Chapter 4: “Glitch”

1話 迷い人


 訓練の後にちゃんとシャワーは浴びたし、消臭魔術もしたけれど。

 念のために、再び消臭魔術をかけて。あと、あの方が好きな花「シアン」の香水を少しだけ。

 絶対に多くては駄目。強すぎる香を纏った女を、きっとあの方は好まないから。さり気無く香るくらいで良い。

 戦闘への高い適正を有しつつ、お洒落心も忘れない服を整えて。ママ譲りの若草色の髪を整えて。

 手鏡を確認。うん、完璧。

 扉の前で深呼吸を一つ。バクバクとする心臓を落ち着けて。

 ……よし!

 ノックを2回。


「誰ですか?」


 静かで染み渡る思慮深い声が、私の長い耳を震わせる。


「フィデルニクス様。イラソルです。今、お時間はございますか?」

「えぇ、構いませんよ。入ってください」

「失礼致します」



◆◆◆



「報告ありがとうございます。成程、勇者はそのように動きましたか」


 「レウコンスノウ」周辺にて起きた一連の顛末……勇者一行と教会勢力、そしてエイジ・ククロークの衝突の顛末を報告し終える。

 フィデルニクス様は報告から得られた情報を、壁に貼り付けられた巨大な大陸図に書き込んでいく。


「……間違いないですね。魔王様に「前回」の記憶はありません。大々的に発表しないのは教会の策略でしょう」


 しかし、その全てはフィデルニクス様の推測の内。予測された展開の1つでしかなかった。

 流石はフィデルニクス様。

 けれど。


「……フィデルニクス様は何を考えておいでですか」

「何を、とは?」


 ずっと貴方は思い悩んでいる。

 「記憶事変」の日からずっと。あの日、エイジ・ククロークを取り逃がした日からは更に強く。

 でも、貴方はそれを隠し続けている。目を逸らし続けている。

 偽りの表情。偽りの仕草。偽りの言葉。自らを偽り続けている。

 貴方自身ですら、その事に気付いていない。気付いている者は誰も居ない。


「貴方はエイジ・ククロークの下に集いたいと考えていませんか。今一度、あの男の臣下となりたいのではありませんか」


 この私以外は、誰も。

 貴方が気付けていない心の内であろうとも。

 私には分かる。だって、貴方をずっと見続けてきたのだから。


「……それはありませんよ。そんな事をすれば、エルフという種族そのものが裏切者になってしまいます。世界の敵になってしまうのです。先代より任された一族を、私は守らなければなりませんからね」


