第11話 夜警

その日の夜は闇が深かった。新月で月明かりもない。


自警団長のジューゴ・バン・マルディナードは二人の男を従え、ランタンの灯りを頼りに歩いていた。もう時刻は夜中の十二時を回ろうとしていた。


 いつものように静けさが広がっているが、ジューゴは見慣れた街の変化を見逃さなかった。どことなく空気が張り詰めている。街全体が放火魔に怯え、息を殺しているようだ。


 今夜はいつものように十時から夜警を始めた。夜警は各街区ごとに三名で行う。西地区には五つの街区があるから、総勢十五人でベルメルンの街を監視しているというわけだ。


 ジューゴは西第三街区の自警団長であると同時に各街区の自警団長をまとめる立場だ。つまりこの街の自警団のトップなのだ。


 しかし、自警団自体が一枚岩ではない。事実、火事を受けて夜警の増員を各街区に要請したが断られた。


 夜警は当番制で各家が持ち回りで担当するが、実際に参加しているのは、義務を負った家の者ではなく、雇われたものたちだ。近年、ボミラールルの国力が増すのと同時に、商人たちの所得も大幅に増えている。だから、面倒な夜警の当番を金で解決しようとするものも少なくないのだ。


 最初は個人で夜警当番を請け負うものが数人いた程度だったが、いつしか夜警当番の人材を斡旋する専門の業者ができ、数十人を囲いこんでいる。そこに所属しているのは、基本的にベルメルンに職を求めてやってきた流れ者たちだ。


 今夜も夜警に参加しているのはほとんどが雇われの連中だ。ジューゴの後ろを歩く二人もそうだった。


 そうした状況をジューゴは苦々しく思っていた。よそ者が増えれば、士気は下がる。街への愛着がないからだ。


 昔は違った。ジューゴが活動を始めた十代後半のころ、自警団は強面だが正義感溢れる街の男たちの集団だった。どんな小さな犯罪も見逃さない。犯罪を犯した者には必ず厳しい鉄槌が下され、役所に突き出された。悪ガキやチンピラには恐れられたが、街の人々には感謝され、そして自身も街を自分たちの力で守っている誇りを持っていた。


