024 刺激する好奇心
魔術教師であるティルザは、今年で齢四十九を迎える。七色の魔術師と呼ばれたのは今は昔、魔術の最前線から退いた後は、後進を育成するための教育に心血を注いできた。
『スキル』の有無に一喜一憂する世の中では、魔術師の立場はあまり強くなかった。選ばれし者はスキルを磨き、そうでないものは兵器を手にして強さを得る。この世界において、魔術とはもっともコストパフォーマンスに劣る技術だった。
「……攻撃魔術なんて、拳銃で間に合っているものね」
習得するのが難しい割に、威力は大したことはない。どれほど鍛錬を重ねても、スキル持ちには敵わない。魔術師を志す子供は、ずいぶんと減っていた。
――だが。
「……っ」
魔術の衰退を覚悟したティルザの前に現れたのは、規格外の才能であった。彼女の名前は、シューカ・ヘイケラー。齢七歳の、少女である。
「せんせぇ、これでいい?」
闇魔術の大半は、呪いや破壊に特化した、子供に教えるには危ういものばかり。そのため、彼女は術式そのものを教えることはせずに、単純な術式一つと、あとは魔素を高めるための練習を繰り返させていた。
――『黒蝕』
それは、闇魔術の超基本的な魔術。対象の色を奪うという、特に意味のないお遊びの術式だった。例えば林檎に黒蝕を発動させれば、赤みは失われ、黒塗り替えられていく。
「……末恐ろしいですね」
パカサロの外れの森の中で、シューカは『黒蝕』の練習を毎日繰り返していた。最初こそ落ちる葉っぱを黒く塗り替える程度だったが――気が付けば、辺り一帯を漆黒に塗り替えるようになっていた。
彼女の位置を中心として、周囲二メートルの空間全てが禍々しい黒に染め上げられる。
「シューカ様の『黒蝕』は、凄まじいです。基礎魔術なのに、応用魔術のような規模の魔術ですね」
「そう?」
年齢相応の微笑みを浮かべながら。
「――だけど、よくこんな危険な魔術を教えようとしたわね。子供に教えるような術式ではないもの」
「え?」
そんなはずはなかった。『黒蝕』は、色を奪うだけの単純な術式だ。しかしシューカは、当たり前のように言う
「術式を書き換えて、色ではなく他のものを指定したら……たぶん、凄いことになるんじゃない?」
「……へ」
間抜けな声が、こぼれ落ちた。
「深淵は、食欲旺盛だね。そのうち、色だけじゃ我慢できなくなっちゃいそう」
「――っ!?」
――術式を書き換える? 色以外に!?
「ま、魔術の術式は、古代語によって生成されています。簡単に、書き換えられるようなものでは……!!」
そもそも、古代語に精通していなければ読み解くことすら出来ない。現代の魔術師は、既存の術式を行使しているにすぎないのだ。
「あ、そっか。そだね、出来ないかも」
「…………」
……本当に? まるで、古代語は読める前提で口にしていたような……。
「しかし……シューカ様には、攻撃的な術式を教えたくはありませんね。暴発したら、死人が出ますよ」
「んー」
人差し指を唇に当てながら、シューカは渋りつつ。
「……わたし、攻撃的な魔術が苦手みたいなの。一人でやってみたんだけど……上手く、出来なくて」
ナイトメア戦を思い出すシューカ。中心核のコアを壊そうとしてみたが、傷一つ付けることが出来なかった。他者を害する行為に、魔素が反発する。
「生まれてくる時に、罰を与えられちゃったのかも。何かを傷付けるの、苦手になっちゃった」
神様から刻まれた呪いのようなものだ。
「だから、人を生かす闇魔術を極めたいの。引いては、お兄さんのお役に立てるように……!」
「……そうでしたか」
ほっと、胸を撫で下ろす。
「しかし……支援系の術式だと、少し難しいですね。どういった魔術を学んでみたいですか?」
「性転換魔術」
「え?」
「女の子を男の子に出来る魔術が欲しいなって。きっと、今のわたしが一番欲しいものだから」
「……えと、シューカ様は男の子になりたいのですか?」
予想の斜め上の回答に、目を丸くさせるティルザ。子供らしい意見が、逆に物珍しい。
