開花その53 入学式



「姫様、早くしないと入学式に遅れます!」


 プリちゃんに急かされて、私は慌ててリッケン侯爵邸の広い玄関を出て、目前の馬車に向かう。


 可愛い学園の制服に身を包んでいるのだが、それで支度が遅くなった。


「こら、姫様じゃなくて、お嬢様とかアリス様だよ!」

 改めて、私はプリちゃんに苦言を呈した。


「あっ、いけない」


「先生、いい加減に慣れてくださいよ」


「セルカもプリちゃんの事は先生ではなく先輩とかプリムさん、とか呼びなさい」

 昨年秋から半年もかけてリッケン侯爵邸で侍女の修行をしていた二人なのだが、色々と怪しい。大丈夫か?


「では、お父様、お母様、行ってまいります」


「いや、今日は入学式なので、我らも同行するのだが……」


 いやいや、私も緊張しているのですよ。



 本日私は、王都にある王立学園へ入学することになった。今日は、その栄えある入学式である。


 そのための事前準備も、怠りない。いや、そうでもないか。


 私は、この世界の十歳相当に見えるように、概ね日本の中学生だった頃の自分をイメージして、黒目黒髪の日本人の容姿を選んだ。


 元のアリソン・ウッドゲートの容姿からこれだけかけ離れていれば、私の正体に気付く者はいないだろう。たぶん。



 昨年の秋、学園に潜入するため事前にリッケン侯爵と面会することになった。その時の私は、二十歳の姿であったが。


 偶然にもリッケン侯爵夫妻は二人とも黒髪で、遠縁の娘を養女に迎えたという筋書きにマッチするよう、私は黒目黒髪の少女に姿を変えた。


 王国には西欧風の顔立ちが多いが、他にも様々な民族が入り混じっている。


 こちらの世界では更に個性的な亜人種なども存在するため、人間同士で人種の違いに払う関心は薄い。


 谷の領地には少なかったが、王都には東洋人風の顔立ちや黒髪も、特段珍しくないのだった。


 都市部では特に混血が進んでいるので、様々な外見の人が暮らしている。

 十歳になったアリス・リッケンの黒目黒髪も、ここでは悪目立ちはしないようだった。



 王立学園とは、百五十年前の大陸統一後、次の時代を担う王国貴族の子弟教育のために設立された、国の教育機関だ。


 新学期の始まりは、やや遅い春で、これは北の雪深い土地からも安全に王都へ出られるようにとの配慮らしい。


 前年に十歳を迎えた子供が入学対象で、王都の学園で五年間学習する。学費は全部、王国持ちだ。


 後に裕福な商人の子弟や貴族籍を抜けた官僚など文官の子弟、それに教会が推薦する有望な平民や、各地に置かれた孤児院出身の優秀な子供など、身分にとらわれず学べる唯一無二の学問の場として、その存在を際立たせている。


 学習を終えた卒業者は皆優秀で、引く手数多で様々な仕事を得る。


 中には魔術士協会や魔道具協会へ勧誘されたり、学園に残り研究を続けたり、教師になったりする者もいる。


 しかし貴族の嫡男は国元へ帰り、やがて次代の領主となるのが勤めだ。


 学園は王宮に隣接し、生徒の多くは寮生活を送るが、王都に屋敷のある者はそこからの通学も可能だった。


 王族は他の有力貴族と同様に入寮はせず、王宮から学園へ通う。



 定員はおよそ各学年60名、全校300名程度。

 実際には各学年各50~60名、5学年で全校生徒は280名弱。


 各学年は3学級に別れる。

 一学級は15~20名。


 うち平民は3割近いが、元貴族の子弟を除くと2割程度らしい。


 学園の教育レベルは、相当に高い。



 と、ここまでの説明は、学園の入学案内にも記されているような常識の範囲。



 学園のレベルが高いのは、国の内外から優秀な人材を教師として招いているからで、正式な国交はないが、エルフやドワーフ、獣人の教師もいる。


 その関係で、少数だが亜人の生徒も存在していた。


 特にエルフやドワーフは長命な種族なので、見た目は子供でも優に二十歳を超えるような生徒もいる。

 ただし、長命種は精神的な成熟も遅く、違和感はない。


 学園内では貴族も平民も亜人も皆等しく一生徒として扱われ、行動する。という建前もある。


 逆に言えば、世の中にはそういう差別が大いにあるということだが……


 十一歳から十五歳という年齢で言えば、日本の小学校高学年から中学生までの五年間に相当するのだが、この世界では十五歳で成人することを考えると、中高一貫校程度の位置付けに近いのだろう。


 その分早熟で、年齢の割には大人びて、生意気な生徒が多いのは仕方がない。

 ただ、一部の生徒は精神の幼さも同居しているので、その差が際立つ。


 特に低学年の女子生徒は早熟で、同級生の男子生徒が幼く見える傾向にある。必然的に、先輩の男子に強く憧れる。


 そこで、高学年男子と年下の女生徒との婚約が成立する場合が多い。


 逆に言うと、高学年で相手の決まっていない生徒は、婚期を気にしない本物の実力者か、凡庸な売れ残りであると見られてしまう。



 これが、プリちゃんとセルカに聞いた学園裏情報と、私の学園における第一印象であった。


 ところで、田舎貴族の兄上も、無事に一人で入学式に出席している。その慄然としたお姿には非常に心打たれるものがあり、思わず涙がこぼれそうになる。


 私は心から、学園に潜入して良かった、と思う。ひょっとして、私はブラコンなのだろうか?