 それは同胞が、私たちという足枷が無ければエイジ・ククロークの下へ向かうという事では無いのか。

 しかし、それを言う事はしない。

 この先を口にしてしまえば、貴方の覚悟が定まってしまうかもしれないから。

 ここで止めておけば、貴方は「同胞を導く」という「使命」を強く意識するだけで終わる。それは貴方の思考に蓋をして、行動を縛る。

 それでも。


「ただ、考えてしまうのです――」


 貴方の悩みを消し去ることはできない。

 だって、貴方は忠義に生きるヒト。集団の頂点としてではなく、誰かの下に居てこそ生き甲斐を見つけられるヒト。そういう魂のヒトだって、私は良く知っている。

 貴方には復讐心なんて微塵も無い。私怨なんて低俗で凡庸な感情で動かされるヒトじゃない。


「――忠義とは何か」


 結局のところ。

 貴方は「使命」と、「忠義」の間で揺れ動いているだけ。

 その間で思考が袋小路に迷い込み、「仮初の忠義」という逃げ道を用意した。恐らくは無意識的に。

 魔王をエルフが討伐する。……これは同胞を守り導くという「使命」。

 「異種族も被害者だった」という点を強調することに繋がり、「前回」の戦争による恨みを逸らすことが可能。

 けれど、それは「忠義」に反する。一度忠誠を誓った存在を裏切ることになる。

 だから、貴方は魔王を殺して自分も死ぬと決めた。

 これならば、どちらも果たせるから。同胞を守る「使命」を果たしつつ、主の罪と共に死ぬ「忠義」も果たせる。


「――そして、罪とは何か、と」


 きっとそれは。「前回」の記憶に振り回され、「使命」と「忠義」の間で揺れ動いた貴方の心が、必死に見つけ出した逃げ道。

 それでも私はそれを否定する。


「少なくとも、罪は明らかでしょう。罪とは魔王の所業そのものです。私たちを裏切り、世界を滅ぼそうとした。正真正銘の悪です」


 私は貴方に生きていて欲しい。貴方の生きていない世界に価値など見出せない。

 だから、魔王を殺して貴方が生き残る道を私は模索する。

 魔王は悪そのものだったと何度でも言い聞かせる。あんな男と心中する必要など微塵も無いのだと刷り込ませる。


「それが何者かに植え込まれた記憶の可能性は捨てきれません」

「しかし、それは……!」

「えぇ。勿論です。そもそも記憶の操作自体が現実的ではない。ヒトの記憶を弄るとは、神の創り出した法則に歯向かうことを意味しています」


 創造神が創造した8柱の神々。神々は「交換魔法」を用い、「有」を法則や物質、命といったモノへと変えた。

 その法則の中の1つに、『魂の魔力防壁』がある。それを生み出した女神は、生命の個別の意思……即ち、何物にも左右されない独自の選択をこそ愛したとされる。

 この法則により、魂は常時、世界に満ちる魔力を用いて魔力の防壁を展開。精神操作や記憶操作など、個人の尊厳を貶める魔術・魔法には、それを押さえつける力が働く。

 そのため、記憶を改竄する魔術・魔法は魔力消費が尋常ではなく膨大となる。最強クラスの魔女が、己の有する力全てを注ぎ込んでも街1つが限度。世界全体に記憶操作を永続的にかけ続けるなど、論ずるにも値しない暴論なのだ。


「……それでも、「やり直し」自体が『パラレルワールド修正力学』、『タイムパラドックス否定説』、『絶対世界法則論』といった幾つもの法則を無視しています。この状況で既存の定説を主張し続けるのは愚かかもしれません」

「それは、そうかもしれませんが!しかし……!」

「記憶が無く、事実も消えた。なれば、それは罪なのか否か」


 ……あぁ。

 また、だ。


「恐らく、魔王様は次に此方こちら側を……異種族の支配領域を目指すでしょう。人間の領域では新型の「探知魔術」が配備され始め、身動きが取れませんからね」


 

 

 このヒトの心は!あの男に惹かれている!囚われている!


「……報告内容を検討する限り、勇者は自分なりの答えを出したようですね。ならば、私も私の答えを出さなければ」


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌。


「……っと。時間ですね。すみません。アドラゼール側と今後の事を話し合わなければならないので、続きは後程としましょう」



◆◆◆



「魔王エイジ・ククローク……」


 「前回」も「今回」も。ずっとずっと、あの方の心に居座り続ける害悪。

 だから。

 だから。


「――で、オレの力を借りようってかァ?いいねェ。そういう欲望って好きだぜェ、オレは」


 たとえ、フィデルニクス様と険悪な関係の女であろうと。

 この不真面目で気に食わない女の手だろうと。

 それが正体不明の力だろうとも。

 何を使っても。どんな手を使っても。

 必ず。

 必ず、あの男を消してみせる。



◆◆◆



「……さァて。オレは今回、どうやって動こうかねェ」


 若草色の髪をしたエルフの女。イラソルとの会話を終えて。


「1ミクロンくらいは申し訳なく思う心もあるんだぜェ、魔王サマ。十中八九、テメェがクソ神話に首を突ッ込んだ一因だからなァ、オレは」


 青い肌に灰色の髪の女は独りで言葉を紡ぐ。


「ケケ。でもよォ、テメェは言ったよなァ。今回も言うんだよなァ。……「これは俺の意思だ。俺自身が選んだ道だ」ってよォ」


 彼女こそは魔王軍四天王の一角、ウルヴァナ。


「そんなテメェだから、「前のオレ」も裏技を教えたんだしなァ」


 種族も目的も真の実力も。或いは名前ですら。

 その全てが不明の存在。


「ま、どうでも良いかァ。オレはオレのやりたいようにやるさァ」


 彼女は、その漆黒の眼の中に金の瞳を怪しく光らせて、呟いた。


「どうせ神様なんて何処にも居ねェんだ。オモシロオカシク生きなきゃ損だよなァ」


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