03.目覚めればポメラニアン

 日差しがまぶしい。空気がおいしい。風がとってもきもちいい。寝転がったまま伸びをして、都会のそれとはまったく違う、本物の自然を受け止める。


「わふぅ……」


 おっと変な声が出た。でもまあ、それもしかたない。なんと言えばいいんだろう、あまりにも空気がきれいすぎて、息をするだけで健康になっていく気がする……!


「うぉふ……」


 森、というにはちょっと足りない、林と草原の間みたいな場所なんだろうか。そよそよと風の吹くそこは、俺の知っているどことも違う。

 ……目に映る木々も花も、なにもかもがやたらめったら大きいからだ。


 背が高い、というだけじゃなく、縮尺からして違う気がする。

 たとえば、すぐそこに生えている花。白い花びらの一枚一枚が、俺の手のひらくらいはある。

 たとえば、目の前に落ちている枯れ葉。これはもう、軽く顔面を覆うサイズ。

 たぶん雑草なのであろう、そこら中に生えている草。簡単に俺の身長を超えていらっしゃる。


「わふん……」


 にわかには信じがたいけど、信じるよりほかはない。確かに俺は転生して、今までとは常識の違う異世界に来てしまったんだと。それもこう、野原に放り出される感じで。


 そう現状を理解すれば、寝転んでいる場合じゃない。ここでの俺の目的は、元宮桜子を探すこと。彼女に会いたい、昔みたいに話したい。その気持ちだけが今の俺の、生きる原動力なんだから。


 大きく大きく息を吸い、決意とともに立ち上がる。たしかヒントを残してあるって……まさか看板が立ってるわけじゃないと思うけど……


「……わふ?」


 そこでなんだかすこし違和感。なんだかこう……あれ?

 不思議に思いながら、ゆっくり一歩を踏み出してみる。体は動くし目も見える、耳も鼻も正常だし、痛いところだってない。雑草が体を軽く叩く、そんな感覚もちゃんとある。


 ……雑草、それだ。立ち上がったはずなのに、見えている節の部分がほぼ同じ。つまりはこう、視点の高さがあまり変わっていないんだ。なにこれ、俺に合わせて伸びた……?


「……っ!? ぼふ、ぷふっ!?」


 ぴゅう、と風が吹いた瞬間、鼻先をなにかが覆う感触。あわててそれを払いのければ、ぱさ、と枯れ葉が一枚落ちた。ああもう、無駄に大きいからびっくりす……


「………………」


 そこで、絶句する。

 葉っぱの大きさに、じゃない。

 葉っぱを払いのけたときに見えた、俺の腕。

 ちんまり、としたサイズで。

 白っぽい、もふもふした毛で覆われていて。

 手のひらには。

 真っ黒な、つやつやとした、肉球。


「………………」


 もう片方の手も見る。まったく同じ。ぺたんと座って足を上げる。大体同じ。


「!?!?!?!?!?!?!?!? わふっ!? わふふっ!?」


 というか声も出てないな!?


 動揺してしまったのか、体が勝手に動き出す。すばやく切り替わっていく景色に、地面をしっかり踏む感触。あっこれ立ってないな!? 四足歩行で軽快に走っておられるな!?


「ぎゃっふんっ!?」


 意識したとたん足がもつれて、一本の木に激突する。ぐるん、と回転した視界に、現れたのはふさふさのかたまり。おしりの上から生えているそれは、どう考えてもしっぽですねえ!


「きゅう……」


 もういちど体を横たえる。腰に意識を集中すれば、ぶんぶん揺れる巻きしっぽ。ぺたぺたと体を触ってみると、もふもふとした毛の感触。口元に手を当ててみれば、犬歯は立派に尖っている。


「わおーん」


 ちょっと強めに声を出す。うん、間違いない。



 犬だな。



 そういえば、神様はこう言っていた。


『とはいえ向こうは、君の常識が通用しない世界でもある。乗り越えるには高い壁が、いくつもあるかもしれないけどね』



 ひとつめの壁が高すぎません???



「わふ……ふがふがふ、わふぼふー?(ええ……言語の問題も解決って、動物にするから喋る必要がないってことー?)」


 出せない声をあきらめ、落ち着くためにいったん座る。そうとわかっていれば人間みたいなあぐらも余裕……じゃない、そうじゃなくて。とにかくいったん、自分がどうなっているのかを客観的に確認したい。鏡や姿が写るもの……こんなところにあるとすれば……


「すんすんすん……!!!」


 ……水のにおい! そうか、犬だから嗅覚がすごい!


 すぐ近くではなさそうだけど、たしかに水の気配を感じる。川や水たまりなんかがあれば、少なくとも姿は確認できる!

 それを頼りに駆け出す。いくらかの距離を走っていると、川のせせらぎが聞こえてきて。


「ほふぅ……」


 きらきらと輝くように澄んだ水。魚は元気いっぱい泳ぎ、底にはゴミのひとつもない。雑味のないにおいからして、飲んでもすごく美味しいんだろう。


 ……喉はかわいているけれど、俺の目的はそれじゃない。


 どうやら俺は、犬にされてしまったらしい。思うところはあるけれど、いったんそれは受け入れよう。そのうえでこう……とりあえずは、屈強な犬種であってほしい……!