「ううん、違うわ。……や、それもありかもしれないけど……やっぱり、お兄さんはお兄さんであって欲しいから……」
「き、キッカ様に使うおつもりで?」
「うん」
満面の笑みで、少女は言う。
「だから、そんな素敵な魔術を探しているの。凛々しくて格好いいお兄さんは、女の子にしておくのはもったいないと思って!」
「……残念ですが、そんな魔術は聞いたことありません」
「えー」
苦笑いを浮かべるティルザに、シューカは更に追撃する。
「じゃあ、女の子同士で赤ちゃんを作れるように魔術とかは?」
「…………」
ひくひくと、頬が痙攣していた。この子の発想は、常に予想を遥かに越えていく。
「そ、それくらいなら、闇魔術なら可能かもしれませんね……」
否定するのも可哀想なので、ティルザは曖昧に肯定した。
「本当!? わたしもそう思っていたの!」
「あくまで、可能性のお話ですよ……」
膨大なる魔素と、闇魔術の研ぎ澄まされた才覚。
おそらく彼女は、グアドスコン王国の歴史に刻まれる闇魔術師になるだろう。過ぎたる力を手にした彼女が、過ちを犯すことがなければと、ティルザは願っていた。闇魔術はその性質上、どうしても人の道を外れる術師が多いのだ。
「お兄さん、喜んでくれるかしら」
「…………」
だけど、まぁ。
化物のようなシューカの隣には、それ以上の化物がいる。キッカが人の道を外れなければ、この子も大丈夫だろう。
「……不思議と、キッカ様に心配はないんですよね」
彼女の背中は、驚くほど暖かくて、頼もしい。彼女が生まれてきたおかげで、パカサロは今も笑顔に包まれている。
◆
「お前らって、ずっとうちに滞在すんのか?」
「……うっ」
ある日、キッカが唐突に訪ねた。突然話題を向けられたヴェスソンは、思わず声を漏らしてしまう。
「い、いや、特に期限は定められていない。厄介払いみたいなものだからな。数年は戻れないと思っている」
「ふーん」
丁度、防衛軍と遊撃隊で、対ナイトメアの防衛訓練をしているときのことだ。あの日以降、ヴェスソンはとても聞き分けがよくなっていた。遊撃隊なしでナイトメアを退けたことにより、領地内での力関係が明確化したことも大きかった。
「遊撃隊の兵士たちも、厳しい訓練を乗り越えた精鋭です。彼らとて、理解していますよ。我らとの格付けは、はっきりと済んでいると」
ニコライに至っては、シューカの従順な犬となっていた。知的な風貌をしていながら、シューカの小間使としてせっせと働いている。本人は、気持ち悪がっているのが笑えるところだ。
それに比べれば、キッカとヴェスソンは、厳しい上司と弱気な部下のような構図に収まっている。
「……ヴェスソンは、うちの防衛体制に意見はあるか?」
「現状だと、王国でも屈指の防衛力があることは間違いない。だが、心配なのは……キッカやシューカに頼りきりな現状だな。何らかの理由で二人が不在の場合は、とたんに防衛能力が低下する」
「よく分かってるじゃないか」
だからこそ、訓練を怠るわけにはいかないのだ。二年後には、選別の儀式が控えている。その内容次第では、キッカたちはパカサロを離れることになるのだから。
「オレがいなくとも、強固な防衛を行えるようにしておきたい。丁度、使えそうな奴が二人もいることだしな」
「……え?」
ヴェスソンの胸に広がる、言いようのない不安。
「この二年で、お前らを徹底的にしごいてやるよ。立派な男にしてやる!」
十歳の少女が、成人男性に言うようなセリフではない。だが、さすがのヴェスソンも力の差を理解している。それを言うだけの資格が、彼女にはあるのだ。
「……いつか必ず、貴様を追い越してやる」
「結構。それくらいの気概がなきゃ困るってもんよ」
ヴェスソンは、これが好機だと確信していた。キッカに勝つことこそ、失われたプライドを取り戻す唯一の方法なのだ。
「キッカ様、武器の納品について少しご相談があるのですが……」
「ん? あぁ、ドランか。悪い、ちょっと席を外すぞ」
「……ドラン?」
ヴェスソンは、聞き覚えのある名前に首を傾げた。