「新入生は入学式終了後、星片の儀を行います」


 やっと退屈な式典が終わったと思ったら、早速新入生に、いや私自身に、試練が訪れた。


 その場で突然、新入生全員の魔力測定が行われると発表されたのだ。


「そんな話、聞いてないよ!」

 ざわつく会場の中に登場する、あのトゲトゲの大きな水晶。


 しかも、学園にあるのは私が破壊したような安物ではなく、立派な飾りのついた台座に乗る、いかにも由緒のありそうな逸品だった。


 こんな高価そうなものを破壊したら大変なことになるし、その巨大さ故に爆散した場合の被害も、遥かに甚大となるだろう。


 下手すれば怪我では済まない、死人が出るぞ。


 私は入学早々、テロリストになりたくはない。改めて式場に残る、大勢の王族や貴族を見渡す。


 この面子で多数の死傷者が出たら、下手をすれば国が傾く。



 悪いことに、私の同級生には二年前に婚約させられそうになった第三王子がいて、王族や有力貴族、それに騎士団長や文官のトップやらが軒並み顔を並べているのだ。暇人どもめ、早く帰って仕事をしろ。


 予想もしていなかった私は、大いに焦った。


 今ここで、このアリス・リッケンが水晶砕きのアリソンであることを知るのは、私自身以外は式に出席している養父リッケン侯爵だけであろう。


 しかし侯爵はケーヒル伯爵の影響で私を大賢者様と呼ぶ残念な勘違い人間で、私が窮地に立っている事など気にも留めていないであろう。


 逆に、養子とはいえ自分の娘がとてつもない才能を見せ輝かしい栄光を手にすることを、期待している節がある。


 私は目立っちゃダメなんよ、わかってます?



 仕方がなく、私は儀式を中止させる手段を考える。


 例えば、学園の敷地内でドゥンクにひと騒ぎ起こしてもらう。

 そしてその騒ぎに乗じて、学園の誇る星片の水晶を遠隔から自分の収納に収めてしまおう。


 一瞬の隙に消える貴重な水晶。

 水晶が無ければ、魔力測定はできない。


 予備の水晶もあるだろうが、もう儀式どころではない騒ぎに発展して、今日はもう解散となる。たぶん。


 このくらいの筋書きは、仕方がないかなぁ。


 そのうちこっそりどこかに返しておけば、以後このような事の無きように、大勢の人の前にこの貴重な水晶を出すようなことはなかろう。


 これで完全犯罪の成立だ。

 本当に?



 いや、予備の水晶は沢山あるだろうし、いずれは魔力測定から逃げられない時が来る。


 だから、水晶に魔力を感知できなくなる方法を早急に考えねばならないのだ。


 例えばその日だけ変身魔法によりプリスカと入れ替わるとか……


 セルカは無駄に魔力が大きくて目立つだろうから、適任とは言えない。


 いや、そんな事を考えている場合ではない。今、この場を乗り切るプランを出さねばならないのだった。



 ……あ、閃いたぞ。


 もしかして、こっそり収納から取り出したスプ石を水晶に押し当てたら、そっちの魔力を誤認するのではなかろうか?


 スプ石とはスプリンクラー石、つまりドワーフの工房で火災の初期消火用に私が造った魔道具だ。


 拳大の石に魔力と水魔法の術式が組み込まれていて、火災に際してスプリンクラーのように四方八方へ水を撒き散らして自動的に初期消火する便利な魔道具だ。


 これを大量生産して、ドワーフの街へ置いて来た。


 これには魔力が込められているので、上手く使えば私の魔力と誤認させることができるかもしれない。


 一か八か、やってみる価値はある。



 ただ、私の知る限り、魔力を通さない絶縁体のようなものは、この世界に存在しない。


 だから、私の魔力がスプ石を通して水晶に流れ込むこともあり得る。

 それは最悪だぞ。


 結界や障壁も、魔力そのものを妨げない。

 発動した魔法を防ぐのみだ。


 魔力感知能力が魔法によるものであれば、結界はその魔法自体を妨害するだろう。


 しかし星片の水晶は魔力により光るだけで、その機能を結界が防げるとは思えない。


 唯一、生物の肉体は魔力を通さない。

 体内でいきなり魔法がバーンと発動しないのは誰でも知っている。


 生命オーラが、外部からの魔力障壁となっているのだろう。


 手を伸ばした一瞬に光魔法で周囲の目を眩ませ、その隙に魔法で浮かせたスプ石を水晶に接触させる、と。


 よし、これで行こう。


 いざとなれば、爆砕する前に水晶を収納へ入れて、かき消してしまえ。


 私は腹をくくり、星片の儀に臨んだ。


「念のため、ルアンナは水晶が飛び散らないように物理障壁を展開しておいてね」


「はーい、承りマシマシ~」

「……今日も元気だね」


「そりゃもう、王都中の精霊が姫様見たさに集まっておりますから!」

「そうなの?」


 王都中の重鎮と精霊が集まる中で失態を犯し、国の内乱を招くような事態は絶対に避けたいよぅ。



 で、一応思い通りに事は進んだのだけど、誤算が一つ。


 スプ石一個分、実は凄い魔力量でした。


 そりゃそうだ、私以外には簡単にチャージできないように造ったのだ……


 オマケに、派手な光エフェクトまで付けちゃったしね。


 まあ当然のことながら、大騒ぎになってしまった……

 義父のリッケン侯爵は、大いに喜んでくれたけど。


 でも、そんなにはしゃいで周囲に自慢したら、余計に目立っちゃうじゃないか。



 終



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