開花その7 王都 前編



 私が遥か高く宙を舞ったのは、偶然の出来事だったのか?


 それにしては、ルーナがあまりにも簡単に、地上へ戻してくれた。


 あの時私が真上に飛ばず、至近距離から発射された砲弾のように頭から宿の母屋などへ飛び込む可能性だって、十分に考えられた。


 それが結果的にああいうことで済んだのは、ルーナの干渉による救済だったのかもしれない。


 そう考えれば、この旅路の中で私の魔力暴走が悲惨な結果を招かずに済んでいるのは、ルーナの守護があってこそ、なのだろう。


 ただそれにしては、何かある度に、ルーナが喜び過ぎなのが気になる。



 自身が死亡した記憶を生々しく持つ私と違い、五歳児のアリソンには、死というものが、実感を伴って感じられてはいない。


 しかし自分の魔力暴走に多くの人を巻き添えにする恐怖は、あの星片の水晶が爆発して以降、心の傷として刻まれている。


 まだルーナと出会う前、あの水晶が砕けた時にほんの少しでも運が悪ければ、もっと悲惨な事故となっていただろう。


 あの程度の笑い話で済まされているのは、奇跡に近い幸運だった。


 王都へ向かう馬車に揺られる平和な日々の中でも、この異世界には常に死の香りが漂っていることを、私は忘れてはならない。



 淡々とした移動の中で、私たちにはもう一つの心配事があった。

 出発前に姉上が攫われた、あの一件である。


 その後旅の間中警戒は怠らず、警護の騎士たちも緊張感を保っている。だが、以後特に、怪しい気配は何もない。



 そうこうしているうちに、あっけなく王都へ到着してしまった。


 何かが起こるとすれば、これからが本番なのだろうか。


 主要な貴族は王都にも立派な屋敷を構えているが、当然うちにそんなものはない。それでも安全を第一として、王宮からほど近い、高価な宿へ逗留した。


 陰から支えてくれていた国王直轄の護衛たちも、気配を消している。


「皆の者、ここまでの長旅、大儀であった」

 父上と共に、私は谷から旅を共にした仲間をねぎらった。


 本当は土下座でもしたいところであるが、こんな私でも一応男爵令嬢なので、ぐっとこらえた。


「ミナサン、ホントニ、イロイロスミマセン……」

 私は心の中で、密かに合掌した。


 旅の途中で遭遇したトラブルの大半は私が原因で、あとは、これからもよろしく頼みます、としか言えない。



 王宮へ使いを出し、無事に王都へ到着したことを正式に報告すると、追って登城の日程が伝えられた。


 こういう場合には何日か待たされるのが普通のようだが、どういうわけか、すぐ明日登城せよと、異例の回答である。


 早く用事を済ませてさっさと帰るのが一番良いのであろうが、せっかくだから王都をじっくり見物して、家族へのお土産もあれこれ選びたい。


 珍しい食べ物も楽しみだし、本屋巡りは必須であろう。


 今は長旅の末、心身ともにヨレヨレボロボロの私たちである。この状態のまま明日謁見に臨むのは、どう考えても、ろくなことになりそうにない。


 別に私たちは、悪事を働いて呼び出されたわけではない。逆に手柄を立てて褒賞を頂戴するのだから、真っすぐ顔を上げて、堂々としていればいいのだ。


 だけど田舎者の悲しさで、華やかな都の雰囲気にすっかり呑まれて、委縮しているのだった。



