酒カス青年、占い師を殴る

武州人也

酔っぱらいによる嵐のような暴力

 人気ひとけのない路地をぶらつきながら、スキットルに口をつけて中身を飲み干した。安いウィスキーをストゼロで割ってできたクソ安酒は、まさに「酔うためだけの液体」だった。クソ安酒にふさわしいクソみたいな味わいで、その上人体には有害なのだから、スキットルの中に詰まってるのはこの世で最も無価値な液体と言っても過言じゃない。

 そんな無価値な液体を金属の容器に詰めて、いつ何時なんどきも懐にしのばせている俺だって無価値な人間だ。就職に失敗した挙げ句、パワハラ店長殴ってバイト先もクビになった。「鮫死森荘さめしもりそう」とかいうイカレた名前のクソみたいな安アパートで惰眠を貪り、連日ストゼロに浸っているが、来月の家賃を払う目処は立っていない。

 手元にあった来月の家賃は、ダノンベルーガという馬に賭けた結果ハズレ馬券という名の紙屑に変わった。競馬に負けた後だと、自分の「翔馬しょうま」という名前が皮肉に見える。何が翔馬だ。昨晩ストゼロでさんざん酔った挙句、昼間っから酒を買いに外プラプラしてクソ安酒を飲み歩きしてるクソなんて駄馬でいいだろ。

 空き地の前を通りかかるとき、フェンスに絡まるヤブガラシの葉が、オレの袖にカサッと触れた。オレはそれが気に食わなくて、このクソ雑草のツルをつかんで引きちぎろうとした。でも思いの他クソ雑草は頑丈で、オレの力じゃ引きちぎれなかった。腹が立ったので、「クソ!」と叫びながらフェンスを裏拳で打った。

 ああ、クソだクソだ。どいつもこいつもクソだ。考えてみれば、クソを栄養にして育つキノコや植物もまたクソだ。それを食う草食動物もクソだし、その草食動物を食う肉食動物もクソだ。世の中はクソで満ちている。オレら人間も、クソを食ってクソをひり出してる真性のクソだ。

 いつの間にか、路地を抜けた先の商店街のど真ん中に突っ立っていた。クソ安酒を飲み干したせいか頭がボワボワして、建物の輪郭がクソみたいにぼやけて見える。ふと左の方を見ると、この前空きテナントだった雑居ビル一階には、横浜中華街にありそうな雰囲気の占い屋が入っていた。軒先には「幸せ占い館」という赤い看板が掲げられている。

 占い……か……。そういえば昔、「俺の占いは当たる」なんて言ってた特撮ヒーローがいたな。殺人犯の悪党に殺されてたが。

 酔った勢いなのかは自分でもわからないが、気づけばふらふらと、まるで誘蛾灯にいざなわれるクソ昆虫のように、占い屋に足を踏み入れていた。占いなんか信じないタチだったのに。

 占いなどに縁のなかったオレにとって、中は異世界だった。朱色の壁紙に囲まれ、天井からは赤いランタンが吊り下がっている。その様は如何にもチャイニーズの占い屋といった雰囲気だ。そして部屋の中央テーブルに、イヤリングやら指輪やらをたくさん身に着けた、ラフな服装の男が座っていた。この艶のある黒髪を伸ばした美形の男に、俺は見覚えがある。


「リュウイチ先輩じゃないっすかぁ。お久しぶりです。占い師やってたんすか?」


 目白龍一めじろりゅういち。大学の登山部の先輩で、オレより三つ年上だ。面倒見がよく、加えて容姿も優れていたため、男女問わず人気があった。クソみたいなオレは一年間、さんざんリュウイチ先輩に迷惑をかけた挙句、先輩が卒業したタイミングでクソ登山部をやめた。てっきり先輩はいいところに就職したもんかと思っていたが、まさかこんなところで占い師をやっていたとは思わなかった。


