2022年

ゆりいろ苦恋メッセージ

 わたしには好きなひとがいる。


「せーんぱい!」

 その好きなひとに、わたしは後ろから抱きついた。

 ――女の子の柔らかい匂い、絹糸のような黒髪がわたしの顔にかかってこそばゆい。

 彼女は振り返って、その綺麗な顔をわたしに向け。

「なに?」

 凛とした声で言った。

 せんぱい、今日も素敵。つい見惚れそうになってしまう。

「その……一緒に帰りませんか?」

 鼓動を抑えながらかろうじて絞り出したわたしの言葉に、しかし彼女は目を伏せて。

「ごめんね。今日は予定があるから」

 屹然きつぜんと口にした。


 わたしの好きなひとには、別の好きなひとがいる。


 ――わたしの好きな彼女が、男と手をつないでいる。

 なよなよした気弱そうな男。彼女も頬を染めて、いかにも初心なカップルに見える。

 幸せそうな二人。その姿をこっそり見て、わたしは少しうつむいた。


 わたしの恋は、叶わない。


 彼女は幸せそうに、あの男と一緒に笑っている。

 ……何か月も前、わたしがせんぱいと初めて会った日の放課後。

 その日に、彼女は告白されていた。それをわたしはこっそり見ていた。

 否定してほしかった。

 出会ったばかりの彼女に、わたしはすでに惚れていた。

 けど、頬を染めた彼女は、あっさりと許可した。

 きっとわたしと出会うずっと前から、ふたりは仲が良かったんだと思う。

 愛し愛され両想い。わたしの介在する余地なんてない。

 あの幸せを壊すことなんて、わたしにはできない。

 せんぱいの幸せが、一番だから。


 だから、わたしの恋は叶わない。


 曲がり角、なんだかみじめになった。

 先輩に執着し続ければ、いつまでもひとりきり。

 現に、高校に入ってから友達は一人もいない。学校で話す相手はせんぱいただ一人。そのせんぱいとも学年が違うから少しの時間しか話せない。

 それでいい。それでよかった。

 はず、なのに。


 ――なんで、涙が出るんだろう。


 始まる前から終わってた恋。

 叶うことのない禁断の恋。

 知ってる。諦めてた、はずなのに。

 こんなに悔しいのは、なんでだろう。

 いつのまにか、二人を見失っていた。

 そこに少年少女の笑い声はすでになく。

 住宅街に、ひとつのすすり泣きが響いた。


 次の日。

 わたしはいつも通りに、部室に向かう。

 文芸部、静かな部室には、わたしとせんぱいのふたりきり。

「こんにちは」

「こんにちは、せんぱい」

 せんぱいは相も変わらずわたしに話しかける。

 けど、その顔は少し暗く。

「……どうしたの」

 とわたしに顔を向けて聞いた。

 どうやら暗かったのはわたしの顔のほうだったみたいだ。

「なんでもありません」

「その割には元気なさそうじゃないの」

 言って、心配そうにわたしに近寄る彼女。

 揺れる黒髪。きっとその香水の香りも、わたしのためのものじゃない。

「……なんでもないです」

 口を尖らせたわたしを、せんぱいは。

「なんでもあるでしょ」

 と抱きしめた。

「何でも相談していい。だから、隠さないで? ……あなたのこと、好きだから」

 誤解させないでよ。

 そんなこというから、わたしは。

「もう、がまんできないです」


 あなたのことが、すきになっちゃうんだから。


「せんぱいの、せいです」


 彼女に全体重を委ね、彼女の香りに埋もれて。

 床に押し倒した彼女の口腔に、己の舌をねじ込んだ。

「にゃ、なに!? 突然――」

「突然じゃない! ずっと、ずっと好きだった!」

 舌をほどいた。

 感情がとめどなくあふれる。

 せきを壊す。濁流のようなそれは、せんぱいを抱き。

「んっ……あ、んぅ……っ」

 愛撫する。

 なまめかしい声も、きっとわたしだけのものじゃない。

 でも。でも、いまだけは!

「ごめん、なさいっ」

 あなたを、わたしだけのものにさせて。

 いまだけでいい。もうこの関係すらなくなったっていい。

 だけど。


「すき、だった。わたし、せんぱいが……すき、だったっ!」


 ぶつける。感情を、ぶつける。

「せんぱいはわたしのものじゃない! いつも……いまだって……っ」

 泣きそうになりながら。

 快楽にあえぐ彼女を。

 なぶるように。

 愛した。

 愛した。

 一方的で暴力的な愛を。

 彼女に、捧げた。


 そしてわたしは、せんぱいのスマホを手に取って。


「えへへ、彼氏くん、見てる……? ……今日だけ、あなたの彼女、借りるから」


 ビデオメッセージを撮った。

 汗と汁に汚れたなまめかしい彼女を。わたしだけのせんぱいをうつして。

 ――最後に、最低な間女まじょはこう付け加えた。


「ずっと、愛してました。……ごめんなさい……ありがとう、せんぱい」


    *


 最低。


 ビデオメッセージを見て、あたしはそう思った。

 いまは亡き、あの少女を想いながら。

 ……あたし、最低だ。


 自分を慕ってた後輩「も」好きになっていた、なんて。


 あたしは高校に入って一年、好きなひとができた。

 友達だったけど、その優しさに着実に惹かれていって。

 ついには恋人になった。両想いの、恋人同士に。

 けど、ふたりが付き合い始めた日、あの子があたしの前に姿を現した。

 人懐っこくて、優しい。かわいい女の子。

 あたしは、その子も好きになっていた。


 二人に恋をしていた。


 最低。わかってた。でも、言えなかった。

 あなたも好きよ、なんて。とても言い出せなかった。

 怖かった。関係が切れることが。

 どっちか一人としか付き合えない。そう思ってた。

 彼女があたしを好いてるなんて思いもせずに。

 ――どっちとも両想いだったなんて、わかるわけないじゃない。

 もしも「二人と付き合う」なんて選択肢があったらどうなってたんだろう。

「……」

 微妙な顔であたしの顔を覗き込む彼氏。

 恋敵の墓前なら、そうもなるか。

 一回忌。あの日から一年。

 あたしの目の前で、ビデオメッセージを撮りながら首を吊った彼女。

 もしもあの子にも告白したならば。

 いま隣にいる彼は、彼女を受け入れただろうか。

 星になった彼女は、彼を受け入れただろうか。


 叶わなかった恋。

 叶うことのなかった恋。

 終わらなかったかもしれない恋。

 ――終わってしまった想い。


 あたしは墓石に額をなすりつけて、抱きしめ。

「……あたしも、好きだったわ」

 夕暮れの墓地に、ひとつのすすり泣きが響いた。


   *


初出:2022/03/06 小説家になろう、pixiv、ノベルアッププラス、アルファポリス

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