 宿で荷解きをして、すぐに明日の登城の支度をせねばならない。

 宿屋の手を借りながら、足りないものを慌てて手配する。明日に間に合わせるためには、色々忙しい。


 宿屋が呼び寄せた商人から、私も王都で流行中の髪飾りを買ってもらい、機嫌がいい。こういうのはどこの世界でも何歳になっても、等しく喜ばしいのだ。


 そうして不安が少しずつ期待に代わり、慌ただしく翌朝を迎えた。

 謁見の時間は午後なので、まだ少し余裕がある。


 なんと、王宮からこの宿まで、迎えの馬車が来るという。


 軽い昼食をとり、髪をセットし、ひらひらのドレスを着せられた。


「まあ、姫様お美しい!」

 ミラが大袈裟に褒めるので、お世辞と分かっていても嬉しい。やはり、「可愛い」と「美しい」の間には、大きな溝がある。普段は、可愛いオンリーだからね。


 まあ、美しいのは主にドレスや髪飾りのことだろうけど。


 私は美の化身のような姉上と共に育ったおかげで、自分の見た目に期待しない子供に育っている。それは、山ばかり登っていたもう一人の自分も同様で、単にそういうことに興味が薄いだけで、劣等感を持っているのとは少し違う。



 予定通りに立派な馬車へ乗りこみ、王宮へ向かう。

 フランシスも谷ではいち早く魔物退治に加わり、後に館へ戻り私たち男爵家の子女を無事に避難させた功績が認められて、王宮への同行を許されていた。


 馬車を囲む空気はなんだかぴりぴりしていて、触ると弾けそうなほどだ。


「ねえ、もしかして、精霊が集まってる?」

 ルーナに聞けば、すぐに、「そうですね」と当然のように答える。


「私は見世物じゃねーぞ、と言ってやって!」

「そんなことして刺激したら、もっと来ますよ」


「げっ、精霊ってみんなバカなの?」


「好奇心が強いのは、もうご存じだと思いますけど……」

 バカなのは私だった。あのセアブラの教会で、ひどい目に会ったのだ。


「王宮には、もっと集まっていると思いますよ」

「はぁ……」



 妙な魔力に包まれた馬車は広い通りを進み、あっさりと王宮の門をくぐって、広大な敷地内へ入った。


 王宮内にも、なんだか魔法的な緊張感が満ちている。


 これは、かなりの規模の強力な結界が張られているせいもあるのだろう。

 だが、精霊たちはそんなことはお構いなしに、次々と結界の内部へ集まっているようだ。



「父上、おトイレ……」

 馬車を降りてから、私は緊張して、もじもじしている。


「控室までは、我慢しなさい」

「はい」

 だが、その控室へ至る道のりも、遥かに長い旅路だった。


「ああ、何とか間に合った……」

 むせ返るようなバラの香りのお手洗いから出た私は、既に何もかも終わったような達成感に包まれている。


 だが、本番はこれからだ。


「ねえルーナ。これから王様と会う場所もわかるんでしょ。緊張しないように、教えてよ」


「そうですね。もう軽く百人くらいの人が集まっていますよ」

「ゲッ、そんなに?」


「謁見の間は赤い絨毯が敷き詰められた広い部屋です。そうですね、谷の館の中庭六つ分以上、といったところでしょうか」


 それじゃぁ、部屋の中でサッカーの試合ができてしまう。……でかすぎだろ?