「もしかしてあんた、ショウかいな? けったいな客が来はるってのは見えとったけども、まさかショウとはなぁ」


 オレはリュウイチ先輩の言葉を無視して、部屋の中を眺め回した。テーブルの上はすっきりしていて、水晶玉の類は置いていない。何に使うのかわからない細長い竹の札と、手相を見るための小さいルーペぐらいだ。代わりに背後の本棚には本がぎっしり詰まっている。本のほとんどは易学えきがくに関するものだ。そういやリュウイチ先輩の専攻は中国古典文学だったっけか。

 四年経っても、リュウイチ先輩は惚れ惚れするほど美形だ。伸ばした黒髪は艶があって、それがこの男の美しさを独特なものとしている。


「ねぇ先輩先輩、占い師やってるんだったら次の安田記念当ててくださいよ。ファインルージュっすか? オレ金ないんで次当てなきゃ家賃払えないんすよ頼んます先輩」


 言いながら、オレはリュウイチ先輩に顔を近づけた。ほんのりタバコの匂いがする。登山部にいたときは「体力が落ちたらいけないから」といって吸っていなかったが、いつの間に喫煙者になっていたのか。いい会社に勤めて順風満帆だと思っていたリュウイチ先輩が、タバコの味を覚え、占いなどというアコギな商売をしている……その様に、オレは暗い愉悦を覚えた。


「馬はわかりまへんわ。競馬の予想なら他あたり」

「そんなイジワル言わないでくださいよ先輩。相談料ならちゃんと払いますから」

「いけずやない。わからん言うてるやろ」


 そんなこと言うなよ。けったいな客鷹司翔馬が来るのだって知ってたんだろ? だったら競馬の着順予想だってできるはずだろうに。オレはリュウイチ先輩の態度に、だんだんムカムカしてきた。女の子にフラれて笑いものにされたこともないくせに。


「てかショウ、酒臭いわ。酔っぱらってはるんとちゃうんか? 今日は相談料いらんから、素面で来なはれ」

「るせぇな、客の言うこと聞けっつってんだよ!」


 考えるよりも先に、手が出ていた。リュウイチ先輩は椅子ごと床に横倒しになっていて、オレは殴打の反動を右の拳に感じていた。

 

「ぐちぐちうるせぇんだよ!」


 起き上がろうとする先輩の胸倉を掴んで、もう一発頬を殴った。そうだ、リュウイチ先輩は何でも持ってる。人望も、麗しい容姿も、かわいい彼女も、太い実家も、全部持ってる。いけすかない野郎だ。そんな人間がタバコやって占い師になってたとしても、オレのところまで落ちてきたわけじゃない。

 

「オレぁリュウイチ先輩のこと嫌いだったんだよ。だから一年間、ずっと困らせて手を焼かせてきたんだ!」


 もう一発、おまけに蹴りをくれてやった。胸を蹴られたリュウイチ先輩の体は大きく後ろにのけぞって、店の外で倒れた。オレは先輩を追いかけて、店の外に出た。


「死ねよ! 死ねよ! 死ねよ!」


 先輩に馬乗りになって、顔面を殴った。何度も何度も、腕にうなりをつけて殴った。男のオレでも惚れてしまいそうなほど美しかった先輩のご尊顔は、見るも無残に腫れあがっている。頬をリンゴのように腫らしたリュウイチ先輩は、ただ殴られるばかりで何も言わなかった。

 オレたちの周りには、あっという間に野次馬が集まってきて、ゴチャゴチャと人だかりを形作っていた。誰も彼も、奇異と恐怖と軽蔑のこもった視線を向けてくるだけで、リュウイチ先輩を助けようとはしない。殴る手を止めたオレは、野次馬どもを睨んだ。

 どいつもこいつも、腹の内にクソを溜め込んだクソ袋だ。クソクソクソクソ。世の中クソまみれだ。オレもお前らも全部クソだ。

 もうすぐオレはポリ公に捕まって、重罰を下されるだろう。オレを捕まえるポリ公もまたクソ袋だ。クソがクソを捕まえるなんて、なんと滑稽な。落語かよ。


「クソが!」


 オレはリュウイチ先輩に馬乗りになったまま、曇天に向かって一吠えした。

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