023 ナイトメアが襲い来る日常


 その日は、とても暑い夜だった。

 じめじめとした熱気が肌にまとわりつき、不快感を何重にも押し付けてくる。あまり寝付きが良くないヴェスソンは、苛立ちを込めながらゆっくりとベッドから立ち上がった。


「……あ?」


 扉の向こうから、喧騒が聞こえてきた。真夜中だというのに、一体どうしたのだろうかと外の様子を伺う。


「――ナイトメアの襲撃です!」


「……は?」


 慌てふためくメイドを呼び止めて、何事かと聞いてみたら、とんでもない答えが返ってきた。


「何故、俺様を呼びに来ないのだ!!」


 ヴェスソンが驚いたのは、ナイトメアがやってきたことではない。襲撃の発生に対して、王国直属の遊撃隊長を呼びに来ない意識の低さに驚いたのである。


 先日はキッカやフェリエルにわからされてしまったが、ナイトメア討伐こそが彼らの真骨頂である。瘴気の耐性を得ているヴェスソンにしてみれば、これが最後の汚名返上の機会だった


 慌てて戦闘用の装備に着替え、喧騒の方へと向かう。


「――ヴェスソン! 一体これは、どういうことです!?」


「知らん! 何故、使用人は俺たちを呼びにこないのだ……! 俺やニコライがいなければ、遊撃隊は動かせないんだぞ……!!」


 互いに思うところがあるかもしれないが、ナイトメアの襲撃に対してだけは真摯にありたい。歯を食いしばるヴェスソン。ナイトメア戦で活躍できなければ、何のためにここに来た?



 ◆


 パカサロの城壁付近では、ヘイケラー家の防衛軍が陣形を整えていた。その中央に位置するは、フェリエル。先日の戦いで大きな戦果を挙げた彼女は、遊軍として自由に戦場を動き回る許可が与えられていた。


「――フェリエル! これは一体、どういうことだ!」


 ヴェスソンは、すぐにフェリエルに噛みついた。


「あら、起こしてしまいましたか。申し訳ございません、お客様の安眠を妨害してしまいました」


 憤るヴェスソンに対して、フェリエルはにこやかに対応する。


「あ、安眠……!? 貴様、何のつもりだ……!」


「ご主人様からのご命令です。この程度の襲撃は、王国の方々の手を煩わせる必要はない、と。ですので、そっとしておいたのですが……」


「勝手な判断をするな……!! ナイトメアの対応は、我らが特別遊撃隊に一任されている! 貴様らは、ナイトメアを舐め過ぎだ……!」


「舐めているのは、ヴェスソン様の方ではないでしょうか」


 フェリエルは、笑顔を崩さず言う。


「ナイトメアが現れたのに、眠っていられる方がおかしいのです。彼らの気配を感じなかったのですか? 瘴気の匂いが強すぎて、とてもじゃないですが眠れませんでしたよ。少し、気が緩んでいるのでは?」