 しかし、今はどうだ。これでは巡察隊の連中と大して変わらないではないか。ぼーっと鼻をほじりながら無気力に歩いている二人の男を見ながら、ジューゴは、舌打ちした。


 すると、後ろから足音が聞こえてきた。ジューゴが振り返るとランタンを持った何者かが走ってこちらに近づいてくる。


「構えろ。辻斬りかもしれん」


ジューゴは従者にそう指示し、剣を抜いた。鍛冶屋であるプライドを示すかのように自ら鍛え上げた見事な剣だ。


「おーい、君ら自警団?」


 聞き覚えのある声だった。


「おー、おっさん。ようやく会えた。探したぜー」


「お前は、巡察隊の……ムキムキ坊やじゃねえか」


「そのムキムキなんたらっつーのはやめてくれ! ルーニー・ネイピアだ。」


「ケッ、どっちだって大して変わらねえよ。役立たずの巡察隊が何の用だ? ムキムキ坊や」


「アンタ性格悪いな」


「お互い様だ。ムキムキ坊や」


「チェッ、用もなにもねえよ。こんな時間に酔っ払いもせずに街をほっつき歩いてるって言ったら夜警に決まってんだろ? 俺も手伝いに来たんだよ」


「お前に手伝ってもらうほど、自警団を落ちぶれちゃいねえぜ。帰れ」


「おっさん、よく見てみろよ。隊服着てねえだろ。今夜は一人のベルメルン市民として参加するんだ」


 ネイピアは真っ赤なできゅうくつな隊服ではなく、木綿のシャツとズボンといったラフな格好だった。


「うるっせえ。役立たずは役立たずだ。帰れ」


「無理しちゃって。昨日、火事が起きたばかりだ。猫の手も借りたいくらいの状態なはずだぜ。じゃなきゃ、自警団なんてとんだインチキ集団だ。街なんて守れねえ」


「何度も言わせるな。帰れ、ムキムキ坊や」


「いやだね」


「じゃ、勝手にしろ」


 ジューゴは剣を収め、踵をかえした。それから一言も発することなく三人の自警団は静まり返った街を歩き続けた。ネイピアは勝手にしんがりを務めていた。


 それにしても何もない。何もなさ過ぎる。たまに物音がしたかと思うと、猫がゴミを漁っているだけだ。酒場の明かりも消えている。繁華街に繰り出していた酔っ払いももう家で眠っているのだろう。


 ネイピアは十分も歩かないうちに飽きてしまった。当然、戦場でも歩哨に立った経験はある。しかし、全てが違っていた。集中力を呼び起こそうとしても無理だった。


 ──それは空気のせいだとネイピアは思った。 


ベルメルンの街には殺気がない。耳を澄ませば市民の寝息が聞こえてきそうなほど空気が穏やかなのだ。火事が起きて街中がピリピリしているという人間もいるが、戦場に比べれば圧倒的な平和がここにある。それをもたらしたのは自警団であることは疑いようがない。


 こんな地道なことをジューゴはほぼ毎日欠かさず二十年間続けているそうだ。ラブローの話によると、自警団が夜警を初めてから夜の犯罪が激減したらしい。


 しかし、それでも年間に何回かは凄惨な事件が起こる。残念なことに。


「もういいぞ。二人とも帰れ」


 久しぶりに口を開いたジューゴは二人と顔を合わせもせずにそう言った。歩き始めてすでに二時間。二人の男は無言でそそくさと帰っていった。


 ネイピアはそれを見送ると、ジューゴに声をかけた。


「団長、今夜は終わりかい?」


「まだいたのか役立たず」ジューゴはネイピアを睨んだ。「ここからは俺一人で回る」


「うへー、まだ歩くのかよ。おっさん、いつ寝るんだよ。ちゃんと眠らないと早死にするぜ」


「うるせえ。大きなお世話だ」


「まあ、そうなんだが。ひとつ頼みがあってね」


「断る」


「おいおい、何も言ってねえだろう」


「どうせ放火事件の手伝いをしろっていうんだろ」


「なぜ放火と決めつける?」


「フン、燃え方見りゃ分かるだろうが。油をまいて火をつけねえとあんな燃え方はしねえんだ」


「さすがだな、おっさん。話が早い。協力してくれ。ロマを探し出さなきゃならねえんだ」


「お前らは捜査をやってるフリしてろ。俺たち自警団が解決する」


「ロマの居場所を知ってるのか?」


「さあ、どうだかな」


「自警団が解決するって? 笑わせんなよ。やる気になってんのはアンタだけじぇねえか。 だれも自分たちの手で街を守ろうなんざ思っちゃいねえよ。第一、さっきの小僧二人も雇われだろ? 後ろから見てたけどよ、早く終わんねえかなって雰囲気丸出し過ぎて笑っちまったぜ」


