開花その79 雲の中



 ポチとの遭遇により、第二キャンプへの移動作業はとても円滑に事が運んだ。


 移動中、私はずっとポチの背に揺られるだけで、楽をさせてもらった。ただ、うっかり居眠りして転げ落ちると命に関わるので、緊張感は持っていた。


 到着したのは険しい岩場の間にある狭い平坦な場所で、巨岩を背にして帆布で簡易テントを張った。


 ここが第二キャンプであり、最終キャンプになる予定の場所だ。



「ここからなら、明日にも山頂まで到達すると思われます。ただ、風向きによってはこの場所も雲の中に入り、冷たい雨が降ることもあるでしょう」


「冷たい雨だって? それはとても気持ちがよさそうじゃない」


「そんな甘いものではありません。強風に吹かれれば、凍えますよ」


「そんなに極端なの?」


 だって、ここ第二キャンプはまだ岩が焼けるように熱せられ、嫌になるほど暑いのだ。


 こんなに小さな島でも、山の天候は侮れないのか。どう見ても標高数百メートル程度の小山だぞ?


 それでも、少し緊張感が足りなかったのだろうかと反省する。一度山で命を落としているこの私が、山を舐めてはいけない。



「雲の下では、常に天候が荒れているようです」


「そうか、いよいよ頂上が近いんだね。気を抜かず慎重に行こう」


「はい。明日は私が偵察だけして来ますが、そこで何か気になる物を発見したら、改めて三人で向かいましょう」


「雲の中は危険そうだから、明日は二人で行って来てよ」


「まさか、そんな」


「大丈夫。ここなら天気も良さそうだし、水も食料もあるから。それに、ポチもいるので心配無用さ」


「そうですね。先生、私も一緒に行かせてください」


「しかし、また姫様を一人にすると、何か嫌な予感が……」


「きっと大丈夫ですよ。これ以上おかしなことが続けて起きるとは思えません」


 セルカが変なフラグを立てるが、無視だ。


「そうですか。では明日の朝、天候や風向きを見てから行動を決めましょう。雲が降りて来れば、ここでも天気が荒れそうですから」


「いざとなったら、ポチに乗って第一キャンプまで走って下りるよ」


「それならいっそ、第一キャンプで留守番をお願いすれば……」


「大丈夫だよ、せっかく登って来たんだし、ここで待ってる」


「では、明日の朝もう一度確認するということで」



 ということになったのだが、翌朝は雨であった。思ったほど風はないが、冷たい雨がしとしとと降っていて涼しい、というか寒い。どうしてこんなに寒いのか。天候がおかしい。


 久しぶりに長袖のシャツを着て、岩の間に張ったテントの中で縮こまっている。


 雨を嫌ったのか寒かったのか、朝起きたらポチの姿は消えていた。


 不寝番をしていたプリスカによると、雨雲から逃げるように山から下りて行ったということだ。


 ポチ不在の私は、再び単なるお荷物という立場に陥落した。


 最近、ちょっといい気になっていたのかも知れない。誰もいない島でも、きっとどこかで精霊は見ているのだな。


 私がフリスビードッグのようなトカゲにポチと名付けたのは、元日本人の感性では普通のことで、何の工夫もない。


 しかしポチの語源はフランス語のプチ(petit小さい)や英語のパッチ(patch斑点)など諸説あると記憶していて、私のポチは大きくて斑点もないぞ。


 さて、雨が止んだらポチはここに戻って来るかなぁ。



 夜は、プリセルの二人が交代で見張りをしている。基本的には島に来て以来、毎夜の習慣になっていた。


 入江の池を作って以降は安全性もある程度担保されたと判断し、不寝番を立てずに寝る夜もあったけど。


 そんなこんなで、探索に出たプリスカは、律義に毎日キャンプへ戻って来る。そして朝になったら決めようと言っていた話は、ポチ不在とこの天候により変更せざるを得ない。


「トカゲも逃げたこの状況で、姫様を一人にするわけにはまいりませんから」


 プリスカが強く言うので、仕方なく私はセルカと一緒に留守番をすることとなった。


 ヤシの葉を編んだ蓑のような手作りの雨具を身に着けて、プリスカは出て行った。ヤシの葉の蓑は、予備も含めて何着か運んで来た。


 嵩張るが、テントの雨除けにも使えるので何かと便利だ。


 天候は悪いが、雨水を溜めておけば水汲みに行く必要もないという利点もある。


 まぁ、プリスカは大丈夫だろう。心配なのは、姿を消したポチの方かな。

 こんな事、うっかり口に出せないけど。



「姫様、最近少し太ったのではありませんか?」

 セルカが突然、とんでもない一言を放った。


「まさかぁ。こんな過酷な無人島暮らしで、太るわけがないでしょ?」


「そうですか。しかし最近は槍の稽古にも飽きたようですし、トカゲと一緒に寝てばかりいるような……」


 確かにポチと出会ってから、槍スキルの成長が止まっている。そしてポチの頭や背に乗って移動するのを覚えたので、最近は歩かない。でも、まだほんの数日だよ。


「ほら、寝る子は育つというじゃない」


「怠けて太るのとは違います」


 幾らなんでも、無人島のサバイバル生活で太ってしまうのはマズイ。二度目の無人島暮らしで、過酷な環境に慣れてしまったのか?


 いや、そもそも過酷じゃないだと?