「両側に近衛と主だった貴族が並び、一番奥の黄金の玉座の周囲を侍従と重臣が囲んでいます」


「そこの真ん中を歩いていくのか……」


「中央にひときわ毛足の長いふかふかのカーペットが一直線に延びていて、そこを全員の注目を浴びながら歩くのです。きっと気持ちがよいですよぉ」


「いやだよ。帰りたい!」


 旅に出てから何度言ったか分からぬフレーズを頭の中でルーナに笑われながら、私は緊張に身を固くしていた。



 いよいよ両開きの重い扉を二人の騎士が開くと、私たちは謁見の間へ足を踏み入れた。


「えっ?」


 確かに、床には一面に赤いカーペットが敷き詰められていた。


 だが、狭い。

 だいたい、小学校のプールほどしかない。


 すぐそこに、玉座が見えている。華麗な設えだが、金ぴかというほどでもなく上品な色合いだ。


 玉座の周囲には、数人の近衛兵と家臣が控えているだけだ。


 きっとここは、数ある謁見の間のうち、一番小さな部屋なのだろう。


 辺境の田舎男爵と会うのに、そんな大きな部屋が必要なわけがなかった。


 まんまとルーナに担がれたのだった。



 一連の儀式的な挨拶を終えると、国王陛下が御自ら口を開く。


「伝説と言われた古代魔獣ウーリの討伐、見事であった。ここに褒賞を取らせ、ウッドゲート男爵を子爵へ陞爵し、隣接する直轄領より、新たな領地を加える」


 事前に聞いていたのだが、王様自らの言葉に感極まる父上であった。


「次にウッドゲート男爵の次女アリソンと、我が第三皇子クラウドとの婚約を結ぶ」


 ???何かとんでもないことが聞こえたような……



「そ、それはまことでございましょうか?」


 動揺した父上が、つい口走ってしまう。これは、聞いていなかったようだ。


 そこまでのやり取りを聞いて、私にも合点がいった。

 私が王位継承権のある第三皇子の妃となるには、男爵の次女では位がだいぶ足りない。


 とりあえずは、ウッドゲート男爵を魔獣ウーリ討伐の功績により子爵へ陞爵させ、いずれ婚姻の儀までには更に上位の爵位を与えるつもりであるのだろう。


 父上、大出世だぜ!



 それにしても、とんでもないことだ。


 姉上が攫われた原因は、このことを知った何者かの仕業であろうか?


 悩む私に国王は玉座から立ち上がって近寄り、独り言のように呟いた。


「チチャ川の橋は、見事であった。褒賞として、そなたにはこれを遣わそう」

 国王は自ら手に持った小さな革袋を私に差し出す。


 こ、これは、受け取らないわけにはいかない。


 なんだか知らぬが、軽く柔らかな巾着袋で、少し安心した。


 金貨がぎっしり詰まっているような重みがあれば、ギャッと叫んで取り落としていたかもしれない。


 考えてみれば、この旅の護衛には男爵領の騎士だけでなく、王都の警護部隊だか諜報機関だかが、秘密裏に絡んでいたのだった。縁談絡みで王様が私の素行を熟知していても、何の不思議もない。



 それにしても、第三皇子らしき年齢の若い男子は、この部屋にはいない。


 本人のいない中での一方的な婚約とか、馬鹿げている。ま、まさか、この中にいる、いい歳をしたおっさんの一人なのか?


 貴族の娘ならそれくらい知っていて当然なのだろうが、田舎娘の私には、その噂すら耳にしたことのない御方である。


 それでも王自らのお言葉なので、普通は嫌が応もない話である。



 だがそもそも普通でない私が、こんな話を受けるわけがない。密かにルーナへ伝える。


「この縁談は断るからさ、あとはお願いね。ルーナが何とかして!」

「承知!」

 元気な答えが、すぐに頭の中に響いて安心した。楽しそうで何よりだよ。



「せっかくのお話ですが、この縁談は、お断りさせていただきます」

 私は不敬にも、自分の口で縁談を断る。



「な、なにゆえに?」


 意表を突かれた王様は、目を見開いて私を見下ろす。こんな無礼な経験は、初めてに違いない。


 それを聞いた父上の顔は蒼白となり、手足が細かく震え始めた。


「私はまだ何者でもない、五歳の田舎娘です。お目にかかったことすらない高貴な身分のお方の元へ嫁ぐなど畏れ多く、この場でお受けできるような話ではございません。今の私は不器用な魔術修業に励む、ただの役立たず。今はこの身を魔術に捧げるべく、世界を旅して歩きとう存じます」


「……アリソン、そなたの気持ちはわかるが、それは叶わぬ夢じゃ」


 王は憐れむように、優しい目で私を見つめた。



「何を言う。我が叶えてやると言っておるのだ!」


 ルーナの言葉が私の頭に響いた瞬間、私以外のすべてが、凍り付いたように動きを止めた。



 後編へ続く



  

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