酒カス青年、占い師を殴る
武州人也
酔っぱらいによる嵐のような暴力
そんな無価値な液体を金属の容器に詰めて、いつ
手元にあった来月の家賃は、ダノンベルーガという馬に賭けた結果ハズレ馬券という名の紙屑に変わった。競馬に負けた後だと、自分の「
空き地の前を通りかかるとき、フェンスに絡まるヤブガラシの葉が、オレの袖にカサッと触れた。オレはそれが気に食わなくて、このクソ雑草のツルをつかんで引きちぎろうとした。でも思いの他クソ雑草は頑丈で、オレの力じゃ引きちぎれなかった。腹が立ったので、「クソ!」と叫びながらフェンスを裏拳で打った。
ああ、クソだクソだ。どいつもこいつもクソだ。考えてみれば、クソを栄養にして育つキノコや植物もまたクソだ。それを食う草食動物もクソだし、その草食動物を食う肉食動物もクソだ。世の中はクソで満ちている。オレら人間も、クソを食ってクソをひり出してる真性のクソだ。
いつの間にか、路地を抜けた先の商店街のど真ん中に突っ立っていた。クソ安酒を飲み干したせいか頭がボワボワして、建物の輪郭がクソみたいにぼやけて見える。ふと左の方を見ると、この前空きテナントだった雑居ビル一階には、横浜中華街にありそうな雰囲気の占い屋が入っていた。軒先には「幸せ占い館」という赤い看板が掲げられている。
占い……か……。そういえば昔、「俺の占いは当たる」なんて言ってた特撮ヒーローがいたな。殺人犯の悪党に殺されてたが。
酔った勢いなのかは自分でもわからないが、気づけばふらふらと、まるで誘蛾灯に
占いなどに縁のなかったオレにとって、中は異世界だった。朱色の壁紙に囲まれ、天井からは赤いランタンが吊り下がっている。その様は如何にもチャイニーズの占い屋といった雰囲気だ。そして部屋の中央テーブルに、イヤリングやら指輪やらをたくさん身に着けた、ラフな服装の男が座っていた。この艶のある黒髪を伸ばした美形の男に、俺は見覚えがある。
「リュウイチ先輩じゃないっすかぁ。お久しぶりです。占い師やってたんすか?」
「もしかしてあんた、ショウかいな? けったいな客が来はるってのは見えとったけども、まさかショウとはなぁ」
オレはリュウイチ先輩の言葉を無視して、部屋の中を眺め回した。テーブルの上はすっきりしていて、水晶玉の類は置いていない。何に使うのかわからない細長い竹の札と、手相を見るための小さいルーペぐらいだ。代わりに背後の本棚には本がぎっしり詰まっている。本のほとんどは
四年経っても、リュウイチ先輩は惚れ惚れするほど美形だ。伸ばした黒髪は艶があって、それがこの男の美しさを独特なものとしている。
「ねぇ先輩先輩、占い師やってるんだったら次の安田記念当ててくださいよ。ファインルージュっすか? オレ金ないんで次当てなきゃ家賃払えないんすよ頼んます先輩」
言いながら、オレはリュウイチ先輩に顔を近づけた。ほんのりタバコの匂いがする。登山部にいたときは「体力が落ちたらいけないから」といって吸っていなかったが、いつの間に喫煙者になっていたのか。いい会社に勤めて順風満帆だと思っていたリュウイチ先輩が、タバコの味を覚え、占いなどというアコギな商売をしている……その様に、オレは暗い愉悦を覚えた。
「馬はわかりまへんわ。競馬の予想なら他あたり」
「そんなイジワル言わないでくださいよ先輩。相談料ならちゃんと払いますから」
「いけずやない。わからん言うてるやろ」
そんなこと言うなよ。
「てかショウ、酒臭いわ。酔っぱらってはるんとちゃうんか? 今日は相談料いらんから、素面で来なはれ」
「るせぇな、客の言うこと聞けっつってんだよ!」
考えるよりも先に、手が出ていた。リュウイチ先輩は椅子ごと床に横倒しになっていて、オレは殴打の反動を右の拳に感じていた。
「ぐちぐちうるせぇんだよ!」
起き上がろうとする先輩の胸倉を掴んで、もう一発頬を殴った。そうだ、リュウイチ先輩は何でも持ってる。人望も、麗しい容姿も、かわいい彼女も、太い実家も、全部持ってる。いけすかない野郎だ。そんな人間がタバコやって占い師になってたとしても、オレのところまで落ちてきたわけじゃない。
「オレぁリュウイチ先輩のこと嫌いだったんだよ。だから一年間、ずっと困らせて手を焼かせてきたんだ!」
もう一発、おまけに蹴りをくれてやった。胸を蹴られたリュウイチ先輩の体は大きく後ろにのけぞって、店の外で倒れた。オレは先輩を追いかけて、店の外に出た。
「死ねよ! 死ねよ! 死ねよ!」
先輩に馬乗りになって、顔面を殴った。何度も何度も、腕にうなりをつけて殴った。男のオレでも惚れてしまいそうなほど美しかった先輩のご尊顔は、見るも無残に腫れあがっている。頬をリンゴのように腫らしたリュウイチ先輩は、ただ殴られるばかりで何も言わなかった。
オレたちの周りには、あっという間に野次馬が集まってきて、ゴチャゴチャと人だかりを形作っていた。誰も彼も、奇異と恐怖と軽蔑のこもった視線を向けてくるだけで、リュウイチ先輩を助けようとはしない。殴る手を止めたオレは、野次馬どもを睨んだ。
どいつもこいつも、腹の内にクソを溜め込んだクソ袋だ。クソクソクソクソ。世の中クソまみれだ。オレもお前らも全部クソだ。
もうすぐオレはポリ公に捕まって、重罰を下されるだろう。オレを捕まえるポリ公もまたクソ袋だ。クソがクソを捕まえるなんて、なんと滑稽な。落語かよ。
「クソが!」
オレはリュウイチ先輩に馬乗りになったまま、曇天に向かって一吠えした。
酒カス青年、占い師を殴る 武州人也 @hagachi-hm
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