自称魔王に願ってみれば

如月姫蝶

自称魔王に願ってみれば

「儂の前世は、異世界の魔王じゃった」

「なるほど、中学生に優しい設定ですね」

 

 その老人ホームには、地元の中学生が定期的に職場体験実習に訪れる。しかし、彼らにはスキルもやる気さえも無いので、高齢の入所者を本格的に任せるわけにはゆかない。

 そこで、希望する入所者がいれば、生徒話し相手を務めてもらうというのが定番と化していた。

 そして、ホームは逸材を擁していた。鷹宮たかみやという百才近い男性なのだが、年齢に比して聴力も発話もしっかりとしており、なんと「魔王」を自称しているのだった。


「まあ、聞いてはくれんか。儂が永き前世を過ごした異世界は、地球上のこの世界と比べて、えらく魔法が発達しておってな。魔王というのは、魔力の源となる宝石の鉱脈を守護する存在でもあったのだ」

 鷹宮と向かい合って座っていた少年は、たまらず咳き込んだ。込み上げる笑いを咳でごまかしたのである。

「儂は、鉱脈を守りながら、来る日も来る日も勇者の到来を待ち侘びておった。勇者を試し、儂の眼鏡に適うほどの者であったなら、魔石の鉱脈を丸ごと譲ってやるつもりでな。

 しかし、そんな日はついぞ来なかった。儂の存在をよそに、世界中の知的生命体がいがみ合い大戦争を繰り広げて、ことごとく絶滅してしまったのじゃ……」

 老人がまじめくさって悲しがるのがまた、少年には可笑しくて仕方無い。

「儂はやむなく、静か過ぎる旧世界を後にした。あらん限りの魔力を携えて、この世界へと移り住んだのだ。そして、今となっては、いわゆる『ランプの魔神』として、人々の願いを叶えておる次第じゃ」

「ここは日本ですよ。アラビアじゃないんで」

 少年は、車椅子のホラ吹き爺さん相手に、斜に構えて見せたのである。

「ふん、物の例えだというに。

 お前さんは、アラビアンナイトのことを言うておるのじゃろうが、そもそもアラジンは中国人で、十五才のニートってな設定じゃぞ。しかも、物語の作者はフランス人と来ておる」

「え!?……は!?……ちょい待ちっ」

 少年は、情報の奔流に翻弄された。十四才の彼にとっては、少しばかり前方にばら撒かれた撒菱まきびしが全身に刺さりまくるかのような奇妙な感覚も伴っていた。

 しかし、暫し情報を吟味した後、彼は、老人に人差し指を突きつけずにはいられなかった。

「やっぱり、日本情緒は皆無じゃないすか!」

「それじゃあ、『打出の小槌』」

 老人は、渋々といった様子で、表現を改めたのである。

「まあ、それなら。

 つまりあなたは、歩く……あ、いや、失礼……生ける打出の小槌のごとく、人間の願いを叶えることができると主張なさるわけですね?」

「その通りじゃ!」

 鷹宮は、車椅子の上でふんぞり返った。

「こうして出会ったのも何かの縁。お前さんの願い事も何か一つ叶えてやるとしよう」

「それじゃあ、今すぐ話を終わらせてください」

 少年は、笑顔で即答した。


 少年が鷹宮の個室を出ると、腕組みした女性スタッフが待ち構えていた。

 ネームプレートを見れば松本保志美まつもとほしみ——鷹宮の担当者である。

「あなた、職場体験実習の行先に、どうしてここを選んだの?」

 最大三十分間という持ち時間がありながら、ものの数分で老人との会話を打ち切った彼に、保志美は少々厳しい声で問うた。

「天命です。ジャンケンに負けたんですよ。無料で試食できるっていうアイスクリーム屋に行きたかったんですけどねえ」

 少年は、悪びれることもない。

「ああ、無断で帰宅したりはしません。ホールで他の生徒と合流します。

 それに、ちゃんと学びはありましたよ。俺は、こんな場所で働かなくても済む大人になりたいと思います」

 少年は、冷笑を含んで一礼すると、ホールへと歩み去ったのである。

「ちょっと!」

 保志美は、怒りを覚えずにはいられなかった。彼女は、介護福祉士という国家資格と誇りを持ってこの老人ホームで勤務しているというのに!

「ああ、松本さん」

 しかし、鷹宮が自分で車椅子を操作して顔を出したものだから、彼女は即座に穏やかな笑みを浮かべた。

「いやはや、あの年頃の者たちから、『世界征服』という定番の願いが出んとはなあ。既に相当数にリサーチしたが、まだ二人しか願い出ておらんのだぞ、その香ばしき定番を」

 どうやら鷹宮は怒っておらず、飄々としていた。

 鷹宮の主治医によれば、彼はまだまだ認知症ではない。病的な妄想を抱いているわけでもない。かつて大学教授として存分に身につけた教養を活用して、コミュニケーションの手段としてホラを吹いているのだろうという見立てだった。

「鷹宮さん。今日はお出かけの予定もありますのに、生徒の相手をして頂きありがとうございました」

 保志美は、車椅子の老人と目の高さを合わせて礼を述べた。

「そう、それなんじゃが……

 松本さん、お前さんには、随分と世話になったな。儂は、この鷹宮幸太郎こうたろうの『百才まで生きたい』という願いを叶えるべく、いわゆる生命維持装置のごとくこの体に入っておったが、それも明日で終いじゃ。この体を離れた後は、このホームへは帰って来んから、お前さんにこそ礼を伝えておきたくてな」

