開花その4 旅路にて 前編



 馬車の旅は、決して楽ではない。

 サスペンションのない木の車輪で穴だらけの道を一日中ゴロゴロと移動しているのだから、馬車はずっと不規則に揺れまくり、非常に疲れるのだった。


 これは、想像以上の苦役である。


 おまけに暇なフランシスが馬車の中でまで魔術修業を強要するので、集中力を保つのには非常な努力が必要だった。


「姫様、これはいい訓練になりますね」

 などとフランシスは寝ぼけたことを言っているので、失敗したふりをして至近距離から顔面に高圧水を見舞ってやった。


「あ、これはこれで、涼しくていいですねぇ」

 手で水をぬぐい、平気な顔をしている。元ヤンは、本当に打たれ強い。次は、最近練習を始めた土魔法で、額に穴を開けてやろうか。


 私の世話をしてくれる侍女のミラは、師匠の傍若無人な行動に怯え、おろおろするばかりだ。

 早く慣れようね。これは、そういう変な生き物なのだから。


 父上は車内から逃げ出して、埃っぽい御者席の隣でぼんやり景色を眺めている。

 落ち着かずに気の毒なのは、交代で御者を務める騎士だろう。


 確かに、馬車の中は少々暑い。


 木陰になる林の中はまだ良いが、日陰のない畑の中を走る時にはかなり辛い。


 しかも、街道の要所には多少の街路樹が植えられているものの、道中はほぼ何もない畑の中の一本道である。


 これがひと月続くと思うと、気が滅入る。



 一応、毎日街道沿いの町で宿に泊まりながらの移動となる。


 宿場町というのだろうか。一定の距離を置いて、道の両側に、そこだけ家が密集して並んでいるだけの集落がある。


 宿では連日、固いパンと、筋っぽい肉と野菜のスープ、といった代わり映えのしない食事をとり、甘味の薄い果実や菓子を有難がって食べ、硬いベッドで眠る。

 思い描いていた楽しい旅行とは、相当違う。


 何冊か持参した書物も繰り返し読み飽きて、たまに寄る多少大きな町で古い本を売り新たな書物を買い、何とか頭脳の飢餓をしのいでいた。


 魔物や野盗の襲撃もなく、順調に旅は続く。



 実は、旅に出る前に、密かに左腕に隠し着けていた二個目の魔力封じの腕輪を外していた。


 それは、予備としてフランシスが持参している。

 二刀流などと自己満足していたのだが、私の場合は一つでも二つでも、効果はさほど変わらないことが判明した。


 それが腕輪自体の性能の限界値、ということらしい。


 私が今身に着けている腕輪は子供用の汎用品と違い、魔術師を拘束する目的で造られた、本格的な逸品である。


 本来は、悪事を働く魔術師を一時的に封じる場合などに使われる。より本格的な物は、鍵付きで首に嵌めるのだと聞いた。


 だが知る人が見れば、私は手錠を掛けられ連行される凶悪犯に見えなくもないらしい。


 それを知るフランシスは、目立たぬよう腕輪に可愛い布を巻いて、上手くカモフラージュしてくれた。


 この腕輪で抑えきれぬ分は、きっとルーナが何とかしてくれるのだろう。



 谷から南下して、大陸を東西に横切る大きな街道沿いの町へ出れば、そこから先は駅馬車の走る多少は快適な道になる。


 我々はそこから東進して、王都を目指す。


 王都までの行程が順調に半分ほど進んだ所で、途中の大きな街で一日休むことになった。


 セアブラという、異世界人には妙な響きに聞こえるこの街は、大河の畔にある交易の要衝で、渡し船で渡った向こう岸にあるのが、マシマシという街だ。


 川を挟んでセアブラマシマシ、川の名はチャッチャ川で、背脂チャッチャとなる。完璧だ……ラーメン食いたい!