 ネイピアの言葉に反応したジューゴはネイピアの顔面を殴った。


「痛えだろ!」


「うるせえ‼︎ 自警団を侮辱するな。お前らよりは何倍もマシだ!」


 ジューゴが詰め寄ってきた。その目は怒りに震えている。


「いや同じだよ。結局、自警団だって何も動いちゃいねえじゃねえか‼︎ 所詮は捜査の素人だ。本当は何も掴んじゃいねえくせによ」ネイピアは一歩も退かずに言い返した。


「分かってても動けねえんだよ‼ 今はな‼︎」


「ほお、やっぱロマの居場所は知ってるんだ」


「知らねえよ」


「いや、知ってるな」


「知らねえ。フン、知ってても教えるかよ」


「もう一度言う。協力してくれ、頼む。この街を守るために」


「うるせえ! お前ら、巡察隊は、いや巡察隊だけじゃねえ衛兵もそうだ。軍人ていう人種は人に物事を頼む基本すら知らねえみたいだな」


「どういうことだ?」


「持ちつ持たれつってやつだ。俺たち街の人間はそれでやってきてんだ。つまり、人に物を頼むなら、まずは土産を持って来なくちゃな」


「一緒に夜警まわったろ? 誠意は見せたぞ。それじゃダメか?」


「誠意だと? そんなもん押し売りされても困っちまうんだよ。クソの役にも立たねえ」


「じゃ、金か?」


「ふざけるな。俺が金になびくと思ってるのか?」


 ネイピアはジューゴを改めて下から上まで観察してみた。ボロボロの靴からは指がはみ出し、粗末なズボンはシミだらけだ。上着だけは革製でつくりの良さを感じるが、年季が入り過ぎていて継ぎ接ぎだらけだ。


「悪い、口が滑った」


「フン、はっきり言ってやろう。俺はお前をこれっぽっちも信用しちゃいねえんだ」


「じゃ、どうすればいい? 教えてくれ」


「あそこを見てみろ」


 ジューゴがあごをしゃくった先には街灯があった。もっとも灯はついていないが。


「え? なんだ? 街灯か?」


「この街には街灯が多いよな」


「消えてるけどな」


「そうだ。だが本当は隣同士四軒が金を出し合って、個人の責任で日没から明け方まで点灯させる義務がある」


「ああ、知ってるぜ」


「じゃ、なぜ点いていないかお前は知ってるのか?」


「油切れなんじゃねえか?」


「食っていくのがやっとの住民がどうやって街灯の世話をする? どうやって油を買うってんだ。てめえの生活でいっぱいいっぱいさ。土台無理な義務を押し付けられてる」


「確かに俺だったらそんな義務は知ったことか、ってなるわな」


「点いているのは半分もない。お前、これがどういうことかわかるか?」


「治安が良くなるわけがない」


「そうだ。暗闇は人を犯罪へと引き込む。闇夜に包まれる街はいつまでたっても安全にはならないんだ。そんなことを巡察隊の誰が問題だと考えているよ。俺は何度もかけあった。街灯の管理を役人にやってほしいと。税金で灯りを点けてくれと。高い税金払ってるんだ。それくらいやってくれても罰は当たらねえだろ? でもな、門前払いだよ。まともに取りあっちゃくれねえ」


「だろうな。役人にとっちゃ他人事だよ。面倒くせえやつが来たとしか思っちゃいねえだろうな。それに、役人は予算を切り詰めることが出世につながる。つまりお前らの要求を聞いても損するだけなんだよ」


 ジューゴは苦虫を噛み潰したような顔で語り始めた。


「……そこの角で去年、娼婦が無残な殺され方をした。1ブロック先じゃ、酔っ払いが斬られて財布を取られた。強盗が一家を皆殺しにしたことだってあった。みんな街灯が点いてない薄暗い場所だ。何が安全都市宣言だ。聞いて呆れるわ」


 安全都市宣言とは近年国王が、ベルメルンの街から犯罪をなくそうと、そういったスローガンを掲げて国内外にアピールをしていた。


 ネイピアもその言葉に違和感を感じていた。


「お前の力でこの状況をどうにかしてみろよ。それができたら喜んで協力してやるよ。ムキムキ坊やちゃんよ」


「……」ネイピアは言葉を失ってしまった。


「まあ、お前なんかじゃ、果てしなく無理だろうがな」


 ジューゴは投げやりにそう言うと踵を返し、暗闇に消えていった。


 ネイピアは何も言い返せなかった。威勢の良いことを発するのは簡単だが、そんな空っぽな言葉が通用するような相手ではなかった。それに、何の根拠も自信もなく約束はできない。ネイピアはそういった誠実な面を持ち合わせた男だった。人によっては不器用とも言うのかもしれないが。

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