第8話 沖田総司編 朝葱色の秘めた恋②

「こんにちわ」

 ちょっとだけ覗こうと小さな穴でもないのかと、塀の周りをくるりとまわる。

 所々こわれかけているものの、見たいものにはなかなか出会えない。

 おむすびを作り、ちょっと寄り道をした。

 言い訳さえ立派だ。

「おむすび沢山作りすぎて、捨てるくらいなら皆様に」

 頭の中で何度もリピートしながら、誰かと出くわすのを待っていた。

 息を吸い息を吐く。

 目を閉じ夢を見る。

 宗次郎様を沖田様と呼び名を変えていくつの季節が巡ったものか……。


「いらっしゃい」

 ガラガラっと音がする。

「こんばんわ」

 いつもならカラッと爽やかな笑顔が特徴の櫻子は、今日は何だかおかしい……。

「どうしたん?櫻子はん?」

「おむすび余ってしまいました」

「大きな包みを抱えていたから理心流に何か持って行ったんだとばかり思うとった」

 お茶をお盆に乗せたまま天狐ちゃんは立っていて、手が重くなってきたのだろう。ゆっくりと机に置いた。

 立ち昇る湯気はほっこりしたし、おむすびだってここで開ければ皆が食べてくれる。

 そんなことは解っているけれど……あと何回こうして沖田様におむすびを作れるのかと思うと、それすらただ寂しくなったのだ。

「ちょっと噂を聞いたよ?」

「ん?」

 櫻子は小首をかしげる。

 かわいらしいことこの上ない。

「なーに?」

「お豆腐屋さん継ぐの?」

 天狐は赤い玉の付いたかんざしを外して、ひさしぶりに髪をくくっている紐をほどいた。

 彼女が髪を下ろしたら閉店のあいず。

 遥か何年も前から【天天】では決まりごとの一つになっている。

「隼つぁん、けーるわ」

「わりーな。とっつぁん」

 皆足早に店を後にする。

 櫻子は帰っていく常連客に申し訳ない思いで、ぺこりと頭を下げた。

「隼人……」

 天狐は何か言いたげな顔をしてジッと隼人を見つめた。

「持っていったらいいのか?」

 仕事も終わりの一杯を行き着く雛もなく、看板娘の言いつけよろしくおむすびを手に店を後にした。


 誰もいなくなった店内は静かになるどころか、騒がしさは増し……天狐は一人で溜息と小言の鉄砲と化していた。

「天狐ちゃん……怒ってる?」

「呆れとるわ……どうせ近くまで行ったくせに渡せんかったんやろ?」

「……あっ、おむすび……」

風呂敷を探し出す。何を見ていたのやら……溜息の大安売りだ。

「持って行ったわ!」

「誰が?」

「隼人に決まっとるやろが、他に誰がおるんや……」





 ザクザクと深い音が足元からせりあがってくる。月は真上に上り重力で真っ逆さまに落ちてきそうな圧倒的な恐怖がある。それなのにあの美しさは見るものを魅了する。

 これこそが幽玄の美というものなのだろうかと、隼人は独りごちていた。

「天天のご主人か?」

 振り返るとそこにいたのは近藤勇であった。

「これはこれはひょんな事から、有難い事この上ない」

「いかがされた」

 手に持っていた風呂敷包みを近藤に渡すとこう言った。

「沖田君に食べてほしいと思いのたけを込めて、結んだ人がいる」

「隼人さんの結びたもう……にぎりでは……ないわけですか」

 言いたいことはわかる。毒殺という手もあると言いたいのだろう。

「もし……仮にこれで沖田君が毒殺されるようなことがあったなら、魚をさばく包丁でスパッと切ってごらんに入れよう」

「あなたがそんなに信頼しているのは天狐殿だけではござらぬか?」

 遠くから近藤を呼ぶ声がする。

「これはこれは役者がそろってきてしまう……」


 すごい勢いで走ってくる。スピードもさることながら顔が怖い……。

 男は隼人の顔を見ると安堵の表情をした。

 土方はぼそっと言った。

「闇討ちかと思ったぞ」

「怖い事をいうではないか」

 隼人は今正に斬りかからんとする土方に大仰に手を振った。

「隼人殿ではないか……びっくりさせないでくれ。近藤さんそれは何でしょう」

 近藤は事の顛末を話した。

「沖田に食べてほしいおむすびなのだと聞くと、豆腐屋の……か、と言った」

 隼人は黙って頷いた。


 近藤はおむすびの主が櫻子だとわかると口をはさんだ。

 

 

「彼女には、だって縁談が上がってはいなかったか?」

「良く知っているな」

「総司に聞いた」

 近藤の様に実直な男には、おそらくは両片思いであろう彼らの行動は奇行に映るのだろう。

「沖田が彼女を好きであると気付いていたのは今はまだ土方のみであった」


「貰っていきましょう。近藤さん」




 隼人は深々と頭を下げた。

「感謝する」

 

 

  

 










 

 

 





















 

 

 

 

 

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