 スミマセン。暇なので、つまらぬ嘘をつきました。


 残念ながら、対岸の街の名はマツマツ。川の名はチチャ川。あとは全部私の妄想です。


 当面天候は安定しているので、川の手前セアブラの街で補給と休養になる。


 対岸のマツマツよりも、こちら側は多少物価が安いという、切実な理由がある。


 世間体を気にするお貴族様は、好んで高級宿が並ぶマツマツ側に宿泊するようだが、うちの場合は、貴族のメンツとか言っている余裕はないのだ。



 五歳のアリソンは生まれて以来ほとんど谷の周辺から出たことがないので、こんなに大きな街を見るのは初めてだ。


 一方転生者の私は東京という巨大都市で生まれ育っているが、中世ヨーロッパの香りのする街並みの美しさに見とれている。


 どちらの私も同じアリソンで、どちらのアリソンも私であるのが不思議だが、どちらも同じくこの街に心を躍らせている。不思議な感覚だ。



 夕方に宿へ入ると、水の豊富な街なので、すぐに体を洗い、服を着替えてさっぱりとした。とても嬉しい。


 今までの宿とは比較にならない清潔で豪奢な内装の部屋で休み、夕食には美味しい川魚料理をいただく。たまにはこんな日がないと、旅に出た甲斐がない。


 セアブラは町を守る外壁もなく、男爵領のような魔法結界もない街なのだが、この辺りには魔物の気配が少ない。


 念のためルーナが町の精霊たちに声をかけ、私の警護に協力を仰いだ。


 男爵一行を狙いそうな不審者は発見されなかったが、その日は宿屋から一歩も出ずに疲れを癒した。



 翌日は、街を探索することができた。


 今まで見かけたこともないお菓子や果実が並ぶ露店を巡るのは楽しく、五歳児の胃袋の小ささに悔しい思いをしながら歩いたが、日持ちのするものは、フランシスが取り置いてくれたので、後の楽しみにしておこう。


 私は小さな体で何冊かの本を鞄に入れて、大事に抱えていた。やがて目的の大きな書店を見つけると、歓喜に震える。


 さすがに半月近く移動してきただけに、置かれている書物の種類や内容も、微妙に違っている。


 抱えている読み終えた小説や役に立たない魔術書を売り払い、この地方に関する自然や歴史の本を購入した。これは王都でもっといい本を見つけるまでは、手放すつもりはない。


 ただ、私のような幼女があれこれ小難しそうな本を選ぶ姿が珍しいのか、変に人目を引いてしまうのが、難点であった。


 次は、もう少し小さな店に入ろう。



 続いて我々は、川の船着き場を見に行った。


 こちら側の船着き場は、川の水運用の港と対岸への渡し船の乗り場とが一つになって岸辺の繁華街に接していて、高い堤防に沿って川を望む、二階建て三階建ての料理屋が軒を並べでいた。


 川を渡るのは、何台もの馬車がその上に乗る、巨大な曳舟だった。


 対岸に向けて上流から下流へと、斜めに太いロープが何本も渡されている。

 それに沿い、巨大な筏のような台船が、ゆっくりと川を渡される。


 対岸では家畜が巻き上げ機を回して、台船を上流側へ戻す作業が行われていた。


 上流へ運ばれた台船は再び斜めにセアブラへ渡り、くの字を描くようにしてマツマツへ戻る。


 対岸の街はさすがに大きく、渡し船の乗船場と降船場が離れていて、その間の全部が、広く川の港になっていた。



 セアブラで中一日の休養を取った我々は、翌朝にはもう宿を出る。


 既に台船の船着き場には、長い行列ができていた。

 大金を払えば事前予約で待たずに乗れるらしいが、私たちは諸般の事情により黙って列に並んでいた。


 私は対岸のマツマツの街にも大いに興味があり、馬車の窓から顔を出し、ずっと前方を眺めていた。


 堤防の向こうに昨日見た対岸のなだらかな丘の一部が覗き見え、街の建物が並ぶ。こちら側よりも、街の広がりが遥かに大きいことがわかる。


 船着き場に近い前方が騒がしくなると共に、順調に進んでいた行列が止まった。



「魔物が出ましたね」

 ルーナが頭の中で呟いた。


「どこ?」

 私には、魔物の気配は感知できなかった。


「川の中なので、うっかりしていました」


「あ、川にも魔物がいるんだ……」


「そう。下流側にあんなのがいたら大騒ぎでしょうから、たぶん上流から流れて来たと思います。これでしばらく足止めかも……」


 さすがに馬車の窓からいくら首を伸ばしても、堤防が邪魔で魔物の姿は見えない。

 私は馬車の中で座り直し、改めて集中して魔力を使い、魔物の気配を探ってみた。


 確かに、魔物が川にいる。

 三体か、四体。しかもかなり大きい。


 地上と違い、水中の魔物を討伐するのは難しい。



 確かに、これは難題だ。



 後編に続く


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