名無しさんの書き込み
早河縁
第1話
よくある話だ。けれど、つまらない話ではない。
これは、私が子供のころに体験した、恐ろしい体験談だ。
この掲示板に書き込むことで、二度と同じ過ちを他の人が繰り返さないことを願う。
〇
その年の夏も、僕は例年通り田舎の父方の祖父母の家に両親とともに帰省していた。
お盆とお正月の年二回、私たち家族は山の中にある小さな集落に集まることになっている。父の実家、つまり母にとっては義理の実家と言うことになるので、あまり祖母と仲の良くなかった母はいつも気が重そうにしていたのをよく覚えている。
僕は当時、まだ小学二年生と幼かったため、子供ながらのコミュニケーション能力で田舎の子供たちと仲良くやっていた。同い年の女の子のまなみ、一つ年上の気が弱い男の子のしょうた、二つ年上のガキ大将の男の子のじゅんと一緒になってよく遊んでいた。子供の少ない集落だから、子供同士というだけで仲良くなれるものだ。
田舎に一晩泊まった翌日。その日も、僕たちは探検ごっこに興じていた。
「なあ、りょうすけ、知ってるか? いや、知らないだろうな。お前東京の人間だからな。この村には、入っちゃいけないところがあるんだよ」
山道を歩いている時、じゅんが言った。
「入っちゃいけないところ?」
「そうだ。この道登ったとこにあるんだ。行くか?」
僕は戸惑った。僕の両親は厳しい人たちだったから、大人の言うことは絶対で、大人が〝だめ〟と言っているなら、それは〝絶対に守らなくてはならない言いつけ〟なのだと考えていたからだ。
しかし、少し口ごもった僕を見て、じゅんはにやにやと笑い、
「なんだよ、怖いのか? 弱虫だな、お前」
と煽るような口調で言ってきたのだった。当時から僕は特に負けず嫌いだとか、煽り耐性がないとか、そういうわけではなかったけれど、その時はなぜか、じゅんの言葉にかちんときたのを覚えている。
「じゃあ行こう。どうせ、おばけがいるとか、そういう話なんでしょ。大丈夫、僕そういうの信じてないから」
我ながら、小学二年生にしては可愛くないなと思う返しだった。僕が答えるとじゅんは少し面白くなさそうにして、
「お前ひとりで入れよ」
と追い打ちをかけるように言ってきた。僕が特に怖がっていないことに腹を立てたのだろう。
「いいよ」
強がりでもなんでもなく、おばけだとか妖怪だとか、そういう抽象的なものを怖いと本気で思ったことがなかった僕は、じゅんの危険な提案に二つ返事で答えた。
「や、やめた方がいいよ。お母さんたちに怒られちゃうし、危ないよ」
しょうたは臆病な性格なので、僕、というよりも、じゅんを諭すように間に入ってきたが、じゅんがそんなことを聞くわけもなく、むしろしょうたが怖がっているようだと思ったのか、機嫌がよさそうにしていた。
「いいんだよ! ばれなきゃ怒られないし!」
そう言って、じゅんは山道をずんずん進んで、僕たちにも早く来るように声をかけた。まなみはなんでも他人に合わせる性格なので、黙って僕たちに着いてきた。しょうただけが、乗り気ではなかった。
どんなところなのかも知らずに「ひとりで入る」などと言ってしまったことを、のちに僕は酷く後悔する事になる。
〇
しばらくそのまま道なりに山を登って行くと、拓けた空間に古びた一軒家が建っているのが見えた。山の中のはずなのに、その一帯だけ、地面に草が生えておらず、周りの木々も枯れているのがなんだか不気味だった。
「ここだよ」
じゅんがどこか得意げに言った。
「ふうん」
ただの古い家じゃないか。そう思った僕は、とりあえず家の前まで歩いて行った。僕ひとりで入ることになっているのに、なぜかまなみは僕の後ろにぴったりくっついてきていた。
「なんでまなみも来るの?」
僕が訊ねるとまなみは表情ひとつ動かさずに、
「だって、ひとりだけ怒られるの可哀想でしょ」
と言ってのけた。まあ、入ることを禁じられた場所に僕を案内したというだけで、少なくともじゅんが怒られるだろうことは確定事項なのだが、まなみは僕ひとりだけが怒られないようにと気を遣ってくれているらしかった。
「まなみ! お前なにしてんだよ! りょうすけひとりで行かせろよ!」
じゅんはそれが気に食わないみたいだったが、まなみはそれを無視して、僕に、
「行こう」
と言った。僕は頷いて、まなみと肩を並べて玄関の扉を開けた。
ガラスの嵌められた金属の重たい扉には鍵がかかっていなかったが、錆びているのか、少しだけ開けづらいように感じた。
家の中は埃っぽく、窓という窓がベニヤ板で塞がれているため、隙間から射し込む少しの明かりを頼りに進むしかなかった。さすがに靴を脱いで歩くのは気が引けて、僕たちは靴を履いたまま「お邪魔します」と一言、誰に向かってでもなく伝えて、家の中に上がり込んだ。