「……っ!?」


「私たちは、常にナイトメアの襲撃に備えているのです。すやすや眠っていられるほど、油断しておりません」


「く、くぅううううっ……!」


 ぐうの音も出ないフェリエルの言葉に、言葉を失うヴェスソン。苦虫を噛み潰したような表情で、感情を抑える。それからゆっくりと頭を左右に振って、意識を切り替えた。


「……だが、ここに来た以上は、協力させてもらうぞ……!」


「まぁ! でしたら、とっておきのお仕事がございますが……お願いしても?」


「む?」


 にこやかに笑うフェリエルは、両手を合わせて声を弾ませた。


「この任務は、とても危険かつ重要なものです。私が担当しようと思っていたのですが……瘴気に耐性のあるお二人の方が適任だと、ご主人様は仰っしゃられておりました」


「……キッカ・ヘイケラーが?」


「はい! お二人以上に、この役目を任せられる相手はいないと。私ですら、お二人には敵いません」


「そ、そうか? なら、引き受けてやらんこともないな」


 珍しく頼られたことで、反応が素直になるヴェスソン。


「では、これをどうぞ」


「……ん?」


 フェリエルが手渡したのは、術式で強化された松明だった。


「ま、まさか」


 青褪めたニコライが、引き攣った笑みを浮かべていた。


「い、いやいやいやいや!!! まさか、フェリエル様……!? あ、あなた、あなたは……!!」


「どうしたニコライ? 何をそんなに慌てている?」


 まだ理解していないヴェスソンは、首を傾げる。


「お二人に任せたいお仕事はですね」


 フェリエルが、指を立てて言った。


「――ナイトメアを呼び寄せる、餌になって欲しいんです。松明片手に、ナイトメアの最前線を全力で駆け回って下さい」


「はぁ!?」


 想像以上に、とんでもない役目だった。


「い、いけません! ヴェスソン、これはあまりにも危険過ぎ――」


「――ヒツジさん」


 拒絶しようとした途端、二人の脳味噌に妖艶な声が響いた。

 遠く離れた場所から、シューカが心臓に語りかける。


「早く、行きなさい。お兄さんを、待たせるつもり?」


 深淵から、少女は見つめている。彼らはもう、逃れられない。


「ひぃいいいいいいいいいい!?」


 絶望が、二人の心臓を撫でる。

 慌てて左右を確認するが、少女の姿は見当たらない。


「ずーっと、見ているからね。うふふふふふふふ」


「~~~~~!」


 真夜中のパカサロに、松明の炎が揺れる。

 魔術に強化された明かりは、二人の絶望をとてもよく照らしていた。



 ◆



「うああああああああああああ~~~~~~~~~~~!!」


 真っ暗な暗闇の中で、ヴェスソンの悲鳴が響く。彼らは全速力でナイトメアから逃げ出していた。背後からは、無数の触手が二人を狙っている。


 ――時間稼ぎ。


 かつてフェリエルが担当した囮役を、彼らは与えられていた。


「瘴気が効かないのなら、楽勝ですよね」


 十八体のナイトメア相手に、加護なしで立ち向かった少女に言われたら、彼らも引き下がることは出来なかった。シューカに脅されつつも、覚悟をもって仕事に臨んだのだが。


「に、逃げるだけでは駄目ですっ……! ヴェスソン、ナイトメアの場所を照らさなければ……!!」


「わかってるっ!!!」


 ナイトメアの数は、二十を越えていた。いくら動作の緩慢なナイトメアとはいえ、この数は圧巻である。人型がいないことだけが、唯一の救い。


「畜生がぁ……!!!」


 悪態をつきながらも、懸命に任務をこなす二人を見下ろしながら――少女は、笑みを浮かべていた。


「あの二人、頑張ってるわね」


「――ああ」


 時計塔の屋上では、キッカとシューカが狙撃の用意を完了させていた。


「そろそろ数を減らさねえと、あいつらが喰われちまう」


「ん」


 深淵の瞳は、明るさに関わらず対象を観測する。だが、超遠距離の狙撃においては、やはり真っ暗な状態で精度を維持することは難しかった。シューカの能力を持ってしても、真夜中では命中率は著しく低下してしまう。


「――


 だからこそ、ナイトメアの位置を照らす方法が必要だった。


 そこで白羽の矢が立ったのが、瘴気に耐性のある二人だった。


 松明を片手に、最前線を走り回ってもらう。瘴気の影響を受けない二人には、うってつけの仕事だ。ぶっつけ本番になったのだけは、予想外だったが。


「は、反撃するなってのは、どういうことだよ――――!!!」


「し、知りません! ですが、逆らったらどうなるか――!!」


 二人の安全を最優先するため、逃げに徹させている。リスクを負って、数を減らす必要はない。


「『魔弾生成』」


 真夜中を切り裂く、一筋の極光。


 ――BANG!


 ヴェスソンの眼前に迫っていたナイトメアの中心部に、ぽっかりと穴があいた。核を撃ち抜かれたナイトメアは、悲鳴を上げながら絶命していく。


「……へ?」


 当然、彼らは理解できない。

 ナイトメアが、勝手に崩れ落ちたようにしか見えない。


「――命中」


「次だ――」


 二人は、餌として大変優秀だった。我先にと食いついたナイトメアは、逃げ惑う人間を前に無防備を晒していた。明かりに照らされたものから、次々と撃ち抜かれていく。


「……なんだ、これは」


 それは、異様な光景だった。

 彼らの常識の中では、このような戦い方は存在しない。


 一定間隔で繰り返される無慈悲な鉄槌は、赤子の手をひねるほど容易くナイトメアを射殺していた。


 シューカが座標を捕捉し、キッカが狙い撃つ。

 他のものは、彼らの支援をするだけで十分なのだ。


「――殲滅完了。計三十七体、死亡を確認」


「よし、このままオレたちは待機だな。おかわりが来るかもしれない」


「はーい」


 彼女たち二人に、油断は存在しない。

 最少のリスクで、最大のリターンを得る。


「……何が起きてるんだ?」


「わ、わかりません……」


 ナイトメアの死骸に囲まれながら、呆然と立ち尽くす二人。


「ですが、あの方たちの仕業ということは理解できます」


「だろうな……」


 憔悴した表情を浮かべながら、雲に隠れゆく月を見上げた。


「……身の程を弁えたほうが良さそうだな」


「ええ……」


 もはや、あらゆる自信は打ち砕かれてしまった。


「ヘイケラー家だけは、敵に回してはいけないな」


「間違いありません」


 それを学ぶことが出来ただけでも、収穫なのかもしれない。

 

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