にんげん、ポメラニアンになる

01.プロローグ そのいち

 10年以上の片想い。会えなくなってからもずっと、たったひとりを想い続けている。

 マンガやドラマの中でなら、切ない物語になるんだろう。美男美女がそう言うのなら、一途で尊いと思われるんだろう。

 ……実際にそうなってしまえば、それはもう呪いに近い。いや呪いは言いすぎた、けど単純につらい、とてもつらい。


(ブラック企業を辞められたとはいえ、実家に帰ってきたのは失敗だったかなあ。よく行った店とか一緒に通ってた道とか、そこらじゅうにあるんだし)


 そんなことを考えていたら、脳から思い出がつらつらと。

 彼女は高校の同級生だった。よく笑うしよく泣く、活発で明るい子だった。


 好きになったきっかけは、正直なところ覚えていない。なんとなく話すようになって、気が合うことがわかって、そのうちふたりで遊びに行くようになって。そうして過ごしているうちに、どんどん気持ちがふくらんで。


 動物が好きで、学校へ行く途中で毎日、野良猫を撫でようと奮闘する姿がかわいいって。

 ふわふわしたぬいぐるみが大好きだけど、それを指摘しようものなら「そんなに子供じゃない」みたいに、必死で反論してくる姿が愛らしくて。

 面倒見がよくて、泣いている子供を見たらすぐにでも駆け出して笑顔にさせる。そんな姿を見ていたら、俺まで優しい気持ちになれて。


 いっしょにいるだけで、なにが起こっても嬉しくて楽しい。これが好きって気持ちなんだと、ずっといっしょにいたいなと、初めてそう、思ったのに。


 その気持ちを、伝えることができなかった。いつかはと思っているうちに、時間だけが過ぎていった。高校を卒業して、別々の大学に入って。最初は取り合っていた連絡も、気づけばすっかりなくなってしまって……


 未練たらたらのまま、あっというまに12年。『高校時代に好きだった子を毎日毎日思い出す無職おじさん』というヤバい生きものが爆誕したわけである。


 地元に帰ってきたとはいえ、彼女がいまもこっちに住んでるとは限らない。まだ結婚もしていない、彼氏さえもいない。このすべてを満たすのは、天文学的な確率だろう。


(だからまあ、「偶然会って話せないかな」みたいに思うことしかできないんだけど)


 ないとはわかっていながらも、そこの角を曲がったら、ばったり彼女に会えないかなんて思ってしまって。


「……っと危ない。猫……いや、違うな」


 飛び出してきたのは彼女ではなく、すばやく走るちいさなかたまり。野良猫かな? と思ったけれど、どうやら小型犬らしい。闇夜に溶け込む毛色の犬は、俺にかまわず元気にまっすぐ走り続けて――


「おいバカ、そっちは道路だぞ!」


 叫んだところで、犬は言葉を理解しない。小柄な体はあっというまに柵を抜け、広い国道の真ん中へ。そこでようやく気がついたのか、心細そうにひと鳴きしたそいつは、そのままそこで固まってしまう。


 一瞬だけ迷った。

 次の瞬間には駆け出していた。

 柵を跳び越え、車の行き交う道路を走った。


 ――道路の向かい側からも、同じように走ってくる人影があった。


 ほんの少しだけ俺が早い。しゃがんで犬を抱いたところで、もうひとりが到着する。気配を隣に感じながら、早く逃げろと口を開きかけたところで。


「……もとみや?」

琴吹ことぶき、くん?」


 車のライトに照らされた顔は、焦がれ続けた彼女のもの。驚きに目を見開いてるけど、俺も似たようなものだろう。

 頭に血が上る。心臓が跳ねるみたいに暴れ出す。会いたいと思い続けていたのに、いざ目の前に彼女がいたら、どうしていいのかわからない。


「あ――」


 彼女の声をかき消すみたいに、クラクションの音が響く。ライトはどんどん近づいてきて、トラックの頭はすぐそこだ。

 その時にはもう、逃げられないとわかっていたから。

 せめて少しでも盾になればと、犬ごと彼女に抱きついて。


「琴吹くん、わたし、ずっと、言いたかったことがね――」


 その言葉を聞き終わる前に、すべての感覚が、とぎれた。

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