私はおむつのとれない女の子!?

 私はどこにでもいる普通の女子高生、のはずだった。それが……

「ねーねー、ゆりちゃん。あそぼうよー」

 どうして保育園にいるの!?

 周りを見回してみると、よくわかる。

 散らばったおもちゃ。近くには巨大な布製の積み木、女児向けのおままごとセット。少し遠くには小さな男の子が怪獣やヒーローのフィギュアをぶつけ合って遊んでいる。

 そして、真上にはスモックを着た幼い女の子が、寝転がった私を見下ろしていた。

「ねーねー、ゆりちゃーん」

 なんで初対面のはずの私の名前を知っているんだ、という不信感を押し殺して、恐る恐る話しかける。

「……なぁに、ともちゃん」

 口にして、驚いた。そしていくつかの疑問が湧いて出る。

 何故、こんなにも甲高い声が出たのか。何故、この女の子の名前を知っていたのか。

 そして、なんだろう。この、足と足の間の違和感、というよりあたかも雨の日みたいなまとわりつくような不快感は。

 訝しみながらも上体を起こしてみると、その疑問の答えに合点がいった。

 普段見ているものよりも明らかに小さい「おてて」。太めで短い「あんよ」。ぽてっとした体に、水色のスモック。その下からフリフリのついたピンクのミニスカート。そして、そのスカートからちらりと見える、赤ちゃん用の紙おむつ。しかも、真ん中の線は青緑色に染まっていて、しっかり膨れている。

 一瞬で理解した。

「わたし、さんさいじになってる」

「なにいってるの? ゆりちゃんはさいしょからさんさいだったよねー」

 先ほどの女の子――確か、ともちゃんだったか――が、笑いながらそう言う。言われてみたら、確かにそんな気が……いや、しっかりしろ現役女子高生JK

 なんでこんなことになってしまったのだろう。原因はさっぱりわからない。

 ……でも、もう考えても仕方ない気がする。考えすぎてドツボにハマるのはあんまりよくない。

「せんせー! ゆりちゃん、おむつー」

 考え込んでいる間に、ともちゃんが先生とやらを呼ぶ。

「はいはい、ゆりちゃーん。おむつ替えるよー」

 大人の女性。エプロンをつけた優しそうな保育士が、営業用の笑みで近寄ってきて、また寝転がった私のスカートをめくる。そのままおむつのサイドの部分に手をかけて。

「はい、びりびりー」

 と言いながら破った。

 ふわりと、甘いミルクのような尿臭が漂い。

 ――ああ、自分は本当に三歳の赤ちゃんになったんだ。

 吸い込んだにおいを吐き出すように、ため息を吐いた。

「はーい、たっちしてねー」

 センチメンタルに浸り聞こえなかった声。いや、この子ども扱いがまさか自分に向けられていると思いたくなかったのかもしれない。

「ゆりちゃーん? 聞こえないのかなー?」

 そう言って私の前に手をかざされて、はじめてこの声が自分に向けられていることを意識した。でも、いくら体が幼児だからといっても中身は高校生なのだ。

「やぁだー。ゆり、あかちゃんじゃないもん!」

 いやいやと首を横に振った。子ども扱いされてるのが嫌になって。

「でも、おむつしてるのは赤ちゃんだよ?」

「お、おむちゅなんて、ないないだもん!」

 いつもはおむつなんてしてない。というか普通、女子高生がおむつなんてするはずがない。

 必死になって否定しようとして――「あっ、ゆりちゃん! ちっちでてる!」

「えっ?」

 ともちゃんの声。私の口から疑問符が飛び出したのと同時に、背中に濡れたような感覚。

 うそ。まさか、ほんとに、出て、る?