 何となく、以前にも似たようなことがあったような、無かったような……馬の背に乗っていた頃のドワーフ疑惑とか。


 でも、あの頃の事をセルカは知らないよなぁ……


 だがセルカが近寄り、いきなり私の二の腕を掴む。そして脇腹も。なんて素早いんだ。


「無人島生活で太る少女ですか。きっと神経がズ太いからですね。本当に、あり得ないんですけど。でも、もう少し鍛え直さねば先生にバレますよ」


「げっ」


 この冷たい雨の中一人で頑張っているプリスカにだけは、バレたくない。



「それとも、トカゲのように何日か食事をしなくても大丈夫ということですか?」

「いや、それは無理」


 そもそも、この雨の中で私にどうしろというのだ?


「草原で狩る獲物が多いので、少し食べ過ぎなのでは?」

「うん、確かに」


 そういえば、最近はプリセルの二人と同じように食べているな。以前は、子供の体ではそんなに食べられなかったのに。


「肉体がポチ化しつつあるみたい」

「どういう意味ですか?」


「さあ?」


 可愛い笑顔で答えたが、セルカは困惑するのみだ。


「天候が回復したら、槍の稽古を一生懸命にやりましょう」

「そうだね」


 嫌だけど、この流れでは拒否できない。



 私は五歳の時に変な女の記憶が目覚めたお陰で、本来の性格がねじ曲がってしまった。これがもう少し成長して自我が固まった後であったなら、生来の貴族であるアリソン色がもっと強く行動に出ていたのかもしれない。


 ただ不思議なのは、本来肉体を鍛えるのに何の躊躇もなかった前世の私が、なぜ今ではこうも肉体を鍛えることに消極的なのか。


 岩登りに明け暮れていた前世の私は、自分が思うほどストイックな性格ではなかったようだ。


 ただただ無邪気に楽しくて、熱中していただけなのかもしれない。



 いや、それは違うな。全ては魔法の修行という名の拷問を幼い私に与え続けた、フランシス師匠の悪影響というか、消えない心の傷なのだ。


 あれ以来、訓練とか鍛錬とか稽古とか修行とか聞くだけで、その場から逃げ出したくなる。


 とはいえ、今でも体内の魔力循環と集中瞑想だけは、毎日続けている。私の場合は体内の魔力循環に意識を集中する方法で、その二つを同時、または連続して行うようにしている。


 魔力循環が呼吸のように自然にできるようになって初めて、二つを完全に合体できるようになるのだろう。これが難しい。



 午後になって、風が強くなっている。時々、突風が強い雨音を運んで来た。幸い、第二キャンプは岩陰に隠れて風の影響が少ない。


 だけど、プリスカは大丈夫だろうか?


 こんな天候に遭遇するのは、この島に来て以来初めてである。


 そのうち周囲に稲光が走り、雷鳴が轟くようになった。


 私も何度か経験したが、山の雷は恐ろしい。稲妻が、下や横から走る。これから逃がれるには、その場から立ち去る以外に方法がない。


 あとは、天に祈るばかりだ。


 とはいえ、ここは周囲を高い岩に囲まれた窪地なので、立地的には安全性が高い。やはり問題は、プリスカだ。


 と思っていたら、帰って来た。


「一度、第一キャンプへ戻ろう」

 開口一番、そう言われた。


 それから雨の中慌てて撤収作業をして、その場を離れた。


 強風と横殴りの雨の中、濡れた岩場に足を取られながら山を下る。


 そもそも、サンダルのような履物しか持っていない。こんな冷たい雨の中を歩くような装備ではないのだ。



 だが、十分も歩かぬうちに、雲を抜けた。ついでに気も抜けた。風は止み、突然現れた青空と太陽に肌が焼かれる。


 冷え切った体が、一瞬にして沸騰した。

 勘弁してほしい。


 それから服装を整えて、第一キャンプを目指して歩いていた。しかし、のんびりしていると日が暮れる。


 だがそこに救世主が。

「ポチ!」


 迎えに来てくれたようだ。


 私はポチの背中に乗り、悠々と下山する。


 私というお荷物が消えれば、プリセル二人のペースも上がる。


 結局第二キャンプはすっかり撤収して、一夜を過ごしただけでまた第一キャンプの岩棚へ戻って来た。



「次は、私一人で行ってみます」

 プリスカの決意は固く、止めることはできそうにない。


 一日休んで、最低限の荷物だけを持って、プリスカは出かけた。


 第一キャンプにはポチが常駐するようになり、不寝番の必要もなく安全は確保されていた。


 だが結局、プリスカの単独行も、やはり同じような天候の悪化により失敗に終わる。

 それから三度の失敗を経験し、プリスカも作戦を変更せざるを得なかった。


「どうやら偶然ではなく、人が近付くと天候が荒れるのではないかと疑っています」


「あ、だからポチは逃げたんだ」


「そうだよね?」

 ポチはそうだ、と言うように大きな口を開いた。


「なるほど。あの雲の中は人だけでなく、生き物の接近を拒絶する領域なのか」



 それからは無理をしたプリスカの休養を兼ねて、数日を第一キャンプで過ごした。勿論その間も、私とセルカは連日厳しい武術の修行に明け暮れた。まさかダイエットのためとは言えないので、黙々とやりましたよ。


 でも、この状況はもうお手上げだよね。一度入江のベースキャンプへ戻るべきなのかもしれない。


 ポチも、入江に来るかな?


 それはちょっと、楽しみだ。



 終







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