 おや、保志美には初耳の設定が出てきた。鷹宮自身が魔王というわけではなく、魔王が鷹宮に憑依しているというのだろうか。

「鷹宮さん。久しぶりに泊まりがけで外出なさるのが、ちょっとご不安なんですか?」

 介護福祉士は、設定を追加した老人の心理に寄り添おうとした。

 鷹宮は、明日、百才の誕生日を息子夫婦の自宅で祝ってもらうべく、今日の午後から二泊の予定で外出するのだ。

「まあ、正直少々淋しくはある。儂は、このホームに慣れ親しみすぎたかもしれん。

 そうじゃ、最後に伝えておかねば。この世界では魔法の効きが悪いゆえ時間がかかってしもうたが、お前さんの願い事はもうすぐ叶うぞ」

 車椅子の老人はウインクした。保志美は、鷹宮にとっては、孫と曾孫の間くらいの年頃だろう。

 そういえば、保志美は数年前、鷹宮に請われて「お金持ちになりたい」という願いを口にしたことがあったのだ。


 職場体験実習は終盤を迎え、ホールでスタッフと生徒による質疑応答が行われていた。

 顔色の悪い女子生徒が、意を決したように発言したのである。

「あの、こういう施設が世の中に必要だってことは、私にも理解できるんです。保育園と似たようなものですよね? 働き盛りの大人が、家庭で子供や老人の世話に手をとられることは経済的な損失だから、施設でまとめて面倒みるわけですよね。

 ただ、お年寄りの群れを見ていると、私たちはせっかく食事もトイレも自力じゃ無理な赤ん坊からここまで成長してきたのに、長生きすると全てが無駄になっちゃうんだなぁって、すごくつくづく虚しくなっちゃって……」

 保志美が応答について思案した、その時だった。

「諸行無常じゃよ、お嬢さん。しかし、お前さんにはまだまだ時間がある。物は試しに、世界征服でも願ってみてはいかがかな?」

 なんと鷹宮の声だった。実は、彼の息子が予定の時刻よりも早く迎えに訪れたため、鷹宮の外出も早まり、保志美の同僚に車椅子を押されて通りかかったのだ。

「私は、世界平和のほうがいいです!」

 女子生徒は、即座に宣言した。鷹宮というホラ吹き爺さんの人物像は、地元の中学生の間では既によく知られているのだった。

「それがのう、世界平和は不得意分野なんじゃよ。儂は元々魔王ゆえ。世界平和は、世界征服を叶えた後に、自力で成し遂げればよろしかろう!」

 どこか思い詰めた様子だった少女が、その切り返しに吹き出した。

「いよっ! 異世界一! ついでに、日本一!」

 そんな声を張り上げたのは、先ほどほんの数分だけ鷹宮と話していた少年だった。

 車椅子の魔王は、高々とサムズアップしながら、老人ホームを後にしたのである。


 翌日の夜、保志美は、電話口で言葉を失うことになった。

 鷹宮幸太郎が亡くなった。百才を祝う宴の後、まさに穏やかに眠るように永眠したというのである。

 幸太郎の息子とその妻は、代わる代わるに丁寧な謝辞を述べたのだった。


 数日後、老人ホームの前に、不吉なほど黒く大きな車が停まった。車から降り立ったのは、執事のごとき風貌の男性で、なぜか勤務中の松本保志美に会いたいとのことだった。

 ついつい怪訝な表情を浮かべて応接室に入った保志美に、待ち受けていた男性は、平身低頭して見せたのだった。

「私は、保志美様のお父上の第一秘書を務めております、円山まるやまと申します!」

 彼は、少なくとも執事ではなかったようだ。

 何でも、円山によれば、保志美の実父である代議士——一寸木隆志いっすんぎたかしが、急遽後継者を要する事態に陥ったらしい。ところが、隆志が正妻との間にもうけた子供たちは、ことごとく政界入りを拒絶したため、彼らの異母妹にあたる保志美に白羽の矢が立ってしまったらしい。

「ですが、私も政治家なんて……」

 にべもなく断ろうとした保志美だが、次の刹那、その心臓はドクリと高鳴った。

 これまで職場体験実習に訪れた中学生たちの姿が、その脳裏にフラッシュバックする。

 彼らは概ね、介護職を忌避していた。まだ若すぎて、やりがいが目に入らないのだろうが、決して賃金が高くはないことも大きな要因だろう。政治家は、介護職の賃上げの必要性を声高に叫ぶが、実行に移しはしないのだ。

 それに、中学生を引率する教師たちも、大抵疲れた様子で、義務感のみで仕事をしているかのようだ。彼らの人手不足もよく知られた話である。

 もしも、私が政治家になったなら……できるかどうかはともかく、やりたいことの数々が、果樹が一気に実りの季節を迎えたかのように、保志美の脳内にて結実したのである。

 鷹宮は、「まだまだ時間がある」と、女子中学生に説いていたが、それが自分にとってのエールでもあったのではないかと、保志美には懐かしく思い出されたのだった。


 つまるところ、保志美は、母とも話し合った上で、実父と法律上の親子となり、一寸木保志美いっすんぎほしみとして彼の後継者ともなった。子供の頃、「なんだか一寸法師みたい」と、一生名乗ってたまるかと思っていたその名も、受け入れることができたのである。

 そして、一寸木家は、政治家である以前に、明治時代から続く豪商の家系で、なかなかの富豪であるために、「お金持ちになりたい」という保志美の願いは、ここに叶ったのであった。


 保志美には、ちょっとした懸念材料が残された。

 もしも、鷹宮に告げた願い事が、時間はかかれど叶うのだとしたら……

 彼に「世界征服」を願い出た中学生が、複数存在するのである。



 

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