「もしかして、ドラン・リンデンか? あの、リンデン商会の……グリムの、父親か!」
「……お前、グリムを知ってんのか?」
「当然だ。そうか……あいつ、パカサロの出身だったのか……! じゃあ、あいつが憧れている女って……お前のことかよ……」
苦笑いを浮かべるヴェスソン。だが、その表情に影が差していることを、キッカは見逃していなかった。
「悪い、ドラン。少し、野暮用が出来た。後にしてもらえるか」
「え、ええ……構いませんが……」
特に気にする様子もなく、あっさりと引き下がるドラン。姿が消えたことを確認したキッカは、ヴェスソンに向かい合う。
「……参ったな。キッカには、隠し事も通用しないのか」
「お前の表情がわかりやすいんだよ」
「かもな。……ちっ、つくづく間が悪いな」
ヴェスソンの様子が、いつもとは違っていた。強気な態度は雲隠れをして、弱気を晒している。
「……選ばれし御子の話は、外部には秘密なんだよ」
「いいから、さっさと話せ。あれでもグリムは、仲間なんだ」
「俺がバラしたって、誰にも言わないでくれよ……」
観念したように、ヴェスソンは口を開いた。
「――グリムは今、行方不明だ。あいつが所属していた部隊ごと、消えちまった」
「……どういう意味だ? ナイトメアに襲われたのか?」
「違う」
目を伏せて、続けた。
「――『瘴気領域』に踏み入ったんだ」
「……は? いや、瘴気の濃度が濃すぎて、加護持ちですら中に入れねえって話じゃなかったのか?」
「それが、可能なんだよ。王国は、随分前から瘴気領域の攻略に乗り出している」
両手で顔を覆いながら、ヴェスソンは言った。
「――瘴気領域の攻略こそが、選ばれし御子の役目なんだよ。俺たちは、そのために集められている」
「はぁ……!? おい、詳しく話せ」
思わず食って掛かるキッカ。
「か、勘弁してくれ……瘴気領域のことは、禁則事項なんだよ。喋ったってバレたら、俺だって危ねえんだ」
「……何故、秘密にする必要がある? 隠れてこそこそやんなくてもいいじゃねえか」
キッカの問いかけに、思わず言葉が詰まるヴェスソン。だが、キッカの瞳が、逃げることを許さない。
「し、知らねえよ……! 危険だからじゃねえの? 俺だって、調査隊の選抜試験に落ちたんだ……! じゃなきゃ、こんなところにいるもんか」
「…………」
以前から、選抜の儀式に違和感を感じていたキッカは、言いようのない不安に包まれていた。王国の裏側と、ナイトメアの突発的侵攻。これらの間に、繋がりがあるはずだ。
「なぁ、ヴェスソン。あいつらは、どうやって瘴気領域に踏み込んでいるんだ? 向こうは、加護ありのお前らでも耐えられねえほど瘴気が濃いんだろ?」
「加護を強化できるスキルがある。彼女が祈りを捧げれば、まる一日くらいは瘴気を無視できる……らしい。詳しいことは、わからん」
「……なるほどな」
考え込みながら、キッカは言葉を零す。
「瘴気領域に入る方法はあるんだな」
「……え?」
思いもよらない言葉に、ヴェスソンは嫌な予感を抱いていた。
「お、おい、キッカ? 念のため補足をしておくが、俺様の加護じゃ瘴気領域には入れないからな? 試したって、無駄だぞ?」
「ヴェスソン」
にやりと、キッカは笑って。
「人間、やってみればなんとかなるもんだ。まずは一つ、実践といこうじゃないか」
「か、勘弁してくれええええええ!!」
「冗談だ」
含み笑いを浮かべながら、キッカは言う。
「危険な目には遭わせねぇよ。色々と、試すだけだ」
「ほ、本当だろうな! 俺はまだ、死にたくねえぞ……!」
「王国が隠すだけの何かが、瘴気領域にはあるんだろ? グリムのこともある。やるだけのことは、やってみようじゃねぇか」
キッカは、転生前の記憶を思い出していた。
冒険者として各地を巡った日々。
魔境攻略、ダンジョン踏破、数々の冒険が思い起こされる。
未知なる地に踏み入るというのは、いくつになってもわくわくするものである。
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