「ほら。ゆりちゃんはまだ赤ちゃんねー」

 先生の言葉。うそ、尿意なんて感じなかったのに。

 しかし、さっきも感じた芳しい臭いが鼻をつく。私の失敗を証明するように。


 やぁ……わたし、あかちゃんじゃないのにぃ……。ちっち、がまん、いつもは、できるのに……。


 もはや、私は変わってしまったようだ。


「ほら、赤ちゃん。おむちゅしましょうねー」

「ゆりちゃん、あかちゃんだー」

「それもそうだよ。だって」


『ゆりちゃん、ずぅ――っと、赤ちゃんだもんねー!』


 聞こえた二人の会話。背筋が凍り。

 それとともに、体がどんどん縮む。三歳児の姿から、さらに幼く、小さく。

 もう何が何だか分からなくなって、涙があふれた。

 声を上げて、赤ん坊のように泣いた。何年振りかわからないほどに。のどがかれるほどに、泣いた。泣きつくした。


 背中は湿っていた。ずっと、湿っていて――


「はっ!?」

 ぱちりと目を開くと眩い光が飛び込み、思わず目を細める。

 まず感じたのは、自分の身体への違和感である。

「……よかった、じょしこーせーだ……」

 寝ぼけながら出した声は、呂律こそ回っていなかったものの、いつも出している声と同じ。変に甲高くないし、幼い口調になってたりもしない。

 というか、あれ夢だったのか……。よかった、現実で幼児になってなくて。

 そんな風にほっとして……しかし、お尻から背中のあたりが妙に濡れているような感覚を覚える。

 寝汗、にしては妙に濡れすぎている気がする。びちょびちょ、ぐしょぐしょといったような感じで……しかも、夢の中で嗅いだような臭い。

 いやな予感がして、がばっと上体を起こして掛け布団をどかすと。

 そこには黄色い世界地図が広がっていた。

 ……これは、おねしょだ。そう認めざるを得なかった。

 何年振りかわからない。それこそ、幼稚園にいた頃ぶりだろうか――と考えたところで、ふと夢の内容を思い出す。

 なんであんな夢を見たんだろう。

 フラッシュバックする最後の言葉。


『ゆりちゃん、ずぅ――っと赤ちゃん』


 怖くなって……パジャマのズボンが生暖かくなって、パンツが肌に張り付いた。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

「おも、ら、し……」

 茫然自失とする中、世界地図はさらに広がっていった。


 それから。

「え、おねしょしたの?」

「うん……ママ……」

 お母さんにおねしょのことを言って、布団を洗濯してもらって……一応学校にはナプキンを付けて行ったけど。

「あっ……」

 おもらしして、泣いちゃって。

 そんな日が、何日も続いて。


「……おむつしなさいな。毎日お布団洗濯するの大変だし……お願い」


「こりゃ昼間もおむつしなきゃだめかもね……」


「これなら夜もれにくいって! パンツのやつだと漏れちゃうでしょ? お母さんがつけてあげるから。いままでのやつは昼に使いなさい」


 だいたい一か月くらい経つ頃には、もうおむつは手放せなくなっていた。

 夜はテープのおむつ、昼はパンツのおむつ。しかも、どっちにも六回分とか八回分とかの、大容量のパッドを付けて。そうじゃないと、いつの間にか漏れてきていたりするから、仕方なく。

 夜はお母さんにテープのおむつを付けられて、翌朝にはぐっしょりと重くなったそれを外される。ついでに新しいおむつも穿かせてもらう。その時、赤ちゃん言葉で「たっちしようねー」とか「あんよあげてねー」とか言われたりする。

 恥ずかしくてたまらない。でも、案外この生活にも慣れてきてしまっている。


「ゆりってば、まるでおっきい赤ちゃんみたいね」

 夜、寝る前。ベッドに寝転がっておむつを付けられている私に、お母さんが茶化すように笑う。当の私はというと。

「むぅーっ、ゆり、あかちゃんじゃないもん!」

 なんて、幼児口調で頬を膨らます。あれから少し甘えん坊になった感じがする。もう高校生なのに、おかしいなぁなんて思ったりして。

 ……しばらく前の夢でも、似たようなやり取りをしたなぁ。

 思い出す、あの言葉。

『ゆりちゃん、ずぅ――っと赤ちゃんだもんねー!』

 ため息を吐いた。

「はい、できたー!」

 四枚のテープが張られた。もうお股は閉じられないほどもこもこ。そしてまた明日にはこのもこもこも私の無意識の失敗を吸い込んで重たくなっているのだろう。少し憂鬱になるけど。

「じゃあ、おやすみ」

 頬にお母さんの唇が当たる。昔、赤ちゃんの頃はよくしてもらったな。いや、いまも赤ちゃんみたいなものだから同じなのかもしれないけど。

 掛け布団をかけると、気持ちよくなって、睡魔が襲う。つい、右手を口元に運び……親指をしゃぶった。

 こうして意識は暗転する。夢の中へ。

 おむつの取れない女の子になった私は、すぅすぅと赤ちゃんらしい寝息を立てるのだった。


   *


 初出:2021/03/20 小説家になろう・pixiv掲載

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