな末路をしないともいえません。そのような最後を民衆は求めるでしょうか?いいえ、認める事も出来ないでしょう。先ほど上様は赤穂の浪人は『武士の鏡』と申されました。ならばこそ、ことも上様の務めと愚行致します」


「吉保……」


 頭を下げていた私には分からない。

 赤穂の浪人の一件が上様の心をかき乱していた事を。

 この事件は上様に大変な影響を与えた事を知る由も無いかった。

 

 その後、上様は悩みに悩んだ末、「切腹」という判決を下す。

 吉良邸での討ち入りから一ヶ月以上に及んだ審議は、上様の一言で決定したのである。


 元禄16年(1703年)2月4日、赤穂の浪人たちはお預かりの大名屋敷で切腹することが相成った。

 それと同時に47人の遺族に対する処分も申し渡されたのであった。

 

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