歩を進めるたびに床板がぎしぎしと軋む音がした。特に怖いという感情はここに来ても沸いてこなかったが、着いてきたは良いものの、まなみは少し怯えているらしく、僕の服の裾を掴んできた。
入ってみたのはいいけれど、一見、暗いこと以外は普通の廃屋なので、なにをしていいかわからなかった。
「どうしようね。とりあえず、部屋をまわったら帰る?」
「うん」
そんなに広い家でもないので、すぐに見終わってしまうことだろう。一階では居間や台所を見て、もう一つ廊下の階段の脇に襖があったので入ろうとしたが、扉が固くて開かなかったので断念し、すぐに二階に向かった。二階には洋風の扉が二つあったので、まずは手前の扉から開けることにした。
部屋の中にはベッドとタンス、机が置いてあるだけで、すごく簡素な印象を抱いた。
「なにもないね」
つまらない。入ってはいけない、なんて言うから、何かあるのかと思ったのに。
その部屋の扉を閉めて、奥の扉の前に行く。すると、突然まなみが僕の服の裾を引っ張って、
「ねえ、やっぱりんもう帰ろう。全部見たって言えばいいよ」
と、引き返すことを提案してきた。
「どうしたの? 大丈夫、どうせ何もないよ」
僕はまなみが怖がっていることに気が付いていたが、ここまで来ると、むしろ「おばけくらい出てくれ」というような考えにさえなっていて、なんというか、こんなに面倒なことをしているのに、がっかりしたくない、と思っていたのだ。
なんの躊躇もなく扉を開けると、その部屋にはなにもなかった。
ただ一つ。中央に置いてある姿見を除いては。
「ふうん……」
姿見には黒色の布がかかっていたので、僕は近づいてその布を下から思いきりめくった。なんてことない、普通の鏡だった。まじまじと見ていると、あることに気が付いた。
「……あれ? まなみ?」
まなみがいない。入り口の真正面にある鏡を覗きこんでいるのに、まなみの姿が映っていない。後ろを振り返ると、やはり姿はない。この一瞬でどこに行ってしまったのだろうか。不思議に思いながら、僕は隣の部屋を見て、それから一階に下りた。
階段を下りて廊下の床を踏みしめた時、違和感があった。襖が開いていたのだ。
部屋の中は一切の明かりが漏れておらず真っ暗なのであまり見えないが、玄関の磨りガラスから射し込む光で、薄っすらと中の様子が伺えた。
「まなみ……?」
中に人影が見える。たぶん、まなみだ。僕を怖がらせたいじゅんと、怖がりのしょうたが中に入ってくるわけがない。
ただならぬ雰囲気を感じた僕は、恐る恐るまなみと思しき人影に近づく。まなみはこちらに背を向けて座り込んでいる。肩を叩いても反応はない。まなみの顔を横から覗き込むと、まなみは、一心不乱になにかを口に頬張っていた。
それは、髪の毛だった。
よく目を凝らして見ると、畳には黒い髪の毛が大量に散らばっており、まなみはそれらをかき集めて口に放り続けていたのだ。
「なにしてるんだよ、まなみ!」
身体を揺らしてもまなみは髪の毛を食べることをやめてくれず、焦った僕は、咄嗟にまなみの口に入っている髪の毛を掴んで外に引っ張り出した。
するとまなみは髪の毛を口に運ぶ手を止めて、僕の方を見ると、にたりと笑った。
にやにやと笑っているのが不気味だったが、とにかくここから出なければいけないと思い、僕はまなみの手を引いて玄関から飛び出した。
まなみは抵抗するでもなく、僕に引っ張られるまま歩いた。少し離れたところに立っていたじゅんとしょうたも、まなみの様子に気が付くと焦り始めて、慌てていた。
「山を下りよう!」
僕が言うと、じゅんはすぐに走って行ってしまった。
「俺が先に下りて大人を呼んでくる! 急いで下りて来い!」
普段は偉そうにしているガキ大将のような存在だが、この時ばかりは頼りになると
思ったことを覚えている。しょうたはまなみを見て怖くなってしまったのか泣いていて、僕たちの後ろをもつれる足で追いかけてきた。
山を下っている最中も、まなみはずっとにやにやと笑っていて、口を閉じていないから、よだれを垂らしていた。
〇
山の真ん中をこえたあたりで、大人が僕たちを探す声が聴こえてきた。じゅんは足が速いから、すぐに山を下りられたんだ。すぐに数人の大人たちの姿が見えて、僕は安心してそこで泣いてしまった。
「まなみが……まなみが……」
探しに来た大人の中には僕の父の姿もあり、父は僕を見るとすぐに僕を抱きしめた。
「お前が無事でよかった」
父は僕を、他の大人はまなみとしょうたをおぶって、僕たちは大人たちの背中に揺られて山を下った。
山を出ると、そのまままっすぐ村に一つだけある神社に連れて行かれた。もう誰かが連絡していたのだろう。広い板間に座布団が三つ敷かれていて、神主さんが慌ただしく何かを準備していた。
