第25話

階段を下りきる。

のっぺりとした広い空間に出た。


ヤシャが壁に触れる。

「水を貯めていた感じね。すこし臭う」


ゆゆねは灯りをかかげ、慎重に進む。

空間の真ん中にきた。わずかに天井が明るい。


「曇りガラスでしょうか。上は湖なのかもしれません」

ゆゆねが上を観察する。

白い天井には時たま、小さな影が流れた。

……魚、だろうか。


「前! ゆゆね!」


がばり。

ゆゆねは背中から頭を抑えられ、地面に伏す。

頬が濡れた地面に触れる。

背後の息遣いで、ガジュマルに倒されたのだとわかった。


「ねこさん? なにか……」


疑問と抗議。

その言葉が出る前に、頭の上を光るなにかが通りすぎた。

熱い。

古びたドライヤーの臭い。髪先が焦げた。


閃光、爆音。

光球は入ってきた階段の出入り口に当たり、爆発した。


「うぅ!」

ゆゆねは地面にしがみつく。

頭は揺れ、足が焼かれる。

痛い。

これが体が燃えるということか。


「次弾くる! ヤシャ頼む!」

ガジュマルが立つ。両手で計6本のナイフを持って。


倒れたゆゆね、構えるガジュマル。

その前にヤシャが滑り込む。

彼女は杖を掲げ、そして地面を強く打った。


「屈折! 影よ、歪め!」


再び光体が三人を襲う。

今度は正確に、ゆゆねが倒れている地点を狙っていた。


だがその手前3メートルで、地面から湧いた黒い影が阻む。

ゆゆねには無数の手に見えた。

光球は影に抱かれ、巻き取られ、軌道を変えた。

影から飛び出した光球は部屋の隅に当たり、さきほどより小さく爆発した。


空気が揺れる。

ガジュマルは両腕を振りかぶり、ナイフを投じた。

彼の目は、光球を放った元凶を捉えているらしい。

そのナイフがまだ宙にあるうちに、ガジュマルは地面を蹴る。

刃と猫は弾丸となって、闇に消えた。


「大丈夫?」

ヤシャが倒れたゆゆねに訊く。


ゆゆねは仰向けになり、足の痛みに耐えていた。


「大丈夫じゃないです……でも、ガジュマルさんを助けてください」

「見せて。……ちょっと焼いちゃったわね」


ヤシャはローブから薬瓶を出す。

治療薬だ。

ゆゆねの目はそれを咎めた。


「それ……高いって言ってたやつじゃ」

「黙って。かけるわよ」


ヤシャは口で栓を抜き、中身を患部にかける。


「ツゥ――!」


火傷も痛かったが、これも痛い。

ムチで打たれるような、電撃が走るような。

錬金術による理を超えた薬だ。

元の世界ではありえない治癒速度に、ゆゆねの脳はスパークした。


「応急処置は済んだ。私はガジュマルの所にいく。あなたはここで自衛しなさい」


簡潔にそれだけ言うと、ヤシャはローブをはためかせ、消えた。


―――――――――――――


遠くでガジュマルとヤシャが戦っているのが見える。

相手はゴブリンとは思えない巨体が二匹と、ボロを羽織った一匹。

衣服を着た方は、遠目にも頭部が大きいことがわかる。


私も戦わないと、ゆゆねは立つ。

足はまだ痛いが、見た目には傷はない。


「ガッ!」


だが踏み出そうとしたところで、背中を打たれた。

転ぶ。

だが本能が、理性がそれを止めた。

残った足で前に飛び、打撃から距離をとった。


振り返る、剣を抜く。

よろめきながらも、それを同時に行えた。

彼女の小さな成長だった。


後ろにいたのはゴブリン。

石のこん棒を下げた一体。


どこから来たのかと、ゆゆねは考える。

たぶん、私たちが下りてきた階段からだろう。


ゆゆねは苦味を覚える。

自分のミスだ。

きっと部屋の調査が甘かったのだ。

隠れていたゴブリンが追い上げ、不意を打ったのだ。

ならばこのミスは、私が排除しなければ。


ショートソードを突きだし、間合を取る。

突き付けれた切先が不満だったのか、ゴブリンは吠え、こん棒で地面を叩く。


怖い。

けれどその怯えは一種の冷静さをゆゆねに与えた。

一番怖いのはあの武器だ。

なら、武器を奪おう。


跳ねるような動きで、ゴブリンが迫る。

バネ仕掛けの人形。

大きく振りかぶったこん棒はまだ怖かったが、しっかりと見れた。


ゆゆねは下がって避ける。

そして即座に前に出て、こん棒を握る右手首を斬りつけた。


「ギィ!」


刃が深く肉を裂く。

ゴブリンは傷を左手で抑えて、うずくまる。

こん棒は地面に転がった。


戦闘経験一回のゆゆねには上出来だった。

体躯の差が大きかった。

退避も接敵も、腕のリーチも、倍近いゆゆねに利がある。

本来ゴブリンとは、弱い魔物なのだ。


ゆゆねは腰だめに剣を構える。

突こうと思った。

力のない私には、刺突こそ最適の攻撃だ。

それで、とどめに。


相手は武器もない。

利き腕も欠けた。

もうなにもできない。


力をため、正確に、胸を穿て。


ゆゆねは冷静だった。

しかし、冷静すぎた。

それは悠長と言ってもよかった。


相手は魔物で化け物で、理知を捨てたものなのだと、わかっていなかった。


「ガアアアアア!!!」


ゴブリンは低くゆゆねを見上げ、目を血走らせる。

構うな、と剣を突き出す。

相手は素手だ、武器はないんだ。


ぐいと。

刃を掴まれた、ゴブリンの傷だらけの右手に。

切先を横に反らすと、敵は跳ねた。


耳を掴まれ、ゆゆねの視界はゴブリンの歯列でいっぱいになる。

顔に取りつかれた。

咄嗟に腕をクロスして顔をかばう。


「ぎぃ!」


その腕に牙が食い込む。

虫歯まみれの乱杭歯がデタラメに、痛みをまき散らした。

ゆゆねは、そのまま背後に倒れる。


「シャアアアアア!!!」


ゆゆねの顔の上で小鬼が暴れる。

喰い付き、手で裂き、足で踏みつけた。


ゆゆねはもう、なにもできない。

頬が裂けた、歯が歪んだ、耳が少し欠けた。

痛い。

目を閉じて、せめてこの瞳だけは傷つかないよう顔を覆って祈った。


視界を閉ざすとは、戦いをやめるということだ。

冒険者ゆゆねは、まだあったはずの勝機を自ら捨てた。

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