 川縁に立ち、祈りを込めてのぞき込む。転生と言われたくらいだし、なにもかもが大きく見えるし、この体は幼い犬なはず。狼の仔までは望まないけど、大自然の中を、過酷な環境を乗り越えて人里に出られるような、獰猛な大型犬の血筋であってくれ……!



 小型犬だわ。



 輝く水面に写っているのは、まるまるとしたシルエット。さんかく耳にちいさな黒鼻、まんまるおめめが愛らしい。

 毛並みは黒。しかしそれだけではなく、目上や口元、もふもふの腹やみじかい手足は白みがかった茶褐色。りりしいまゆをたたえ、常に不敵な笑みを浮かべているようにも見えるそれは、ペットショップではブラック&タンと分類される希少な毛色の――



 ポメラニアンだわ……そりゃなにもかもが大きく見えるわ……!



「っ!? わ、わふっ!?」


 あまりの衝撃に足を踏み外し、そのまま川へするりとドボン。そこまで深くはなさそうだけど、今の体じゃ足もつかない。ここで終わってしまうのかと、背筋がぞっとするけれど。


「わふ……わふ……」


 ……だいじょうぶだわ。じょうずに犬かきできるわ。

 すこし流されてしまったけれど、なんとか岸に泳ぎ着く。ぶるぶるぶる! と水を飛ばすそのさま、無意識下ではもう完全に犬である。

 うう……べちょべちょになってしまった……じゃない……これからいったいどうすれば……? 元宮を探す以前に、どうやって生活していけば……?


 水はなんとかなったとしても、食べ物の採りかたなんてわからない。ぐぅ、とお腹の鳴る音とともに、けっこう強めの空腹を感じる。

 そこに都合よく目の前を通る、シュッとしたトカゲみたいな生きもの。

 ……いやいやいや、さすがにそれはマズい。美味しいとか不味いじゃなくて、ナマモノをがぶっと行く度胸はない。ないんだけど。


 珍しいものでも見ているみたいに、トカゲはそこから動かない。この距離……さっと手を伸ばせば……イケるか……?


「……ん? なんだ、なにかいるのか?」


 人の声がするのと同時に、トカゲがさっと逃げていく。あっぶねえ、いま本能に支配されかけてたわあっぶねえ!

 声の主に感謝しながら、音がするほうへと顔を上げる。草をかき分け歩いてくるのは、十代後半くらいの若者の集団だった。


「わんっ!」


 とりあえずは元気にお返事。それと同時に、彼らの姿を観察する。

 東洋系の顔立ちだけど、髪と目の色は赤に近い。着ているものも持ってる道具も、まさに『ゲームの世界の村人』という感じ。耳慣れない言葉の意味がわかるのは、神様のおかげなんだろう。


 そうしてじっと見ているうちに、若者たちは目の前に。健康的に焼けた肌と、持っているクワのようなものからして、日常的に農作業をしている人たちなんだろうか。


「わっふ!」


 そんな彼らに向かって、ちょっとあざとめにごあいさつ。思うところがなくもないけど、今の俺はポメラニアン。まずは彼らに拾ってもらって、衣食住をゲットする……!

 そんなもくろみとともに、かわいらしく小首をかしげた俺に対して。


「……なんだこれ。このへんじゃ見たことないけど……動物じゃあ、ないよな?」


 帰ってきたのは、困惑混じりの言葉だった。


「わ、わん! わんわんっ!(いぬ、いぬです! どうぶつです!)」

「わんわん言ってるし、犬なんじゃないか?」

「こんな気持ち悪い犬がいるかよ。ギョロっとした目玉に痩せこけた体、溶けたみたいなこれは……腐った毛皮でも張りついてんのか?」

「なんか濡れてるみたいだし、藻とかそういうアレじゃねえの?」

「そもそも犬ってのは、もっと大きくてガッシリしてるもんだろ? あんまり見たことないし、よく知らないけどさ」


 あっこれ、悪い偶然が重なってるやつだ。


 ひとつ。このあたりに犬はいない。だから、この人たちは犬をよく知らない。

 ふたつ。ポメラニアンみたいな毛の長い犬は、水に濡れるとびっくりするほど細くなって、かわいいよりはキモかわいいになる。

 そして、みっつ。


「妙な魔物だったら困るしなあ。今のうちに退治しとくか」


 この世界には、比喩じゃない本物の『モンスター』がいるっぽいな!?


「わ、わんっ!」


 その場から逃げだそうにも、いつの間にか囲まれている。みんながみんな慣れた手つきで、手に持つ農具をかまえている。


「く、くぅ~ん?」


 情けない声を出してみても、手を止めようとする人はいない。かわいそうな気もするけど、害獣だからしかたない。彼らの気持ちを想像すれば、そんな感じなんだろう。


「よい……しょっ!」


 ぶん、と振りかぶられたクワ。見ていることしかできない俺。

 これで終わってしまうのかと、頭の中が真っ白になって――


『おおっと、さっそくピンチのようだね! じゃあここで、チュートリアルの開始だよ!』


 びっくりするほど脳天気な、神様の声が飛びこんできた。

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