そこには既にじゅんがいて、僕とじゅんとしょうたは座布団に座るように言われた。
まなみだけは、別の部屋に連れて行かれた。
神主さんに少しだけ待っているように言われたので、僕たちは座布団に座ったまま、大人たちに囲まれて、沈黙の中ずっと正座で待っていた。三十分くらい経ったところで、神主さんは戻ってきた。
「あの、まなみは……!」
僕が訊ねると、神主さんはため息を吐いて、
「鏡に映ったんだろう。もうだめだ」
と言った。
鏡? 鏡なら、僕だって見たし、姿だって映った。
「〝あれ〟はな、最初に鏡に映った人間に取り憑くんだ。特に女の子じゃあ、もう〝あれ〟は出て行かんよ」
そう言って神主さんは、僕たちにお神酒を渡してきて、飲むように言った。それから先は、お祓いのようなことをしたのだと思うが、まなみが「もうだめだ」と言われたことがショックで、あまり覚えていない。
僕が最初に鏡に映っていれば、まなみはあんなことにならなかったのだろうか。そもそも、僕が「行く」などと言わなければ、まなみも着いてこなかった。
僕のせいだ。
神社から帰るころには日が暮れ始めていて、外にはまなみの両親がいた。両親は泣いていた。母親は僕たち三人を見ると飛びかかろうとしてきたが、まなみの父親と僕の父に止められて、その場に膝から崩れ落ちてまた泣いた。
酷く申し訳ない気持ちになり、小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
じゅんは迎えに来ていた父親に頭を叩かれて怒鳴られていた。しょうたは母親と一緒に泣いていた。僕は、父に手を引かれるまま、黙って祖父母の家に帰った。
道中、父は話してくれた。
「りょうすけ、お前が見た鏡はな、昔、この村に住んでいた女の人の持ち物なんだ。その女の人は不思議な力を持っていて、村の人から怖がられて、嫌われて、いじめられてた。それで、心を病んで死んでしまった」
「……うん」
父は続ける。
「その人が生きている間持っていた不思議な力は、死んでしまってからも残っていたんだ。鏡の中に。家を片付けるのに入った人、その人を迎えに行くのに入った人、鏡を封じるのに入った人、みんな狂って死んでしまった。それから、あそこは〝入ってはいけないところ〟になった」
父曰く、その話は今からそう遠い出来事でもないらしく、対処法もよくわかっていないから、鏡に布をかけるだけの粗末な対処でやり過ごしているらしかった。
「ねえ、神主さんはどうして、〝女の子はだめ〟って言い方したの?」
父は少し戸惑っていたが、何かを決意したようにして、
「お前には少し難しいかもしれないけど、なんて言えばいいのかな……その女の人は、村の人たちにいじめられる中で、子供を産めないようにされちゃったんだよ。だから、男の人に取り憑いた時は少し狂った後に死んでしまうけど、女の人に取り憑いた時は嬉しいのか何なのか、狂ったようになったまま、身体が弱って死んでしまうまで、ずっと取り憑いてしまうんだよ」
子供が産めないようにされた。その言葉の意味がよくわからなかったが、大人になった今ならわかる。きっと女の人は、村の人たちに……
女の人がとても可哀想に思った僕は、女の人の心がどうか、いつか救われるようにと願った。
まなみのことは、残念だけど諦めなさいと父は言った。
まなみはこれから、神社の一室に閉じ込められて弱って死んでしまうまで暮らすのだという。
「もしもまなみが大人だったら、子供を産ませてあげれば、助かったかもしれないんだけどなあ」
まなみが女の子だから。まなみが子供だから。条件が悪かったのだと、父は言った。
悔しくて悲しかったが、父は、
「自分が生きていてよかったと思うようにしなさい」
と言った。僕は男の子だから、狂ってすぐに死んじゃっていたかもしれない。そう考えるとぞっとした。
つくづく冷たい人間だと思う。父の言葉を聞いて、僕じゃなくてよかった、と、安心してしまった。
まなみには、本当に申し訳なかったと思う。
〇
これが、僕の幼いころの体験談だ。
よくあるネットの都市伝説、とでも思ってくれたらいい。
けれど、今書いたことは全部本当のことで、全部この日本のどこかで起こり得る話だよ。
詳しい場所は言えないけれど、中部地方、とだけ言っておこうかな。
もしこういう噂を聞いたら、近寄らないように。
狂って死にたくないのなら。
それじゃあ、僕は落ちます。
またどこかで。
名無しさんの書き込み 早河縁 @amami_ch
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